第2話 私を県大会に連れてって
それ以来近藤さんは演劇部の練習にも顔を出さなくなって、いつの間にか辞めてしまった。私は近藤さんとの間に起こった出来事を誰にも話せなかった。顧問にも「近藤には期待してたんだけどな。安部、仲良かったみたいだし、もう一回説得できない?」と言われてしまった。傍から見ても私と近藤さんは仲が良さそうに見えていたらしい。なんだか虚しい。
近藤さんは学校には来ているらしかった。でも彼女が部活を辞めて以来、一度も顔を合わせていない。きっと避けられている。はじめから決して、好かれてはいなかったのだろう。胸が痛む。仲良くなれたと思っていたのは、私だけだったのだ。そもそも私と近藤さんは雰囲気も違うし、はじめから不釣り合いだった。おかしいと疑うべきだった。舞い上がってしまって、冷静じゃなかった。
「安部大丈夫? 最近元気ないね」
角田さんに声をかけられてどきりとした。目に見えて落ち込んでいたんだなって思うと恥ずかしくて、顔を上げられない。
「近藤さんのこと?」
「あ、」
そう言えば、最初に近藤さんの悪い噂を耳にしたのは角田さんからだった。
「私も本人から聞いたわけじゃないからよくわからないんだけど、近藤さんの家、複雑らしいよ。お母さんが離婚して、それで、陸上部の子たちともだんだん険悪になって辞めたって。実は近藤さんを演劇部に誘ったの、うちなんだよ」
「え? 角田さん、そう言えば」
近藤さんと同じクラスだっけ。
「陸上部の佐倉さん、建築事務所所長の娘とかでなんせ金遣いが荒くて、ほら、取り巻き普段からいっぱい連れてるじゃん」
「あ、取り巻き……」
五人の女の子たちがフラッシュバックする。香水をとられたって言ってた、あの一番派手な子が、佐倉さん? そう言えば文化祭でも舞台の一番近くでひそひそ笑ってたっけ。
「文化祭のTシャツの発注とかも全部佐倉さん、っていうか佐倉さんの家の人がやってくれたんだけど、近藤さんのシャツだけズタボロにされてて、なんかはっきりと、明らかに、いじめられてる」
「そんな」
「うちの部活なら人間関係のややこしいのないよって、私が近藤さんを呼んだんだけど」
「そうだったんだ……」
「ごめんね、近藤さんにも言っておけば良かった」
「ううん」
「佐倉さんたちに何か言われたんでしょ? 顔真っ白だった」
「見てたの?」
「うん、声かけれなくてごめん」
恥ずかしくなって私はますますうつむいた。香水の件を角田さんに聞いてもらおうかと一瞬思ったけど、やっぱり話せないなと思って、言葉を探す。
「その、近藤さんがいじめられたきっかけって?」
「わかんないけど、気がついたら話が大きくなってたなって感じかな。部活の中の内輪ノリだったのがだんだんクラスの連中まで感化されてそれで……だからせめて放課後だけでも、他の居場所があったらって思ったんだけど、結局うちでも近藤さんポツンとひとりでいることが多かったし、申し訳ないことしたね」
「そう、なんだ……。私、なんか、悪いことしたかも。その、近藤さんあんなに話しかけてくれてたのに、全然うまく答えられなくて、っていうかむしろ、怖いとか思ってたし、だから……」
私の言いたいことは相変わらず言葉になる前にボロボロ崩れて行ってしまって、全然相手に伝わらない。意味が糸くずみたいに解けていく。
「安部ちゃんは悪くないよ」
ああ、泣きそうだ。
私は言いたいことひとつ満足に言葉にできないで、だからみんな私の言葉の隙間を優しい言葉で埋めてくれる。近藤さんが鋭い言葉で私の隙間を刺したのは、近藤さんが慰めとか優しさを必要としなかったからだ。私はなんて弱いんだろう。弱さゆえに弱さを許されていて、弱さをこれみよがしに振りかざしては優しい言葉だけを吸い取ってしまう。最悪だ、最悪だ、さいあくだ。
「そんなんだから脳みそ腐った少女漫画キャラみたいなセリフしか書けないんだよ」
脳裏に近藤さんの声が鮮烈によみがえる。
ほんとにその通りだな、と心から思った。
私はその足で顧問のところに走った。
「先生、近藤さんと連絡とりたいんですけど」
個人情報がどうのとかって、教えられない、と言われる。そこをなんとか。私は頭を下げた。教えてもらうまで頭を上げないつもりだった。先生は大きくため息をついて、「これ、近藤の作りかけの衣装なんだけど、先生の代わりに届けてあげて」先生は近藤さん家の電話番号と住所のメモをくれた。
私は近藤さんの衣装を完成させて、学校を抜け出した。電車に飛び乗って、近藤さんの家を目指す。
スマホに住所を入れると、駅からの道順が表示された。案外歩く。私は地図アプリとにらめっこしながら見知らぬ街を進む。近藤さんが住んでいるのは雑多な繁華街の近くの住宅地だった。
思っていたよりも人通りが多い。
「ん、安部ちゃん?」
不意に近藤さんの声がした気がして、あたりをきょろきょろと見まわす。
「おーい、あべちゃーん、こっちこっちー」
ご当地ハンバーガー屋さんのレジに、近藤さんはいた。
「え、何バイト?」
「んー、うち家計厳しいんで」
「あー、じゃあ私、ビーフわさびバーガーセットください」
「飲み物は」
「ジンジャーエール」
「サイズは?」
「あー、えと、エル」
「持って帰る? 中で食べてく?」
「食べてく」
買い食い、初めてだ。
実は私は校則で禁じられていることはいまだかつて破ったことがない。
「じゃあ番号札どうぞー。できたらお持ちしますねー。お時間十分ほどいただいてまーす」
部活をさぼって買い食いをしている。罪悪感から挙動不審な感じで、奥の小さな二人席に座った。そわそわと指を遊ばせながらハンバーガーが来るのを待つ。
「お待たせ」
近藤さんはなぜか二人分のハンバーガーを手にしていた。
「一緒に食べよ」
「え、レジ、いいの?」
「店長が替わってくれた。どうせ今の時間暇だからね」
「じゃあ、いただきます」
ハンバーガーの味、よくわからない。初めての買い食い、近藤さんと。なんかよくわかんないけど、めちゃくちゃどきどきする。
「あ、近藤さん、私近藤さんに衣装返しに来た」
「あー、捨ててくれていいよ」
「そんなわけにはいかないよ、頑張って作ってたじゃん」
「まあねー。演劇部けっこう楽しかった」
「でしょ、絶対向いてるよ! 近藤さんのお芝居、私好きだよ」
「普段から嘘ばっかついてるからね」
近藤さんは机に両肘をついたまま小さな口でハンバーガーにかじりついている。こういうときなんて答えたらいいんだろう。わからないな、どうしよう。
「泥棒する友達なんか、嫌でしょ。欲しくないでしょ」
「え、あ、えー、と。そんなこと、ないよ」
「安部ちゃん嘘がちょうヘタだな」
近藤さんは笑った。
「でも盗んだものもらうのは嬉しくない」
「わかってる。ごめんね。でも私さ、他に安部ちゃんにしてあげられること、あげられるもの、他にないからさ。どうやって仲良くなったらいいかとか、わかんないんだよね」
近藤さんはポテトをつまむ。
「いらないよ、別に、なにも」
「え?」
「ごめんね、私上手く人と仲良くなれなくて、どうやったら距離が縮まるかとか、全然わからなくて。近藤さんのことも、怖いなって。だって近藤さんみたいに可愛い人が私と仲良くするとか変だなって。怖い。いつかぽいって、捨てられちゃうのかなって」
「あはは、そっか」
「ごめん。全然近藤さんのこと信じてなかった」
「それはやっぱさ、安部ちゃんが嘘を吐くのが下手だからだよ。ね。だから上辺だけで仲良くしようとした私に、上辺の言葉を返せなかったってことだと思う。私の嘘まみれの言動を全部、見抜いてたんだね、きっとね。それはすごいかっこいいことだから、安部ちゃんは嘘を吐くのがうまくなろうとか、思わないでいてほしい」
近藤さんは手をナフキンで拭くと、空のトレーを持ち上げて、
「ゆっくりしてってね」
と微笑みかけた。
なにか言わなきゃ。そう思うほど、喉が締め付けられて声が出せない。
近藤さんはカウンターの中へ入っていく。私の目の前で、ポテトがどんどん冷めて固くなっていく。
*******
冷めて固くなったハンバーガーとポテトをなんと喉の奥に押し込んで、店を出たときにはもうすっかり辺りは暗くなっていた。
私はもう一度地図アプリを起動して、近藤さんの家を探した。まるでストーカーみたいだ。散々迷子になって、見つかった家は、日当たりの悪い小さなハイツだった。もちろん近藤さんはまだ帰ってきてないし、家にも誰にもいない。私は辺りをうろうろしながら時間を潰して、近藤さんが帰ってくるのを待った。衣装を受け取ってほしい。それにもう一度、部活に来てほしい。できたら私が、近藤さんの居場所になりたい。そのせいで他の誰から疎まれてもいい。私は、
スマホをちらりと見ると、お母さんからLINEが来ていた。家に帰ってこない私を心配してくれているらしい。「遅くなるね」「用事できたから」それだけ送って、スマホをしまった。
「安部ちゃん、じょしこーせーがこんなところで寝てたら危ないよー」
「あっ! 近藤さん」
ぽんぽん、と肩を叩かれてふと目を覚ました。私はハイツの階段のところにうずくまり、寝てしまっていたみたいだった。
近藤さんは仕方ないなー、とか言いながら、私を家にあげた。家の中は真っ暗で、質素で簡素だった。LDKの部屋に小さな白いテーブル。無機質な金属のラック。壁にかかったコート。お洒落な帽子。
「眠気覚ましになるものってなんだろね、お茶とか、あ、コーラ?」
近藤さんはそんなことを言いながら、冷蔵庫の中からペットボトルの飲み物を取り出す。
「んー、ごめん」
私はまだ眠くて、近藤さんの家でゴロンと寝転んで床と同化してしまう。緊張しすぎて今日はもう人の形を保てない。人前で食事するとかエネルギー一ガロン消費する。
「安部ちゃんは不用心だな」
「ううう……」
眠さのあまりうめき声しか出ない。でも私はなんでこんなどろどろに溶けながら近藤さんの帰りを待ってたんだっけ? 衣装を……そうだ衣装、部活。
「近藤さん!」
むくっと起き上がった私に足首を掴まれて
「うわぁ」
近藤さんが持っていたお盆を投げ出した。ペットボトルとメラミンカップが床に転がる。
「部活帰っておいでよ! 私あのこと誰にも言ってないから!」
「安部ちゃんが言わなくても佐倉さんたちが勝手に言いまわるよ」
近藤さんはへら、と笑った。
「あー、あの、えっとーーその、近藤さんは悪くない!」
「え、でも私ドロボーだよ」
「悪くないよ! 悪いのはほら、そのなんていうか、あー、日本の! 法律は! 私刑を禁じています!!」
「え?」
近藤さんが困った顔に笑顔を張り付けている。
「わかる? どろぼーしたからっていじめられていいなんて理屈はないから!」
「いやー、あるんじゃないかなー?」
「近藤さん! 私を県大会に連れてって!」
私は近藤さんの両手をがっしり掴んだ。近藤さんはめんどくせー、と呟いて私をクッションの上に寝かせた。
「スマホ出して」
「え、あ、はい」
「うわー、見てこの通知の山」
「あ、ママだ。今何時?」
「九時半」
「どうしよ!門限……!」
近藤さんはどうしようもない人を見る目で私を見て、ママに電話をかけた。
「あ、もしもし。安部さおりさんのお母さんでしょうか。私安部さんと同じ演劇部の部員なんですが。安部さん具合を悪くしてうちで休んでまして。連絡が遅くなって申し訳ありません。私の忘れ物を届けにですね、見知らぬ街に来て道に迷っていたみたいで。そうなんです。やっと家にたどり着いた安堵からか、今寝てますー。できたら車でお迎え、お願いできますか?」
近藤さんのなめらかでよどみない話し声を聞いているとなんだか安心してまた眠気が蘇ってきた。私はもう一度床に伏せる。近藤さん家は新しい家の匂いと置き型ファブリーズの匂い。ああ、なんか落ち着く。
「近藤さん、一緒に県大会行こうね……」
ゆめうつつな気分で、私は呟いた。どうしよーもねーなー、と近藤さんが呟く声が聞こえて、私の体を柔らかいブランケットが包む。電気がぱちりと消えた。
*********
私は脚本を大幅に書き換えた。全部近藤さんのためだ。昼休みに顧問に提出しに行く。「先生、私、今の演劇部のみんなと、全国大会出たいです!」また頭を下げた。先生はやれやれ、って感じで、一緒に脚本を直してくれた。
「近藤の代役どうする?」
「いや、それは近藤さん以外考えてません。絶対連れてきます」
「安部、なんかたくましくなったね。あんなに部活嫌がってたのに」
「バレてたんですね……」
不満とか不安は声にださないようにしていたのに、結局全部周りにバレてたんだなぁと思う。私は筋金入りに嘘が吐けないみたいだ。
「絶対近藤さん連れてきます。でも一つ問題があって、彼女の家の事情、先生知ってます?」
「人づてに聞いたレベルだけど」
「近藤さん色々忙しくて、でもそれは事情があってしょうがないことなんです。バイトが休みの日と週末だけの参加になるって、他の子の説得、先生も協力してください」
「でもさ、安部がいくら頑張っても、最後に決めるのは近藤だから」
「わかってます」
放課後、一目散に私は近藤さんのクラスに走る。近藤さんが帰ってしまう前に話しをしなくては。廊下で近藤さんの後姿を見つけ、ぎゅっと手を握る。近藤さんはぎょっとした様子で振り返った。
「部活行こ!」
「だからダメだって。今日はバイト」
「休みの日だけでいいから! 先生にはもう話してある」
「えー、安部ちゃんいつからそんな熱血キャラになったの?」
「昨日から!」
「もー、私別に自分で演劇やりたいとか一言も言ってないからね」
「でも! 舞台の上の近藤さん、すごい活き活きしてた。文化祭の時の、あのときの近藤さん、嘘なんか一つも吐いてなかったじゃん」
「……わかるの?」
私はうなずく。近藤さんの手が私の手をするりとすり抜けて、階段の方へ向かっていく。
「近藤さんのこと、ずっと待ってるから」
私は近藤さんの背中に叫んだ。近藤さんの耳がほのかに赤くなっているのが見えた。
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