雪、ときどき雨


《TCO》の世界からログアウトし、現実世界に戻ってきた玲愛れあの前に居たのは、


「んー……、むにゃむにゃ……」


 眠っている女の子でした。美少女でした。

 玲愛の胸に顔をうずめ、気持ちよさそうに熟睡じゅくすいしています。


「あ、あの……。もしもーし、涼花さーん」


 戸惑とまどいながらも優しく声をかける玲愛。

 ——そう。目の前の美女は玲愛の友人であり、《FVW》にて青藍の騎士ルークを操作していたギルドMMの構成員、水瀬みなせ涼花すずかその人でした。

 寝間着パジャマ姿になった完全にオフモードの涼花は、なぜか玲愛の部屋でそれはそれは深い眠りについていました。

 普段はばっちりと決まっている化粧も落としていて、少しだけあどけない印象です。


「……はっ!」


 玲愛は思い立ったように周囲を確認すると、眠っている涼花の胸に耳を当てて、


「——意識なし! あなたはAED持ってきてください! あなたは救急車を呼んでください!」


 最近、課外授業で習った救急救命講習の真似事でした。やってみたかっただけでした。

 ちなみにAEDとは自動体外除細動器、つまり救急救命装置のことで、VRMMORPGのタイトルの略称でもなければ、能力値を指すパラメーターの種類でもありません。


「相変わらず起きないなぁ……。おーい、起きろー」


 騒ぎ立てても起きないことに辟易した玲愛が、すやすやと夢心地な眠り姫をゆさゆさと揺すると、


「……んっ……、……。あれ、玲愛……? なんで玲愛がここにいるの……?」


 眠たそうに目を擦り、欠伸あくびみ殺して小さく伸びをした涼花。

 その口調はどこか怯えたようなもので、違和感に満ちていました。


「いやいや、ここ私ん家だけど!」

「……? あぁ……、そうだった……。でも、ごめん。もうちょっとだけ、寝てもいい……?」


 涼花の問いかけに、


「あ、うん。いいよ。ごめんね急に呼び出して」


 玲愛はすんなりと快諾かいだくしました。

 ログアウトする前に、玲愛がメッセージを送った人物、それは他でもない、今まさに目の前に居る涼花だったのです。

 まさか、ノータイムで家まで来るとは思いませんでしたが——、


「——いい。玲愛の為なら、私はどこにでも行くし、いつだって行くから……」


 そんな意味深なことを言い残して、涼花は夢の世界へと旅立って行きました。



◇◆◇◆◇



「……んっ」


 それからちょうど一時間後。

 玲愛の部屋の窓からは、すっかり西日が差し込んでいました。

 いつの間にかセットされていたスマホのアラームと共に起きた涼花が、


「……起きた。ごめん……、シャワー借りていいかな?」

「よきよー。着替えも適当に置いとくねー」


 玲愛の許可を貰うと、涼花はよろよろと歩きながら緋雲家あけぐもけの浴室を目指してフラフラと消えていき、玲愛が漫画を読んで余暇よかを過ごし、更に二十分ほど経って、


「……おはよ」

「ん、おかえり」


 水分をふくんだ髪をバスタオルで拭きながら帰ってきた涼花です。

 それから涼花の長い髪をドライヤーで乾かすのを玲愛も手伝い、ようやくひと段落ついて、


「ふぅ」「ふぅ」


 玲愛と涼花は息を吐きました。


「どう? 落ち着いた?」


 玲愛がたずねて、


「えぇ、お陰さまで。……その、悪いわね」


 涼花が力無く答え、謝罪しました。

 語気こそ力無いものの、その口調は普段通りと変わらない、深窓しんそう令嬢れいじょうを思わせる毅然きぜんとしたもの。


「気にしないでくれたまえ。いっつもは私が迷惑かけてるからね!」


 玲愛は、にぱっと笑ってブイサイン。

 極度の不幸体質をかかえた玲愛に同じく、涼花も少し変わった問題を抱えていました。

 一つ目はとても単純。〝とっても重度の低血圧〟。

 寝起きが非常に悪く、午前中はいつもぐったりとしています。

 《TCO》サービス開始初日。第二世代VR装置を購入した日は玲愛が中学を卒業し、久しぶりに朝から見た涼花はそれなりに元気に見えましたが——、

 この様子を見るに、改善には至っていない模様。

 

 そんな抗い難い体質の問題に加えて、二つ目は精神面での瑕疵かしです。

 水瀬涼花という少女は、現実、仮想現実を問わず、極端なまでに、〝外見を繕うこと〟に偏執的なこだわりを持っています。命を懸けていると言えるほどです。

 中でもに関しては、特に敏感です。

 お洒落な私服に身を包んでいないと、不安で不安で仕方がない——、そんな不思議な感性。

 それは、一部の親しい友人にしか明かしていない、少女の秘密。

 彼女にとって、この世界での〝オシャレ〟とは、趣味や自己顕示欲とは程遠い、言わば〝武装〟に近い何か。

 普段は毅然とした態度を崩さない深窓の令嬢も、ひとたびその〝鎧〟を脱いでしまえば、ごく普通の気弱な女の子なのです。


「それにしても、なんでわざわざ寝間着パジャマのまま来たのさ?」


 玲愛の素朴そぼくな疑問に、


「……私、《TCO》のサービス開始初日に、玲愛にメッセージ送ったでしょ?」


 玲愛が出した紅茶を一口啜ってから、涼花は問いで返しました。


「あー、うん、あの暗号みたいなやつ」

「それで、その、心配で。でも、寝てたから。でも、玲愛から久しぶりにメッセージが来て……」


 たどたどしく言葉をつむぐ涼花は、少しだけ悲しそうな顔をしていました。


「ふむふむ」

「タクシー呼んで、なんとかここまで来て、輝子てるこさんに家に入れてもらって……」

「あー……」


 玲愛は、なんとなく状況を把握はあくしてきました。

 察するに、多忙たぼう皐月サツキと単独行動している玲愛を除いたMMの三人は、スタートダッシュの為に睡眠時間を削り、全力でゲームに打ち込んでいたのでしょう。

 昼夜を問わずにプレイし続けた末、慢性的まんせいてきな寝不足におちいり、当然のように生活リズムは崩れます。

 いくら休日とはいえこんな時間に眠っているのですから、どれほど無理をしていたことか、想像するにかたくありません。

 ちなみに、涼花が〝輝子さん〟と呼んでいるのは同居している玲愛の祖母のこと。

 少しだけ調子を取り戻した涼花が恥ずかしそうに咳ばらいを一つして、


「早速だけど、相談ってなに? 聞くわよ」

「そうそう——」


〝そのことなんだけどねー〟と二の句をごうとした玲愛の言葉を——、

 

 きゅーっ。


 小動物の鳴き声のような音がさえぎりました。


「……」「……」


 不思議そうな顔の玲愛と、赤面する涼花。

 どちらが発した音なのかは自明の理です。


「もしかして、涼花、お腹——」

「幻聴」

「え? でも今——」

「幻聴!」


 涼花が有耶無耶にしてゴリ押そうとするので、


「……」


 ——分からない。なぜ誤魔化すのか、分からない。

 玲愛は心の中で一句読みました。真顔でした。


「……」


 涼花も真顔でした。ただし、顔は赤いまま。


「……!」


 玲愛が思いつきました。


「……?」


 涼花は首を傾げます。


「……アーナンカ、オナカスイタナー!」


 気をつかった玲愛が棒読みで言って、


「……。もうやだぁ……、死にたい……」


 真顔のままやり過ごそうとした涼花でしたが、へにゃへにゃとしおれてへなちょこに戻ってしまいました。

 眠気は覚めたようですが、未だ完全にはスイッチが入りきっていない様子。


「よしよし、おじさんとコンビニ行こうね……」


 諧謔心かいぎゃくしんを煽られ、わざと棒読みで意地悪をした玲愛ですが、実はそれなりに空腹でした。

 すっかり腹ペコキャラへと転身をげた涼花を連れ出して、玲愛は近所のコンビニへと向かいました。

 

 夕焼けの中を歩く道中で、


「少し肌寒いわね」


 冷たい風から庇うように、涼花が自分の身体を掻き抱きます。


「……ほんと、よくパジャマ一枚で来たね」


 六月とは言えど、ここは日本最北端の都道府県——、北海道。

 特に今日は冷え込みが激しく、風も少し吹いています。

 玲愛から借りたパーカーを羽織った涼花が、


「帰りもこのパーカー借りていっていいかしら? 少し胸がきついけど、暖かくていい感じだわ。それに……、なんかいい香りがする……」


 くんくんと服の袖を匂いながら訊ねました。恍惚の表情でした。まごうことなき、変態の顔をしていました。


「別にいいけど……、その……、変なことしないでね……?」

「しないしない。ふりかけにしてご飯にかけるだけ」

「もしかして、馬鹿なの?」

「えぇ……、じゃあ百歩譲って、顔を埋めて興奮するのは許して」

「……あぁ、うん……。もうそれでいいかな……」


 玲愛は諦めました。

 若干以上に変な方向へと調子を取り戻してきた涼花です。

 道路沿いを数分歩き、横断歩道を一つ渡ると、二人はすぐにコンビニに到着しました。

 繁忙時を間近に控えた客足が少なめの店内で、


「うーん……、むむむむむむむっ……」


 世界を取るか、愛する人を取るか——、そんな究極の選択を迫られている勇者みたいな表情を浮かべて、しゃがみ込む玲愛に、


「なにを悩んでいるの?」


 涼花が後ろから問いかけました。


「んー? どっちにしようかなぁと思って」


 玲愛の両手にはミルクチョコレートのクランチエクレアとツインカスタードのシュークリームが乗っかっていました。


「……」


 涼花は真顔でした。冷えきった表情でした。


「馬鹿にしてる顔だ」

「正解」

「ま、背に腹は代えられないよね」

 ——結局、エクレアとシュークリーム、それから杏仁豆腐とむっちんプリンを全てカゴに入れた玲愛です。

「いくら食べても太らないって、女の子にとってはどんな才能よりも羨ましいチート能力よね……」

「え? なに?」

「……なんでもないわ。沢山食べて大きくなりなさい」

「任せて!」

 カロリーと睨めっこしつつ、自分の買い物を済ませる涼花の視線が、槍のように刺さっていました。


「そういえば、私に用事ってなんだったの?」

「あぁ、家に戻ってからスクショ見せるよ。翻訳ほんやくしてほしいところがあって……」

「翻訳? 宿題なら手伝わないわよ?」

「違う違う、ゲームの話! 手に入れたアイテムの説明なんだけど、書いてあることが小難し過ぎて分からないんだよね」

「……なるほどね。理解したわ。そういうことなら、私を選んだ貴女の人選はかなりいいところを突いているわ。貴恵は馬鹿だから論外だし、遊理は頭が良いけど、掻い摘んだ説明には向いていない。凡人の感性を理解出来ない天才って、馬鹿よりも厄介よね」


 キレを取り戻してきた涼花の毒舌です。


「……あはは」


 身も蓋もないひどい物言いですが、玲愛が三人の中から涼花を選んだ理由とおおむね同じなので、返す言葉もありませんでした。


「……かなりメタ寄りのつまらない考察だけど、意味が伝わりにくいアイテムってことは、それだけ複雑で強力な効果を持っている物って可能性が高いわけよね。どこで手に入れたの? それ」

「なんか、期間限定のやつ、みたいな?」

「クエスト報酬……、かしら?」

「そうそう」

「…………それって、まさか〝闇に潜む者〟のことじゃないわよね?」

「それだ」


 即答する玲愛に、


「……………………。誰に連れて行ってもらったの?」


 涼花はかなり悩んでから、三度みたび訊ねました。


「ふっ、私はソロプレイヤーだぜ?」

「……」

「……え、なに。その顔はちょっとわからない」

「答えは、〝何を言っているんだコイツ、と思っている顔〟——よ」

「私の信用とは!」


 両手に持ったツナマヨと昆布のおにぎりを悩みながら憤慨する玲愛と、


「むしろ、今の話と貴女の過去の活躍を比較した上で、どこに信憑性を感じればいいのか教えてほしいわ」


 涼しげな顔で論破した涼花。


「うっ、泣くよ?」

「泣けば許されるのは幼稚園までよ」

「正論だ!」

「えぇ、正論よ」


 二人は会計を済ませて、仲良く玲愛の自宅へと帰りました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最強ギルド最弱の少女は出荷枠を卒業したい。 灰乃ニト @nito_haino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ