ふたり花火

「あれ、白河だけ? ほかのみんなは?」

 僕の問いかけに、白河は何も答えない。ただ、ぼんやりした顔でこちらを見るだけだ。その視線に、僕は少しどきりとして目を逸らす。セミもとっくに鳴き止んだ夜の公園で、さっきまで白河が座っていたブランコだけが、街灯に照らされ静かに揺れていた。

「少しそこで待っててくれ」

 沈黙に耐えかねた僕は持ってきたリュックとバケツをその場に置き、スマホを取り出して公園の外に出た。

 一つ、大きなため息をつく。

 恐る恐るスマホを確認すると、電源が落ちていた。さっきまで図書館で勉強していたからだ。慌てて電源を入れ、受話器のマークをタップする。

「もしもし、僕だけど」

『おう、久しぶりだな。どうした?』

「どうしたじゃないだろ。今日の集まり、来れないのか?」

『……お前、ライン見てないのか?』

「……見てない。今日は一日、図書館にいたから」

『俺は母親の実家に来てるから不参加、他にも用事とかで来られないってコメントが多かったな』

「母親の実家って、どこだよ」

『京都』

「はあ……」

 ここから京都までは県二つほど跨ぐ。今から来いと言うのはさすがに無理な話だった。

『急すぎるんだって。昨日の夜ラインされても、確認するの今日の朝だっての。起きるの遅い奴は昼まで寝てるだろ。そりゃあ人集まらんって』

「そりゃあそうだけどさ……」

『まあ、お土産買ってってやるから、今回は俺抜きで楽しくやってくれよ。誰か来てるのか?』

「……白河」

『他は?』

「だけ」

 そう言うと、少しの間を置いて受話器から大きな笑い声が聞こえてきた。

『白河面白いな、律儀にちゃんと来るんだもんな』

「僕は全く面白くないんだけど。よりによって白河って」

『いいじゃないか。仲良くなるチャンスだと思えよ。結局のところ俺は行けないし、他のみんなも今来てないってことは来られないってことだろ。諦めて二人で楽しくやるんだな』

 そして電話は切れた。

 公園の中の白河を見ると、彼女は静かにブランコを漕いでいた。もう五分くらい待たせているだろうか。早く戻った方がいいとは思うけれど、あまり気が進まない。このまま帰ってしまいたい気すらする。

 苦手なのだ。白河のことが。あの今にも折れてしまいそうな細い四肢が、あのか弱い小動物のような動作が、あの何を考えているかわからない表情が――どう接すればいいのか、僕にはわからない。

 別に嫌いというわけではない。今まで同じ部活の仲間として一緒にやってきたし、数回だが会話を試みたこともあった。けれど、意思の疎通ができたと思ったことは一度もなかった。僕の言葉は、ちゃんと彼女に届いているのだろうか。

「……」

 白河は今日、どうしてここに来たのだろうか。何を思ってここに来たのだろうか。そんな事を考えていたら、今までうつむいていた彼女が、ふと上を見上げた。

 彼女の長い髪がさらりと流れる。街灯の冷たい光に照らされた彼女は、その時光の中で唯一、確かに温度を持っているように、僕には見えた。

「仲良くなるチャンス……」

 僕は彼女と心を通わせることができるだろうか。

 僕は再び公園に足を踏み入れる。

「ごめん、待たせた」

 白河はブランコに腰かけたままじっと僕を見た。以前は気味が悪いと感じていたその見透かすような瞳。まだ少し慣れないけれど、今日はなんだか向き合えそうな気がした。

「やっぱり急すぎたかな。昨日の今日だもんな」

 持ってきたリュックを開けると、中には大量の花火が詰まっていた。

「これ、昨日商店街の福引で当てたんだけど、僕んちは誰もやらないし、せっかくだからみんなでやろうと思ったんだけどな」

 バケツに水を汲み、花火の封を切る。

「確か五千円分とか言ってたっけな。でもこんなにたくさん、二人じゃできないよな」

 公園の隅の暗がりで、蝋燭に火をつける。ほのかな明かりが暗闇に灯る。

「さ、やるか」

 手招きすると、白河はようやく立ち上がり、火を挟んだ向かいにしゃがみ込む。そのままじっと僕をみている。

「やってみ」

 差し出した手持ち花火を彼女は受け取り、そのまま火にかざそうとする。

「ちょっと、ストップ! 先端をこっちに向けないで!」

 驚いたような顔をする白河の腕を引いて、僕の隣に座らせる。

「いいよ、つけな」

 ぱちぱちと音を発しながら、光の粒子が弧を描く。この光が届く半径一メートル。その中に今、僕と白河の二人だけがいて、同じ光を共有している。そう思うと、なんだか嬉しかった。

 花火に照らされた白河の顔は、いつもの無表情のままだったけれど、もし楽しんでくれているのだったら、僕が今日ここに来た意味があったのかもしれない。

「ブランコ、好きなの?」

 ふと聞いてみた。

「ほら、僕が今日ここに来た時も、さっき待っててもらってた時も、ベンチじゃなくてブランコに座ってたからさ」

 白河は相変わらずの無表情で、花火を見つめている。けれど、僕の声は彼女に届いている。明確な根拠はないけれど、直感でそう思えた。

 それから小一時間、僕らは花火を楽しんだ。といっても、僕は花火をしている白河を見ていただけだけれど。

 線香花火がぽとりと落ちた時、白河の携帯電話が鳴った。公園の外には、先程まではなかった白い自動車が停まっていた。

 白河が、何か言いたげに僕を見ている。

「いいよ、待たせるのも悪いし、片付けはこっちでやっとくから」

 片付けに取り掛かる。公園内は、まるで映画上映後の誰もいなくなった劇場のような、心地の良い静寂に包まれていた。

 誰かが、僕の肩をとんとんと叩く。

「なんだ、まだいたのか。早く帰れよ」

 白河は僕を見ていない。俯いていて、顔は見えない。けれど、白河が僕に向けて初めて発した言葉は、はっきりと聞き取ることができた。

「……ありがと」

「おう、また学校でな」

 白河が車に乗り込むと、僕は片付けを再開する。

 夏休みもあと一週間で終わる。宿題はまだ終わっていないけれど、それでも二学期が始まるのが楽しみであった。

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短編集 たろん @taron_txt

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