第3話 安部副部長 爆誕
文化祭が終わって部長に昇格した角田さんと、副部長に任命された私で、一年生五人と二年生六人をまとめ上げなければならない。三年の先輩方八人が抜けた穴は大きい。
と、いうわけで、文化祭の打ち上げに来ているというのに、私たちは脚本を開いて読み合いをしていた。近藤さんの役がぽっかり空いたまま。仕方がないのでそこを私が読む。本のあらすじはこうだ。嘘をきっかけに仲良くなったふたりが、嘘がばれることを機にバラバラになっていく。これはもしかすると私たちふたりのことかもしれなかったし、それとも全然違う誰かのことなのかもしれなかった。
「でもこの本、なんか微妙ですよね」
一年の葛西さんが呟いた。
「え、そうかな」
「嘘にリアリティがないっていうか」
「持ってないものを持ってるとかさ、嫌いなものを好きって言うとか、嘘の初歩って感じがする」
「高校生の吐く嘘って感じじゃないよね」
「筋金入りの嘘つきなんでしょ、この人」
「もっと高等な嘘を吐きそう」
葛西さん、浅間さん、角田さんに畳みかけられて、HPがごりごり削られる。脳みそ少女漫画、の近藤さんのセリフが蘇ってきた。というかあれは少女漫画に失礼じゃないだろうか。萩尾望都とか読んだことある? 少女漫画が悪いんじゃなくて私が少女漫画ばっか読んで現実の人間関係を拒絶していたから悪かったんだよ! って頭の中の近藤さんに言い返してみる。
「高等な嘘って、例えばどんな?」
私はテーブルを囲むみんなの顔を一人ひとり見回した。
「うーん……」
「ぱっと見はバレないけど、二人三人をとおして確認してみて初めて全貌が見える、みたいな」
「なにそれ壮大……」
「安部先輩が書くとなんかみんなすげぇいい人なんですよね」
「人の悪意を信じない女、安部」
「それ」
「嘘つきってめっちゃ意味もなく嘘つきますからね」
「この本の嘘は必然に駆られての嘘に尽きるからなんか、リアリティが」
「え、でも待って、リアルを追及して物語がおろそかになると困る」
「まぁそれはそうなんですけど」
葛西ちゃんは腕組みしてソファに沈み込んだ。
「物語の鍵として嘘を使いたいんだけど」
「そもそも嘘の定義ってなんだと思います? 精神病の症状のひとつに作話ってあるんですけど、それは嘘とは言わないですよね」
一年の久保田君が珍しく口を開いた。
「え。作話? なにそれ」
「話作っちゃうんですよ。でも例えば記憶力が弱くてそうなるとか、言語統合って言って、統合失調症の初期症状ですね。言葉が連想ゲーム状態になる症状があって、そういうのは他人から見たら嘘ですけど、本人には嘘じゃないんで」
「えーっと、この主人公は嘘を自覚してるので、そいうのとは違うかな」
「久保田君やば、オタク……」
「そもそも、とかいう切り口で会話始める人ラノベ以外で初めて見た」
「じゃあこの場合の嘘の定義は、話してる本人が偽りであると自覚している虚偽、あるいは意図的に伏せられた真実としていいんじゃないですか」
久保田君はヤジに負けず、するするとそれだけ言い切って、オニオンリングにかじりついた。
「ホームズじゃん」
「カンバーバッチ?」
普段やる気のない久津さんが前のめりになって久保田君の顔を覗き込んだ。
「萌えセンサー反応しない、だめ」
「久津が喋るの久々に聞いた」
部長さんが呆れている。
「っていうか、なんでみんなうちで打ち合わせしてんの?」
追加のポテトとジュースを運んできた近藤さんが、呆れたように言った。
「文化祭の打ち上げだよー、近藤ちゃんも参加したら?」
「嫌味か。バイト中だっての」
角田さんと近藤さんは少しだけ仲が良さそうに見えた。どうして近藤さんは部活の時、角田さんじゃなくて私にばかり話しかけたんだろう?
「安部ちゃんの提案なんだよ。いつもファミレスで打ち上げするじゃん。でも今回は、ハンバーガー食べに行こうって」
沖君が言った。沖君は軽音楽と兼部でなかなかこっちには来てくれないけど、イベントの時はかならず顔を出してくれる。社交的なのだ。
「うまいっすね。俺ハンバーガー嫌いだけど、ここの店のなら無限に食える」
さっきから食べてばかりでほとんど発言しなかった西君が、ようやく顔を上げて言った。西君の肌は、白くてもちもちしていて、求肥に似ている。
「ありがとー。店長に私から伝えとくねー」
近藤さんはさわやかに笑ってまた店の奥へ消えて行った。
「え、ってかこのキャラクターのモデル近藤先輩ですよね? 近藤先輩の意見を聞くのが一番手っ取り早くないっすか?」
サッカー少女の志木さんが言った。校内に女子サッカー部が存在しないため、地域のサッカーチームに所属している。演劇もそこそこ気に入ってくれているみたいで、練習も熱心だし、裏方の仕事も手伝ってくれて、オールマイティな存在だ。
「それ暗に近藤先輩のこと嘘つきって言ってることにならない?」
葛西ちゃんと志木さんが目を合わせたまま無言でにらみ合う。
「まぁそうだけど。でもそれ以外言いようがなくない?」
「私は嫌だけど。そういう風に言われるの」
「だってほんとのことだし。あたしは嘘つく人の気持ちとかわからないから。本人に聞いた方が早いでしょって思っただけ」
「だからそれ、失礼でしょってさっきから言ってんだけど?」
二人の険悪な雰囲気に男子部員が全員地蔵と化している。
「嫌なんですよね。嘘ついてヘラヘラして適当に生きてる人見ると。真面目に生きろやって思いません? 嘘ついて相手にいいように思われて、なんかメリットでもあるんですか?」
志木さんはストイックだ。私は嘘が吐けないだけだけど、志木さんは嘘そのものに嫌悪感を抱いているらしい。
「だからって本当のこというのが偉いわけ? 場の空気凍らして、相手傷つけてもいいと思ってんの? 自分のこと何様だと思ってんだよ」
葛西さんが吐き捨てた。
「空気は読むもんじゃないよ、吸うもんだよ~」
一年の吾妻君が言った。私は吾妻君のことをほとんどよく知らない。でも一応、気を遣ってくれているのかな? 場の空気を和らげようとしてくれているのかも。案外いい子だったりして。
「安部先輩はこの役近藤さんにやらせたいのかもしれないけど、そもそも本人やる気ないんですよね? それって他の真面目にやってる部員に失礼じゃないですか? 私とか沖先輩みたいに兼部とかほかにやることやってる人ならまだしも。そうじゃないの?」
志木さんはそう言ってみんなの顔を見まわした。一年の子がそれぞれ凍りついている。チン、角田さんがテーブルの上のベルを鳴らす。
「私は、近藤が戻ってくるって、信じてるけど。ねぇ安部」
「あ、うん。そう、そうなの。近藤さんに絶対戻ってきてほしい」
「でもそれって安部先輩の単なる願望ですよね?」
「志木ちゃん、意外と厳しいね」
「厳しいってか、事実を言っているだけなんで。順番で言うと浅間先輩が次主役じゃないですか」
浅間さんは憮然としている。確かに一番配役に不満がありそうなのは浅間さんだった。
「いや、私は近藤さんが適任だと思ってる。浅間さんも魅力的だけど、でもこの役は、近藤さんにどうしてもやってほしい」
「それってつまり安部先輩個人の思い入れっていうか、まぁ要はエゴですよね」
「志木お前めっちゃ喋るな。とりあえずこれ飲んだら?」
西君が志木さんに飲み物を勧めている。志木さんは西君に注意を払わない。これは、ここは、私が副部長として何か言わないと……。
「私は。わたしは、この部活あんまり好きじゃないっていうか、なんか向いてないなってずっと思ってたんだけど。だから、時期副部長、安部を念頭に考えてるよって言われた時も、なんかなって思って。私でいいのかなって。でもなんか。近藤さん見てたら、あ、お芝居って面白いなって、すごいなって思って、だからその、なんていうか、だからつまりあの。あのーーーーー、私は近藤さん含めた十一人で、力を合わせて、全国大会目指したいです!!!」
「え、こないだは県大会って言ってたじゃん」
テーブルの脇に突っ立った近藤さんが呆然と呟いた。
「あ、近藤さん、なんで」
なんでそんな都合よくあらわれるの。
「いや今ベル鳴らしたでしょ、注文は」
「あ、私このベルガモットティーお願いしまーす」
「俺メロンソーダ」
「私はウーロン茶」
「他は? ない?」
「……水」
浅間さんが空のコップを近藤さんの方にどん、と置いた。
あ、そっか、角田さんが、チンって鳴らしてたんだっけ。完全に発言権を主張するための効果音だと思っていた。テレビ番組の影響だろうか。注文を取りに来たのか。
「近藤先輩」
志木さんがガタンと立ち上がった。
「さっきの安部先輩の話聞いてましたよね。近藤先輩の、お返事は」
「え、いや、聞いてたけど。相良先生が無能でまだ退部届受理されてないらしくて、私まだ演劇部員なんだよね。それでまぁさ、不満な人もいるだろうけど、ってかこんな状況だからさ、下手したら練習も満足にできないかもしれないんだけど、あの、良かったらまた仲間に入れてくれない?」
「え、でも本気ですか? 全国って……」
「実績も何もないのに無謀ですよ」
「私まだまだ副部長としても全然頼りないし、角田さんに頼りっぱなしなんだけど、でも、頑張るから! お願いします。みんな力を貸して!」
私も立ち上がって頭を下げた。
「え、てか演劇ってそんなガチなやつなんすか?」
西君が困ったように言った。
「俺あんまり頑張りたくないって言うか」
と額をぽりぽりと掻く。
「俺は文化祭終わったし、軽音しばらく暇だから、手伝ってもいいよ」
「まぁ私も、他に頑張ることないし。部活で成果出したらAO入試でワンチャンあるかも? 弱小演劇部で成り上がった話とか、良さげじゃないっすか」
葛西さんと沖君が優しい言葉をかけてくれて、元気が出た。
「軽めの部活だと思って入部してくれた一年には悪いんだけど、今年はどうしても、頑張りたい。そのためにみんなの力が必要なの」
プリキュアのシーンでこういうのあったな、と思いながらセリフをひねり出し、頭を下げ続ける。しん、としていた空気の中、不意に透き通った久保田君の声が降ってきた。
「面接って最適停止問題って言われてるんですけど、つまり集まったカードの平均から常に最適な選択肢を選び続ける、前よりもいい、他のカードよりもいいかどうかっていうのを常に比較されるんです。演劇って相手の“最適”を読み取って、そこにはまる技術が磨かれるんじゃないかと期待しています。つまり俺の意見は、全国大会出場を目指すのに賛成ってことですね。進学にしろ就職にしろ、最終的に面接で自分たちの価値を判断されるわけですから。それにさっき触れた演劇の定義、近藤先輩の普段の嘘に近いと思ってます」
「え、ちょっと待って何言ってるか全然わからなかった」
ふと顔を上げると、飲み物を持ってきた近藤さんが、動揺のあまり浅間さんのコップから冷水を溢れさせている。あわててみんなで拭く。
「なんの話だろって思ってたら急に私の名前出てくるから……」
「久保田君もうすこしわかりやすくできる?」
「あー。つまり、演じる技術って、自己演出、というかわかりやすく相手に伝える技術じゃないですか。それを極めたのが近藤先輩だと思う」
「自己演出? 演じる技術? うん? ……ちょっと、君らの話声デカいからずっと聞こえてたんだけど、みんな私のことそんな嘘つきとか筋金入りとか病的とかそういう風に思ってた?」
「……」
黙り込む一同。
「まぁ正直いい人すぎてうさんくさいとは思ってました」
「さわやかすぎて嘘っぽいっていうか。陽キャの風を感じて痛かったよね。闇属性に毎ターン固定ダメージ」
志木さんと久津さんが次々に口にした。
「隙がない、ですよね」
久保田君も容赦がない。
「ぼくは好きですけど、近藤先輩」
吾妻君が言った。近藤さんが吾妻君の頭をわしわしと撫でる。吾妻君は身長が一五〇センチほどで、小柄で可愛い。
「私は近藤さん嫌いなんだよね。まじで」
浅間さんが足を高く組んだまま言った。どうしよう、バトルの気配を感じる。
「嘘っぽいってか、中身が空じゃん。ガワだけでさ。陸上でいじめられたとかっていうのも、なんかわかる気するんだよね。はなから人のこと見下してない? そういう態度がすげぇムカつく。深く関わる気はありませーん。自分のこともみんなのことも他人事、みたいなとこ」
なまじ見た目がいいのもムカつく。と浅間さんは言った。そういう浅間さんもきれいなのだ。派手で整った顔立ちをしている。しかしなんというのか、親しみやすい可愛さの近藤さんと比べて、浅間さんは人を寄せ付けないオーラを放っている。負の美人、というか。そういう浅間さんが近藤さんを毛嫌いするのは、なんとなくわかる気がした。
近藤さんが、す、と形のいい鼻から息を吸い込む音が聞こえた。
「さっきから聞いてりゃ勝手なことガタガタぬかしやがって、お前ら全員いい加減にしろよ張り倒されてぇのか」
「え、かっこいい」
沖君が小さくつぶやいたのが聞こえた。
「沖氏ドМかー、まじやば」
久津さんがスマホに何かメモしている。
「沖君は張り倒されたい」
という文字列が見えた。
おんなのこはうそつき 阿瀬みち @azemichi
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