第三部




     五



 そうして彼らは、扉を開きました。

 その部屋は、色とりどりのステンドグラスが、灯台の外から差し込む光によって、照らされています。光たちは、部屋の中で、さまざまな色と混ざり合って真っ白になり、穏やかな、それでいてどこか寂しげな光を、三人に示しておりました。

 部屋の奥に、更にもう一つの扉がありました。そしてその扉の前に、灯台の守人は、ひっそりともたれ掛かっているのです。


 おそらく、その奥こそが、この灯台の灯火の部屋。

 つまり『心臓』の部屋なのです。


 灯台の守人は刀を抱えて、穏やかに座り込んでおりました。白銀の鎧は、その、さまざまな光の反射によって、神々しく煌めいています。

 みると、一羽の小鳥がちょこちょこと、守人の左右の肩へ飛び乗っては、遊んでおります。

 然し、


「お行き」


 と守人が云うや、一羽の小鳥は名残惜しそうに、守人の側を跳び去って、窓の向こうへ消えました。

 守人は云いました。


「とうとうここまでやってきたか。若者達よ」


 灯台の守人は、駆け上がってきた若者達を、じっくりと見据え、そしてむくりと、身体を起こしました。

 鎧のしなる音が、三人の若者に、その存在の恐ろしさを、示してゆきます。


「もう、どれほどの時が、過ぎゆきたのやも判らぬ。わたしが何者であったのか、どこで何をしていたのか、家族も、子供も、友人も、わたしは何もかも忘れてしまった」


 三人の若者は、ただ、彼の言葉を黙って聞いておりました。

 それぞれの身体に、守人から届く、恐ろしい殺気の念が届き続けて、三人の背や脇の下に、冷たい汗が、肌を伝って流れてゆきます。


「――然し」


 灯台の守人は、どこか糸につるされているかのような身のこなしで、然し、大変な、重々しい動きで、鞘に納めた自身の刀を、横一文字に身体の前へ構えると、ぐっと、その柄を、己の左手で掴んで、


「わたしはおまえ達を、灯火のもとへやるわけにはゆかない。わたしの、只一つ判る、定め故に」


 と云いながら、しゃりと音を立て、ゆっくりと、その、見事な輝きを放つ刃を引き抜き、鞘を放りました。その様は、降り注ぐ光芒と相まって、なんとも神聖な雰囲気を、妖気と共に、こちらへ届けてくるのです。

 守人は、身体をゆっくりと屈めると、左足をにじりと後方へ引き下げ、三人に向け、じっとりと右手指先を据え、その側へ、切っ先を揃えると、


「来い」


 と云い、切っ先を鳴らしました。


「いやっ」


 途端、自慢が一散に守人へ向け、跳びかかりました。

 戦いは熾烈を極めました。

 守人の斬撃はすさまじく、眼前に迫る自慢の刃などもろともせず、幾度となく、自慢の急所を捉えようと、煌めく刃は迫ってゆきます。

 そのために、それほど実力のない自慢は、敗れるはずでした。

 然し自慢は悉く、守人の刃を、凌ぎ続けていったのです。


 彼はこのとき、半ば一つの、精神の研ぎ澄まされた、極限状態にありました。つまり彼は、ある意味、「巨大な化物に自身が勝利した」という経験を、己の中に、半ば嘘でも生成したことによって、実力が急速に高まったのです。


 実は自慢は、『森に棲む恐ろしい化物を殺した』ことなど、ありませんでした。

 それは、只の大きな猪でした。

 彼はそれを、「化物を倒した」と嘯いては、散々、自分の剣術は素晴らしいと、自慢していたのでありました。


 彼は侍などでなく、唯のしがない農民でした。そして刀も、どこかの死んだ侍が持つ、只の名無しの大太刀だったのです。

 然し、それでも今の自慢の業は、本当に自慢できるほどの、実力を持っていたのです。


「えいっ」


 そうしてついに、自慢は守人の刃ごと、守人を弾き飛ばしました。

 いくら手練の剣士といえども、一瞬の隙は命取りです。

 その隙を、今、感覚の研ぎ澄まされた自慢が、見逃すはずがありません。

 そして自慢は、


「我が大太刀の、真なる奥義、受けてみよ!」


 と声を張り上げました。

 揺らめく守人の頭上へ飛び上がり、兜から守人を両断しようと、一つの稲光がごとく、大太刀を己の頭上へと、振り上げたのです。


「くらえっ」


 自慢はひと思いに、大太刀を振り下ろしました。

 これで守人は、確かに、死んだはずでした。

 然し、大太刀を振り下ろすはずが、自慢は、


「う!」


 と唸りました。

 気付くと自慢の肉体が、振り下ろそうとするまま、宙へと止まってしまったのです。

 慌てた自慢は、「なぜ刀が振り下ろせないのか」を確かめず、必死に力をこめ、どうにか大太刀を振り下ろそうと、試みました。

 然しどうしても、大太刀は云うことを聞いてくれません。


「また魔法か」


 自慢は思いました。

 が、そのとき、ふと、ぱらぱらと何かが、自分の鼻頭へ降り注いだので、自慢は上を見上げました。

 そうして何故、自分が宙に浮かんでいるのか、その理由を知ったのです。 


 自慢は愕然としました。

 なぜなら彼の大太刀は、天井の梁に、見事に中程までズブリと突き刺さり、そうして止まっていたからです。


 彼は確かに、守人を殺すほどの力を、一瞬だけでも、持っていました。

 つまり彼は、刀の力を呼び起こす、謂わば魔法に掛かっていたのです。


 然し、魔法に掛かったのは良かったのですが、やはりどうにも、彼は欲が出てしまいました。

 よろめいた守人に斬りかかれば良かったものを、ワザワザ強者であることを誇示して、必殺の一撃をぶつけようと、天井の低いことにも気付かず、跳び上がってしまったのです。


 故に、『強者の魔法』は、彼の欲に反応し、見事に解けてしまいました。

 自慢は只の見栄っ張りに戻り、自慢の大太刀を、梁へ突き刺すという、ヘマを犯したのです。


「く、くそ! う、動け! 動けっ!」


 自慢は散々藻掻きましたが、もうどうにもなりません。

 気付けばもう、知らぬ間に、彼の体は真っ二つに分かれております。間抜けに蠢く男の隙を、守人が逃すはずなどないからです。


 然し自慢は、必死に、大太刀へすがり続けました。守人によって見事に、その体を真二つに裂かれたというのに、未だその事に、気が付いていないのです。


 切り裂かれた断面から、滝のように血潮が溢れはじめます。

 滝を流れる大木のように、内臓は次々と、床へとずり落ちてゆきます。


「とれぬ、とれぬ、とれぬ。何故、な、ぜ。……」


 こうして自慢は死にました。

 彼は最後まで必死に、己のすがるべき大太刀にしがみつき、宙ぶらりんに、死んでいったのです。


 ズルは一人、守人がどうにか自慢によって、倒されること待っていました。無口は正直、あまり実力のある剣士に見えませんでしたから、もし、自慢が負けるようなことがあれば、利口からくすねた『云い伝え』の手帳を頼りに、逃げだそうと考えておりました。

 ですから、自慢の死を目の当たりにしたズルは、もう、たまらなく恐ろしくなって、


「ひい」


 と、猿ように叫びながら、転びながら、息も絶え絶えに、己の入って来た道を、一散に駈け去ってゆきました。

 とうとう、灯台を登ってきた若者は、無口一人になってしまいました。


「お前は、あの男のように、逃げないのか」


 守人は問いました。

 然し無口は答えません。

 ただじっと、守人の事を、見据えているだけです。


「ではお前も、この男のよう、に――」


 そう、守人が云いかけ、脚を踏み出したとき、


「ぐ、う」


 守人の身体に痛みが走りました。

 それも、どうも心臓が締め付けられているかのような、強烈な、今迄に経験したことのない恐ろしい痛みが、守人を襲ったのです。


「ぐ、うう、う」


 たまらず守人は、そこに膝をつきました。


「――どうです。中々に痛むでしょう」


 様子を眺めていた無口が、初めて言葉を喋りました。


「貴様、なに、を」

「貴方があの男と戦っている間に、わたしは貴方の鎧の隙間をぬって、沢山の針を、貴方の身体に刺しました」


 と無口は云いました。

 そして、


「それは身体に刺さっても、全く痛みを感じません。然し、それは貴方が動くたび、じわじわと身体の中へともぐり込むのです。そうして血管の中へ入った無数の針は、どんどんと身体の中を進んでゆき、そして――貴方の心臓を殺すのです」


 無口は淡々と、守人に語り続けます。


「わたしは貴方を殺すため、どうするべきか考えました。然し、わたしには力がありません。素晴らしい知識も、武器も、ずる賢さもありません。ですからわたしは国を渡って、岩山に棲む老師から、化物をも殺す『針殺しの術はりごろし  じゅつ』を学び、そうして戻ってきたのです。二対の巨像を殺しえたのは、それ故です」


 無口の表情は、まったく変わらぬままでした。

 が、その言葉の節々に、なにやらとても恐ろしい、怨念めいたものが、彼の中に入りきらず、溢れ出しておりました。


「痛みを感じ始めたならば――もう、貴方は助かりません。もうすぐ貴方は、死ぬのですよ」


 延々と続く激痛が、守人を襲い続けます。それは彼が死ぬまで、その身体を蝕むのでしょう。


「う、う、うぐ」


 守人の鎧がガチガチと震えています。

 今にも倒れてしまいそうです。


「う」


 そして遂に、守人が力なく、倒れようとしたとき。然し彼は剣を支えに、どうにか身体を起こしました。


「ば、馬鹿な」


 無口は思わず、叫びました。

 守人は云いました。


「わたしは絶対にお前を通すわけにはゆかぬ。わたしにとっての灯火を、貴様などに、絶えさせることなど、あってはならぬ。わたしが、わたしが必ず、を守ると、守り続けると、そう、誓ったのだから」


 鎧ががなりと音を立て、呻きながら、守人は必死に、無口を眼前に捉えます。そして、彼を仕留めるべく、必死に歩みを進め続けてゆくのです。

 守人の身体から、壮絶なる執念が溢れ続け、無口の肉体を襲いました。


 無口は初めて、自身の身体が、本能的なおそれから動かなくなったことを経験しました。然しどうすることもできません。守人は一歩、また一歩と、恐ろしい輝きを放つ剣を携え、迫ってきます。


「わたし は おまえ を」

「ひっ」


 とうとう守人は、無口の眼前に、たどり着きました。

 恐ろしい雄叫びをあげながら、守人はゆっくりと刃を掲げました。

 そして、無口の首へ、そのすさまじく鋭い斬撃を、

 浴びせ掛かったのです。



     六



 どれほどの時が過ぎたでしょう。

 永遠に等しい静寂が、無口と守人の空間の中を、通り過ぎてゆきました。

 守人も、無口も、その空間の中で、永遠の中で、制止し続けていました。

 然し次の瞬間。時は動き始めたのです。

 守人の刃が、剣が、無口の首を刈り取ろうとしたその刃が、ゆっくりと、虚しいほどゆっくりとして、守人の手から、ゆらりと地面に落ちてゆき、カラン、と音を鳴らしたのです。


 守人は無口の前で静止しておりましたが、その音をきっかけに、石のように固まったまま、後ろへ倒れて行きました。

 地面に鎧の軋む音が、無念にも響きわたってゆきます。

 瞬間。彼の鎧兜が、彼の倒れた衝撃によって、守人の頭を外れ、転がって行きました。金属の音が、グラスの縁をなぞるように、空間の中を、回り続けています。


 守人の顔は、それは恐ろしい様相でした。

 不気味な芋虫の肉塊に、不揃いに生え揃った、牙のような歯が、こびり付いていたのです。

 瞳は酷く落ち窪み、その内は、この世のモノとは思えぬほど、黒々と染まっておりました。


「や、やった。やったぞ」


 守人はとうとう、無口を仕留めることが出来ませんでした。

 無口はどうにか、守人をしとめることが出来ました。


 無口はまったく、生きた心地がしませんでした。

 それでも無口は、自身の身体を奮い立たせ、どうにか灯火の元へ、向かうことにしました。


 するとそこに、先ほど守人の側で遊んでいた、一羽の小鳥がやってきました。

 鳥はしばらく、守人の周りを飛んで、遊んでいました。

 然しもう、守人の死んだことに気付いたのか、じっと、守人の顔を見つめた後、小鳥は一声啼きました。

 そうしてどこかへ飛び去って、二度と戻ってきませんでした。


 無口は、とても虚しくなりました。

 然し心へ蓋をすると、奥の部屋を見据えました。

 そして彼は扉を開け、階段をのぼり、遂に灯火の部屋へと入っていったのです。





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