短編集

たろん

放課後の

 放課後の校舎裏で、わたしは人を待っていました。まだ五月だというのに気温は高く、首筋に汗が伝います。校舎裏という場所は日差しは届かないものの、空気はじめじめと淀んでおり、とても気持ちの良いものではありませんでした。

 わたしは薄赤色のハンカチで額と首元の汗をぬぐい、水筒の水をあおります。この場所に来てから、もう何度水を飲んだでしょうか。空になった水筒を鞄にしまい、再びわたしは彼の到着を待ちます。

 スカートの埃を手で払い、制服のタイを直します。ここに来る前に散々確認したのでその必要はないとわかってはいますが、どうしても心配になってしまうのでした。

 隙あらば込み上げてくる不安と後悔を、どうにか胸の奥に押し込めます。なぜこんなことをしようと思ったのだろう。体を動かしていないと、そんな感情ばかりが頭をよぎるのです。

 いっそのことここから立ち去ってしまおうか。そんなことを考えたときのことでした。

 頬に血が上ってくるのがわかります。鼻の奥の方につんとした痒みがあり、それに呼応するように目に涙が滲みます。

 わたしの前に現れた彼は、いつも見ていた彼でした。この暑さにもかかわらず制服の一番上までボタンが止められており、地味な色の眼鏡の奥では力強い瞳が顔を覗かせています。生まれてきた時代を間違えたような、そんな人でした。

 わたしは口を開きますが、頭の中がこんがらがってしまい、うまく言葉を発することができませんでした。わたしと彼の間に、気まずい沈黙が流れます。それを破ったのは、彼の言葉でした。

 何か相談事か、それとも後ろめたいことでもあるのかい。

 わたしの目から涙が溢れました。そして、今までのわたしの心を恥じました。わたしのこの気持ちは、後ろめたいものだったのでしょうか。この気持ちは、誰にも知られてはいけないものなのでしょうか。いいえ。そんなはずはありません。彼の靴箱に手紙を投函したときのわたしの胸中は、幸福な気持ちでいっぱいだったはずです。

 わたしが泣いているのを見ると、彼はポケットからハンカチを取り出し差し出します。わたしはその薄青色のハンカチを受け取り涙を拭くと、彼の手を取って走り出していました。校舎の陰から出ると、ぱっと視界が明るくなり、一瞬目がくらみます。段差に足を取られかけますが、それでも走り続けました。

 気がつくと、校庭の入り口に立っていました。息を切らしたわたしと、隣には驚いたような表情の彼。彼とわたしを繋ぐ手は、じんわりと汗ばんでいます。お互いの体温と鼓動が伝わりあって、少し恥ずかしくもありますが、それがとても愛おしくもありました。

 眼前では各部活動が、夏の大会に向けて練習しています。わたしはその声に負けないように、できる限りの大きな声で叫びました。

 あなたが、好き。

 気持ちの良い風が一筋、わたしの中を通り抜けました。

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