ひとつ目と巨人

クファンジャル_CF

第1話(2話の予定はない)

二人組だった。

夕闇に追い立てられるように、円屋えんおくの戸板を閉ざそうとしていた老人が目にしたのは一組の男女である。

一人は戦士。硬革鎧に鋼の兜。剣を帯び、槍を担いでいる。旅の用心棒、と言った風体である。

もうひとりは、目の粗い、しかし頑丈そうなローブを身に着けた、おそらく女。何故恐らくなのかと言えば、そいつはローブのフードで深く顔を隠していたから。高位の魔法使いかもしれぬ。彼らは、顔を余人に見られるのをひどく嫌う。

農夫の前で立ち止まると、男の方が質問を投げかけた。

「一晩厄介になりたいんだが。頼めるかね」

老人はしばし二人を眺め、思案。やがて結論が出た。

「入りなされ」

礼を言うと、男は相方とともに入り口をくぐる。

老人は、戸を閉じた。


  ◇


ぱちぱちと、薪が燃えていた。

円屋えんおくには部屋がない。掘り下げた大地がそのまま床となり、上を向けば低い円錐型に組んだ木材が骨組みを成している。屋根に葺かれているのは葦の類であろう。外側には浸水を防ぐべく盛り上がった土が低い壁となり、その周囲を溝が巡っている。

中心に据え付けられた炉を、客人と家人たちが囲んでいた。

「寒かったでしょう。ゆっくり温まるとええ」

鍋をかき回しているのは人の好さそうな老婆である。老人の妻だという。

フードの女は、恐縮しながら器を受け取った。木の碗によそおわれたのは雑炊。雑穀と野菜がたっぷりと入ったそれの匂いは、食欲を刺激する。

配膳がおわり、夕食が始まった。

会話が挟まり、和やかな時間が流れて行く。話題は色々だ。近頃の天候。近隣の様子。狼が羊を食い殺したこと。老夫婦の娘は隣村に嫁いだこと。などなど。老夫婦の問いに答えるのはいつも男の方で、フードの女は時折相槌を打つ役目である。

それらもひと段落したころ。

男は、視線を巡らせた。

まず目に入るのは、何頭もの牛や羊。鶏。この地の人びとは、畜獣と屋根をひとつとするのだ。そして縄と木材で作られた梯子と、上方の空間に設けられた小さな二階部分。女子供がそこで眠り、男は梯子の側で眠るのである。賊から家族を守るための構造だった。

やがて、食事が終わった。口をゆすぐ。炉の精霊と火神に感謝の祈りが捧げられ、火が消された。

老婆は梯子を上らず、老人と寝床を共にした。「この歳だと上るのもつらくなってねえ」とのたまい、二人して寝藁に潜り込んだのである。

客人たちが提供された寝床は、家畜の傍に積み上げられた藁の山であった。

眠るときも、女はフードを外すことはなかった。


  ◇


地響きで、女は目覚めた。

「……ぅ?」

むくり、と身を起こす。他の者を起こさぬよう、静かに周囲を見回した彼女は、見た。

突如として、円屋の屋根に大穴が空くのを。とてつもなく巨大な物体。大木ほどもある腕が、天井を突き破って、のを。

引き抜かれる、腕。

女が当初、阿呆のようにそれを見上げてしまったのも無理のないことであったろう。あまりにもわけがわからなさすぎた。

だから、彼女が悲鳴を上げる事ができたのはようやく二度目。巨大な両手が、出来上がった穴を引き裂き、広げていくのを目にした時のことだった。

星明りを背に浮かび上がるのは、巨大な人型のシルエット。

毛むくじゃらの体躯。盛り上がる筋肉。邪悪な喜びを隠そうともしないそいつの名を、女は知っていた。

森巨人フォレスト・ジャイアント。深き森林に住まう、人食いの怪物ども。

そいつが自分目掛けて手を伸ばした瞬間ですら、女には逃げるという発想が思い浮かばなかった。

絶叫が上がる。

とはいえ、女は無事だった。傷口を押さえ、苦痛の叫びをあげていたのは森巨人の方だったからである。咄嗟に構えられた槍。女の隣で眠っていた男が、真上へと向けた武装が怪物の掌を貫通したのだ。

血に染まった槍を掲げ、立ち上がった男は。いや、戦士は叫んだ。

「逃げろ!!」

女は、言われた通りにした。目を醒ました老夫婦に手を貸し、家屋より遁走したのである。

それを見送る暇もなく、男は槍を構えた。上方には怒りに燃える巨人。そいつは家の梁を引きはがすと、男目掛けて振りかぶる。まともに食らえば原型など留めないだろう。

だが、遅かった。それも致命的なまでに。


―――GGGGGGGGYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAAA!?


男が投じた槍は、強烈な破壊力を発揮した。対峙する怪物。その眼球を貫通し、奥にある脳までもを完全に破壊したのである。

巨人の図体が倒れて行く様子は、まるで建物が崩落していくかのような光景だった。

轟音。

敵を倒したことを確認した戦士は、しかし油断していなかった。森巨人フォレスト・ジャイアントは群れで行動する。こいつ一体のはずがないからだった。

戦士は、家の外へと飛び出した。


  ◇


地獄絵図だった。

円屋があった村落。ごく平凡な、森に隣接する田園地帯は戦火に包まれつつあった。何体もの巨人が森の中から飛び出し、村へと突入してきたからである。

建造物よりも巨大な怪物どもの動きは緩慢だ。にもかかわらず、その走りは人間より圧倒的に早い。歩幅が違う。体格が違う。生物としての性能で、奴らは人間を圧倒していたから。

村娘が踏み潰された。円屋が蹴飛ばされて砕け散り、慌てて家から出てきた農夫が飛んできた石を受けて即死する。落ちてきた梁に押しつぶされた者もいれば、暴れだした家畜に蹴り殺されたものさえ出る始末だった。

だが、それですらまだ、ましだった。人間の死に方としては。

逃げ遅れた村人が、まず犠牲となった。巨大な手によってのだ。彼にとって最悪だったのは、この人食いの怪物。森巨人フォレスト・ジャイアントが、極めて邪悪な性質を備えていたことだろう。こ奴らは人間の苦痛や恐怖を楽しむのだ。

だから彼は、自分が怪物の口に運ばれていく一部始終を目にすることとなった。下卑た笑みも。強烈な臭いを放つ口が開かれるのも。その中に乱雑に並んだ歯も。それが自らを破壊する瞬間までもを、彼は見ることになったのである。

村人は、半分になった。胴体の真ん中から食い千切られて。

残された上半身の動きはまるで、陸に揚げられた魚のよう。

それもやがて収まると、邪悪な巨人は残りを口に放り込んだ。咀嚼音が響く。

やがて犠牲者を飲み込むと、この怪物は周囲を見回した。獲物はたくさんいる。今日は腹いっぱい食べられるのだ。とはいえ急がねば。仲間たちが全部食べてしまう。

衝撃。

次なる犠牲者を探して歩き始めた森巨人フォレスト・ジャイアントは、不思議そうに見た。自らの腹部。たった今のみ込んだ食事を納めた部位から伸びている、鋭利な刃は一体何なのだろう?

分からぬ。分からぬまま、巨人は死の闇に包まれていった。


  ◇


―――これで二体。

戦士は、手にした槍投げ器アトゥラトルに目をやった。この道具があればこそ、50メートルも先の巨人を仕留める事ができたのだ。とはいえ、もう槍を回収する暇はない。残りを速やかに片づけねばならぬ。残る武装は腰の剣。円屋から拝借してきた斧。懐の短剣。

走る。巨人どもの1体に目算を付ける。村の円屋を視線隠しに利用する。巨人の背後を取る。最後の5メートル、雄たけびを上げた。

一撃。

勢いの乗った斧は、怪物の足首にめり込んだ。

ゆっくりと倒れて行く、巨体。これで死なずとも、歩くことは不可能だ。

剣を抜く。更に走る。円屋の破壊に夢中になっている森巨人フォレスト・ジャイアントが顔を上げた。突っ込む。円屋の屋根は低い。駆け上がる。敵が伸ばした手を間一髪ですり抜け、跳躍。

強烈な斬撃が、巨人の喉を切り裂いた。

戦士は円屋の屋根に落下。分厚い葦のクッションに受け止められ、大地へと転がり落ちる。

これで四体。

敵勢が何匹いるかは分からぬが、こうなれば最後まで戦うのみ。

戦士は―――巨人殺しジャイアントスレイヤーの武勲で名高い旅の武人は、次なる敵を求めて視線を巡らせた。


  ◇


荒い息が響いていた。

森の中で力尽きているのは三人の男女。老夫婦と、そしてフードの女であった。

ひとまずここならば安全だろう。

女は、村の方へ目を向けた。あちらからは今もまだ、巨大な音が響いている。しかしそれは急速に少なくなっていった。巨人どもが数を減らしつつあるのだ。それも、たちまちのうちに。

相方は優れた戦士だ。刃の通らぬ3メートルの巨鬼オーガァや、城壁を打ち破る15メートルの一つ目巨人サイクロプスですら剣で倒すほどの凄腕である。

だから心配はない―――とはとても言えなかった。何しろ人間の体力には限界がある。助けが必要だった。

だから、女は立ち上がった。懐から武器を取り出す。これの威力ならば、戦士の助けになれるはずだった。

「行きなさるか」

問うた老人へぺこり。と首肯すると、女は駆けだした。


  ◇


―――しくじった!!

戦士は、窮地にいた。まさしく女が心配していたように、限界が訪れていたのである。足をくじいていたのだった。

背後から迫るのは、巨人。最後に残ったそいつさえ倒せばこちらの勝ちだというのに!!

だが、もう彼には打つ手がなかった。武装は使い切った。歩けない。万事休す。

怪物の手が、こちらに向かって伸びた。

もはやこれまでか。戦士は、死を覚悟した。

せめて敵から目を逸らすまい。そう胸に誓った彼は、だからこれから起きることのすべてを見る事ができた。

真横から弧を描いて、火球ファイヤーボールが飛んできたのも。その強力な攻撃魔法が、森巨人フォレスト・ジャイアントに命中したのも。強烈なエネルギーが解放されたのも。爆発が、怪物の上半身を吹き飛ばしたのも。

爆風が、呪符を構えた女のフードを跳ね上げたのも。

フードが隠していた女の素顔。それが露わとなる。

ひとつ目。片方の目が欠損しているのではない。顔の中央、鼻の上に、巨大なまなこがたったひとつ、鎮座していたのである。まるで一つ目巨人サイクロプスのように。

異形だった。

彼女は、足場としていた円屋から降りると戦士まで駆け寄った。

「……馬鹿。顔を隠せ」

「―――ぁ」

言われて初めて気が付いたのだろう。女が慌ててフードをかぶり直した時には既に、遅かった。

「化け物……!」「闇の者がいるぞ!!」「ひっ!?」

生き残っていた村人たち。彼らの間に、恐怖が広がっていく。

「逃げるぞ」

男は、女に助けられながら立ち上がった。急がねばなるまい。今はまだいい。巨人たちによる村の被害は甚大だ。しかし彼らが立ち直った時、女をどう見るかは火を見るよりも明らかだ。

女は人間だ、と言っても彼らは聞かぬだろう。邪悪なる怪物どもが戯れに行使した闇の魔法。その力によって異形へと変えられただけの犠牲者だ、と主張したところで、パニックに陥った群衆は聞く耳を持たぬ。特にこういう、荒事の後では。

ふたりは、村を後にした。

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