第25話:幸子が英語に夢中
1989年は、淑子さんが、1月下旬から、風邪でダウンして、近くの
内科医院に行って、薬をもらい、5日間、自宅で療養していた。その時に、
幸子が、替わって、一度に多めの御飯を炊き、残った御飯を冷蔵庫に入れたり
、淑子さんに、おかゆを作ったり、面倒も見てくれ、犬山重臣が長女の
成長ぶりに目を細めて喜んだ。
良男は、相変わらず、いっぱい御飯を食べて、幸子の作る卵焼きを、旨そうに
、食べていた。2月に、犬山重臣が、咳き込んで、風邪のひきはじめになったが
、日曜日に熟睡して事なきを得た。そうして、徐々に暖かくなり4月を迎えた。
今年、1989年は、長女・幸子が中学生になる年で、近くの三鷹中学に
入学した。ランドセルから、祖父に買ってもらったソロバンを入れられる
ショルダーバッグに教科書を入れて、中学に通い始めた。小学校から仲良しの
子も多く、中学に、すぐに、なじんだ様だ。英語は、既に、日常会話が出来る程度
になっていて、英語の授業が終わると友人に教えるほどだった。
理科の実験に興味を持って、授業を聞いていた。数学も図形以外は、簡単に
こなした。国語も、既に多くの本を読んでいたので、特に問題なく理解した。
そのため、成績は、クラスでは、タントツのトップで、学年でも1-2位を
争う程だった。クラブ活動は、英会話クラブ、ESS:イングリッシュ・
スピーキング・ソサエティと軟式テニス部に入部した。
1989年4月4日、以前、購入したトヨタ株を2400円で売却して、
1291万の利益が出て、残金が1432万円となった。
英会話クラブでは、1年生にもかかわらず、かなりの実用英会話の文章や
単語を覚えていて、それを駆使し、3年生と英語でのディスカッションをした。
しかし、1人、イギリス人の親を持つ、ブリジッド佐藤という、ハーフの
1年生の発音の素晴らしさ、素晴らしく、彼女と仲良くなり、英会話の細かい
、イントネーションや、発音の細かい違いを教えてもらい、幸子の英語が、
本物になって来た。
その後、ブリジッド佐藤の家に遊びに行くようになり、彼女の好意で、
英国人のお母さん、サリーさんと3人で、英語で話したり、2年になる頃は
、幸子に、パブリックスピーキングを教えてくれた。パブリックスピーキング
とは、英語を話す直前に、いくつかのテーマを出されて、自分がテーマを
選んで、短時間に自分の頭で、そのテーマに沿った話を考えて、2分間、
試験官の前で英語で発表し、発表後、その内容について、試験官が質問して、
その質問に的確に答えるテストだった。
中学に入学して、英語検定3級の試験願書を手に入れて、提出し、数日後
、試験日と試験会場がわかり、友人のブリジッド佐藤がついてきてくれ、
一緒に試験を受けた。3級は、余裕で合格し、試験後、近くのファミリー
レストランで、お茶して、帰って来て、数日後、合格通知が来た。
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