赤い角砂糖

高秀恵子

赤い角砂糖

 これは昔、看護師をしていた伯母から聞いた話です。


 ある年のお正月、私は伯母と一緒に外食へ出かけました。

伯母はホテル最上階の鉄板焼きレストランの窓から見える風景をみて、昔を懐かしんでいました。

 伯母の話によると、昔はそこに大学病院があったとのことです。

私の伯母は、昭和一桁生まれで「男の子なら将来は軍人、女の子なら従軍看護婦」という時代に少女期を過ごし、看護の世界に入ったのです。


 伯母はかつて看護界で活躍した、昔の知人の名をあげて一通りの思い出話をした後、続けて「それでもあそこの病院には怖い話が合ってね……」と、お正月だというのに、その『怖い話』を始めました。


 どこの世界にも粗忽だったり要領が悪かったりする同僚がいるものです。

伯母の職場にもそういう看護婦が1人いて、注射や包帯巻きがうまくできなかったり、物品を落として使えなくしてしまったりと、皆その人といっしょに働くのを嫌がっていました。

 なにより戦時中のことです。全員が神経を尖らせていましたし、婦長は大声でその粗忽な看護婦を叱って怒鳴り、びんたさえ咥えました。

 その看護婦も叱られ続けてますます気持ちが萎縮したのか、失敗の数は減りません。


 あるとき注射針が一本、足りなくなっていました。

今でこそ注射針は使い捨てですけど、その頃は何度も消毒をして同じものを使っていました。

 どう数えても一本の注射針が足りないのです。几帳面な婦長はその一本を探すため、看護婦全員に言いつけました。看護婦は床を這って針を探しましたが見つかりません。

 そのうち、看護婦の何人かが「私、見たのです」と言い出しました。何でも例の粗忽な看護婦が、誤って針を流し台から排水溝へと落としてしまったというのです。

「なぜ最初にそのことを言わなかったのですか。とんだ時間の無駄遣いをしてしまいました」

すると同僚の看護婦は

「こういうことは、本人が報告すると思っていたからです」

と言いました。

 そして例の粗忽な看護婦は婦長に呼び出され、≪お仕置き部屋≫と呼ばれる空室で長時間叱られました。婦長は大声で怒鳴り、びんたを打つ音がし、若い看護婦の嗚咽の声がします。

 その看護婦が縊死体となってみつかったのは、それからまもなくのことです。

 なにしろ戦時中なので誰もその看護婦に同情はしません。

 ただ看護婦の死を朝礼で知らされたとき、戸棚の下から注射の針が転がって出て来たとのことです。


 さて休憩時間になりました。珈琲も紅茶もないけれど、さすが兵隊さんの命を預かる大きな病院なので角砂糖ならあります。

 医者も看護婦も角砂糖をポットの湯で溶かして飲むのを最高の楽しみにしていました。

 が、その日、白い角砂糖を溶かしたその湯は、赤い色になったのです。

 飲むと血の匂いと味がします。

 物資不足の時代でしたが、さすがにそのお湯は誰も飲むことは出来ませんでした。それから終戦の日まで、角砂糖を溶かすと必ず赤い色になったため、誰も砂糖水を飲む者はいませんでした。

 伯母は終戦を機会にしばらく故郷へ帰り、その後はどうなったのかは知らないとのことです。


 私はその話が気になりました。

 かつて病院があったというその場所は、マンションが建っていて普通の街並みでした。

 春になってから私はその場所を訪ねました。

 喫茶店ぐらいそこにあるだろうと思ったのですが、かつての病院跡地ではどこでも喫茶店を営業しても流行らないので、皆は隣町の喫茶店へ行くそうです。

 よく話を聞いてみると、砂糖を溶かすと必ず、血の色になったため、どの店も上手く営業できなかったとのことです。


 私の足元にはなぜか、注射針がありました。

                              お・し・ま・い

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤い角砂糖 高秀恵子 @sansango9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る