ウロボロスの日記帳

@abutenn

第1話

 妹の美香は三年前に死んだ。


 仲の良い姉妹だと思われていたし、わたしも仲の良い妹だと思っていた。


 死んだ原因は病では無かった。


 ある日深夜に歩いていたら、拉致されて、散々暴行と陵辱を繰り返された上、全裸で発見されたのだった。


 犯人は未だに捕まっておらず、当時としては凄惨な事件としてマスコミには大々的に取り上げられて、しばらくはマスコミが自宅の前にも殺到した。


 美香は美人に分類される整った顔立ちでもあり、事件としても人気があった。


 何故、美少女である美香は殺されなければならなかったのか。


 粗野な男たちが面白がって弄んだのか、あるいは、誰かの恨みを買って死んだのか、ありとあらゆる憶測が飛びかったが結局のところ犯人は逮捕されず、事件は解明されなかったため真実は誰一人として知るものはいなかった。


 親族であるわたしたちは、しばらくの間悲しみんにくれ、喪に伏し、一通りの儀式を終えて日常に帰ることができるようになった。


 ただ、部屋だけは片付けることが出来ないでいた。


 部屋を片付けてしまえば美香はもう二度と帰って来ないような気がしていて、さらわれた時のまま保存してあって、定期的に綺麗にされている。


 ありふれた高校二年生の部屋。ベッドがあって、好きなアイドルのポスターが貼ってあって、机の上には途中まで宿題をやっていたのか数学のノートと教科書が閉じられた状態で置いてある。


 ブレザーがクローゼットの前にぶら下がっており、特に何かが散らかっている訳ではなく整然としている。


 ここが美香の部屋だ。出て行った時のそのままの位置でありとあらゆるものがそのまま置いてある。ここだけ切り取って残したようで、この部屋だけが三年前からそのままになっていたのだった。



 ■ ■ ■


「美香ちゃんの部屋。片付けましょう。そろそろ」


 母はおもむろにそう言った。


 ありふれた日曜日の夜、夕食を食べ終わって、まだ父とわたしがテーブルに残っていた時に言った。


 父とわたしは呆然と聞いていた。


 母は言った後で、やりきったような顔をした。言わなければ良かったということを振り払った様子だった。


「どうして今頃?」


 父は聞いた。


「なら、どうしてこれまでやらなかったの?」


「それは……」


 父は反論に困っていた。


 わたしも明確な反論はきっと出来ないだろうと思っていた。


 それをしない理由など本来は無かったのだ。葬式が終わって一年も経てば片付けるのであろうと思う。ものが増えて物置になっていたり、もっと別の使い方をされるのだろうと思う。頑なに、部屋を片づけようとしない理由は何なのか。


 きっと三人ともが同じように、なんとなくそうしたくなかったから、そうしなかったのだろう。


 理由があるとすればきっと、どこかで信じているのだろう。どこかに、あるいは心の中に美香が生きているのではないかと思っている。部屋を片付けてしまえばそれが無くなってしまうのではと。


 家にはまだ仏壇も無かった。かわりに部屋はそのままになっていた。彼女はここにいる。まだ誰もが信じている信仰そのものだった。


 母はその信仰を辞めようと言っていたのだった。


「お母さんはどうして片付けたいの?」


「もう、三年経った訳だし。私たちも年を取っている。立香、あなたもう二十歳でしょう? そのことを思い出しても良いかもしれないけれど、そこに止まってはいけないと思うの。だから、仏壇もちゃんと買う。お墓参りにもちゃんと行く。そうするべきでしょ?」


 美香は十七歳の夏。高校二年生の時に殺された。今年の夏で丁度三年。何もかも変わっていないようで状況はどんどん変わっていた。


 わたしは高校を卒業して大学に入り、来年の一月には成人式に出席する。


 父は会社を新たに立ち上げて社長になった。


 母にどんな変化があるのか目立ったものはなかった。けれども、三人で暮らしていて、三年のあいだに沢山の変化はあった。もう四人ではなく、三人の生活に慣れきっていたと言うのに、四人いるかのように振る舞い続けていたのだ


「そうか、もうそんなに経っていたのか。何も考えないでいたけど、確かにそうだね」


「わたしもそう思う」


 賛成する理由も、また反対する理由も特に無かった。


 誰かが明確な意見を持っていればそれに簡単に流されてあっという間に流れは出来上がってしまう。ごく簡単なゲームで、母の少しの勇気で、あっという間に、なんとなくやらないでいたことは解決へと導かれることになったのだった。


「で、いつやる?」


 父が聞いた。


「来週の日曜日!」


 母は満面の笑みで答えた。


 きっとここまで準備していたのだろうと思った。それからは、別に大したことは起らなかった。ただ、食器を片付けてなんとなくテレビを見て、なんとなく部屋へと戻って寝た。


 寝る頃には今日決まったことの重大さなどほとんど覚えてなどいなかった。



 ■ ■ ■


 故人の部屋を片付けるとは、たいそう些末な事で家の中でも重大なことでもなければ、まして、外の人にとってはさらにどうでもいい出来事だと思う。


「へえ、あの部屋片づけるんだ」


 およそ話すべきことを話して、話題もなくなったので話した。


 昼下がりのカフェテラス。三限の授業が休講になって弘樹と一緒にランチをたべて、そのまま追加で何も頼まずに、ただ、だらだらと過ごしていた。


 蓋付きの紙カップのなかに入ったカフェラテはとっくのとうに空っぽだけれども何か中に入って入るように飲むような素振りをする。


「今週の日曜日に片付けるんだって、だからどうしたって話なんだけど」


「いや、ずっと不思議に思っていたんだよね。立香の家行ったときにちらっと見えて、そこに美香ちゃんが帰ってきてきてるみたいに見えてさ。どうしてあのままにしてたんだろ? って実は結構前から不思議に思ってた」


「そうなんだ」


 誰が住んでいるわけでもないので美香の部屋は開いていることが多かった。


 弘樹は何回も遊びに来ているし、両親も、死んだ美香もよく知っていた。弘樹は美香が死ぬ前から付き合っていた彼氏だった。


 昔は三人で遊んだりすることも多かったが、わたしが告白をして弘樹と付き合うようになった。


 それから、美香は少しだけ暗くなったような気がしたが、すぐに立ち直っていた。


「美香ちゃん、亡くなってからもう三年も経つのか……」


「もう、そんなに経つんだね」


「そうだ、美香ちゃんと言えば、一回入れ替わってデートしたことがあったよね」


「え、何それ? そんなことあったっけ?」


「あった、あった。その日にデートをするって知ってた美香ちゃんが立香のフリして俺とデートするってやつ。しばらくして、ものすごい形相で立香が突っ込んで来て結局流れたんだけどね」


「あれ? それってわたしがデートしてて、美香と変わったんじゃなかったっけ?」


「そうだっけ? もう結構前の出来事だから俺も記憶が曖昧なのかな?」


「というか、いくら姉妹でも美香が来たら弘樹だって気がつくでしょ」


「まあ、そうなんだけど……」


 そう言いつつ、弘樹は目をそらした。


 そもそも間違えようが無いからわたしと美香を間違えるなんてことはないし、間違えているとしたらわりと破局の危機なのではないかと思う。結構前に起こったことだとしても弘樹が言った通りに記憶しているなら、今でも蒸し返されて怒るだろうと思う。


「君らってよく似てたし」


「似ててもそれは無いでしょ。覚え間違いじゃない?」


「そうかなぁ」


 弘樹が自信なさげに首を傾げた。


 デートをしていて、途中で美香と変わったんだ。どういう意図でそうなったのかは全く思い出せないけれども。


「そうだよ。教室も空きそうだし戻らない?」


「まあいいか」


 弘樹は答えた。


 弘樹にとっても今となってはどうでもいい事なのだろう。わたしにとっても、きっとどうでもいいことだ。



 ■ ■ ■


 いざ片付けることが決まると、この部屋を冒涜したとしてもなんらバチは当たらないだろうと思えて来た。


 美香の部屋に来た。どうせ片付けるのだろう。日記を改めて見たところで別に問題はないのだろうと思った。


 美香の日記はどこにあるかは知っていた。


 小学生になった時に買ってもらった学習机。その引き出しの上から二番目、それをまるごと外に出して中に入っているものを全部外にぶちまけるようにしてひっくり返すと、中身が全部出て底板に見立てた板の上に日記が現れた。


 日記帳だけ取り出すとそれ以外のものは全て中にしまってもとに戻す。


 わたしは日記帳だけを持って自分の部屋へと戻った。


 日記帳を開く。


 最初のページから読んでいく。


 なんてことは無い。普通の日記が記されている。


 何をした、課題を何日までに終わらせなければならないとかそういうことが延々と書いてある。感情についての記述は序盤にはあまり出てこない。


 読み進めていて引っかかったのはわたしと弘樹が付き合うようになってからだった。



『立花と弘樹がつき合うことになったと教えられた。弘樹は私のものにも立花のものにもならないとずっと思っていたのに、立花も私の気持ちは知っているのにどうしてそういうことをするのだろう。わからない』




 美香の気持ちはここからかき乱されていく。




『私たちは同じだったはずなのにどうして弘樹だけ自分のものにしてしまったのか』



『私だけは特別と立花は思っているのだろうか、わたしよりもずっと』



『立香と私は同じなのに、どうして』



『憎い』



『憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いどうして』



 次第にタガがはずれていったようで、次第に筆圧が強く尖ったような字になっていく。



 それから数日間立花に対しての呪詛が書き殴られていた。





『立花を殺そう。殺して私が立花になろう』




 これまでの殴り書きから打って変わって綺麗な文章で書かれていた。


 頭の整理が出来たのだろう。


 それから詳細な犯行計画を企てるがしかし、やり方も何もかも分からなかった。それもそうだ。参考程度にミステリー小説をいくつか読んでトリックを書きためていったが、十冊を超えた辺りで挫折をしている。



『今日読んだ本が凄く良かった。自殺サイトを名乗って殺人犯が死にたい人間と殺したい人間をマッチングしてひたすら殺す。これならなんとなく出来そう!』



 それからの行動は明確だった。


 美香は立香に成り代わるために立花の状況を把握することにつとめた。手始めに美香も立香もiphoneを使っていた。ほとんど一緒にいる姉妹なので、アップルIDとパスワードはすぐに分かった。iphoneのパスコードにしたってすぐに分かった。


 一通りのアカウントに美香が持っているiPhoneで入っていきどういうやりとりをしているのか把握する。ラインに関してもPCからログインをしてどういったやりとりをしているのかを確認する。


 そこで一つテストをした。


 実際にデートをする日に立香の格好をした、私がデートをし、一日を過ごす。


 なんの問題もなく遂行する事が出来たし、なんら不自然な点はなかった。途中で立香本人が介入するまでは何も問題は起こらなかった。




『なにせ私たちは同じ顔で笑い、同じ声で泣くことができるのだから、誤差さえ知っていれば簡単に修正することが出来るのだから。』



 自殺サイトもわりとすぐに見つけ出す事が出来た。Twitterでひたすら死にたいと言い続けたり、鬱々とした詩を書き殴ったり、自傷してしまったこと、処方された薬を一度に飲みすぎたことなどを書き連ねていく。


 立香のことを思って狂ってしまえば、そんなものは簡単に出てくる。


 二ヶ月ぐらいで百人程度のフォロアーが釣れた。


 そこから、何人か死にたがっている人に会うことを持ちかけた。


 それで実際に会ってみて、どの程度情報を持っているのか聞き出そうとしたが、そんなものを持っている人は少なく、ただひたすらに吐き気を覚えるような身の上話を聞かされるということも多かった。


 五人目に合った男が当たりだった。


 分かり易い男だった。およそ精神を患っている人は自分が大嫌いで滅ぼしたいぐらい嫌っている一方で死ぬほど自分が好きだということを理解している。目線はたいてい合わず、人の話を聞いているようで自分の話しかしない。


 五人目の男は明らかに違っていた。こいつは目を見てよく話し、人の話をよく聞く。獲物に出来るかを吟味されているかのようだった。


『蛇みたいな男だった』と日記には記されている。


 私が思い返してもそうだった。


 長身痩躯で穏やかな口調でしゃべる男だった。さわやかな印象があったが、しゃべるごとに何かを吟味し、食えるかどうかを判断しているようだった。襲いかかる前の状況を整えている蛇。


 喫茶店で二時間程度しゃべって使えると確信した。


 それから、私に専用のサイトとパスワードを教えてくれた。


 専用のサイトはもうすでに死に方のリクエストとどのように死ぬかということと、いつ実施するかということばかり描いてあった。


 コミュニティは特になく、死にたいものをあの蛇みたいな男が集めて、あいつとあいつの仲間が殺すのだろうと思った。


 私リクエストをした。死に方のリクエスト。



『ある日深夜に歩いていたら、拉致されて、散々暴行と陵辱を繰り返した上で殺して欲しい』と。



 なぜ、と聞かれた時、自殺として死にたくなかった。少しでも自分を惜しんでくれる人がいるような死に方が良いと答えた。


 彼らは意外とあっさりオーケーした。慣れているのだろう。


 あとは日時をと場所を指定しておく。


 当日。


 SIMカードだけこっそり入れ替えておき、立香の携帯番号と私の携帯番号を入れ替えておく。


 夜、十一時頃、私は立香に財布を渡して『セブンで限定のアイス買ってきて欲しい。立香も好きなの買ってきていいよ』と言って外に出した。


 一番近いファミマではなく、セブンにいってもらう必要があった。セブンなら少し薄暗く人通りの少ない道を歩かなければならない。


 その暗い通りに、依頼した男たちを待機させていた。



 その後の事は知らない。


 携帯電話は破棄して、全裸で捨てろと指示をしたので仮に遺体が見つかったとしても彼女が立香である証明など残っていない。


 その日、立香は帰らなかった。


 後は、美香のiphoneを初期化して、立香のアップルIDをいれてそのほかのSNSを復旧させていく。


 そうして私は喚いたのだ。


「美香が帰っていない」と。


 そして、殺された立香は美香になり、私が立香になったのだった。


 美香としての記録はそこで終わっている。


 その日からわたしは立香になったのだ。


 だから、どこかに私のかけらはこの部屋に残滓として残っていたのだろう。この部屋に対してそのままにしておきたいと口には出さずとも願っていたのだ。


 私たちは同じ顔をしている。


 一卵性双生児。遺伝子の上では全く同一の存在。私は美香であり、立香でもある。


 しかし、年齢はごまかしようがなかった。


 大人になった心と体。


 あの日で止まった美香を私の体で押しとどめておくことはもう出来なくなってしまったのだった。


 明日部屋を片付ける。




 その時に、わたしの中の美香を殺し、わたしは完全に立香という存在になるのだろう。



 私はわたしになったのだ。




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