5ページ 笑顔のカップル

「あのう、大丈夫ですか? 」

女性が話しかけてきた。顔は見えないし、見たくもない。

「…」

「お顔が優れていないようですが? 」

服はメイド服だった。

白と黒のベーシックなスカートだけが見えた。

「う…せ…」

「? 」

「うるせえなっ! 頼むから俺に構わないでくれっ!! 」

俺はそのまま歩いていく。

あの後も俺はあいも変わらず煉瓦造りの道を見ながら歩いていた。もう抜け殻だった。まるでゲームで現れるゾンビ、亡者の群れの一人のような頼りない足取り。

自分は正しいのか? そもそも正しいとは何のか? 正義とは? 悪とは? 仁徳とは? 凶行とは? 幸運とは? 不幸とは?ーーー。

何がなんだかわからなくなっていた。自分の進むこの道は正しいのか? どこへ続いているのか? 果たしてこの屑野郎が生きてもいいのか? 自己嫌悪がもう、渦潮となって心の中をかき乱す。もう嫌になった。馬鹿馬鹿しいと阿呆らしいと。

自分がまた嫌いになった。



その時、不気味な音が聞こえてきた。

ダシュ、ダシュ、ダシュ ーー

何かの音が響く。

ダシュ、ダシュ、ダシュ ーー

それは左側の路地裏から聞こえてくる。

何の音だろうか?

重く、響く音。 それが数回にもわたって一定のリズムで繰り返される。

気になって路地裏を見た、見てしまった。青年はそれを見て自然と口角が上がり、笑みをこぼした。

なんだ、よかった。やっぱり、俺ーー

間違ってなどいなかった。おかしいのは俺じゃなくこの街、この世界だ。



その光景はもう常軌を逸していた。

「ねえ、もうやめてよ〜」

シルクでできた青色のワンピースを着た女の子が言い、

「いいじゃんか〜、ちょっとぐらい」

俺と同じ服を着た青年が言った。

背は両方とも同じぐらい(なお、この背の高さは厳密に定めないものとする)。この様子を聞けば、誰だってカップルがじゃれ合い、いちゃいちゃしている憎たらしい絵図を思い浮かべるだろう。

それではこの情景をそのまま言ってみようか?

青年が女の子を殴っていた。 何度も何度も。

女の子の顔は青アザだらけ。ワンピースは泥と彼女の血で汚れ、ボロボロになっていた。

青年は女性の襟元を掴みながら、血だらけの右手で殴っていた。これでもかというぐらいに。本来なら女性側は助けを請い、悲鳴を上げ、泣け叫び、この世の理不尽を恨みながら絶望するはずなのに、なのに…

「もう、やめなよ〜。暴力は良くないよ〜」

笑顔だった。

青アザだらけの顔を涙で濡らすこともなく、満遍の笑みでそれも幸福の一つのようにただ殴られるだけ。注意を促しているようだが、全く説得力がない。

俺は喉奥から何か登ってくるのを感じ、それを食い止めようと口を押さえる。

青アザだらけの顔に対する嫌悪感、女の子に対する嫌悪感、青年に対する嫌悪感、狂気に対する嫌悪感。そして、この光景を見て笑みを浮かべた自分に対する嫌悪感。それらが身体中を引っ掻き回ながら、胃から食道へ、食道から喉へ、胃酸を押し上げる。

必死に押さえているとその青年を見た。そして、目が合った。

「ああ、見られちゃった〜どうしよう」

青年は「暴力はダメだよ〜」と言っている女の子の襟元から手を離しながら、

「別に見られても良いんだけどさ〜、これもう飽きちゃったし」

と青年は言い、

「ねえ? 遊び相手になってよ? 」

青年は笑みをこぼしつつ言った。

標的が変わった瞬間だった。

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