第60話 最後の一日
啓太の言う通り、優斗といられるのは明日で最後。こうして一緒に帰れるのも、今日で終わりだ。明日の文化祭を終えたとき、おそらく優斗は成仏しこの世を去る。
当然、もう二度と会うことはできなくなる。藍もそんなのはとっくに分かっていて、それを承知で優斗を成仏させる道を選んだ。今だってその選択に後悔はない。
だけど寂しくない訳じゃない。ずっと一緒にいられたら。叶わないと知りつつ、そんな思いはいつも心の中にあった。
そう思うと、本当に残り僅かなこの瞬間がとても大切に思えて、少しでも長く続いてほしいと思って、気がついたらいつもよりゆっくりと歩いていた。
不自然だろうか?そう思ったけど、それに合わせて歩く優斗は何も言ってこなかった。
だけど一緒にいられる時間を思うと、これが最後だと思うと、このまま何の言葉も交わさずに過ごすのは嫌だった。
二人きりにしてくれたのが啓太の気遣いだと言うのなら、それに甘えようと決めたのなら、もっとちゃんと優斗と話したい。
そう思いながら、勇気を出して口を開く。
その瞬間だった。
「「ねえ」」
藍と同時に優斗もまた同じように口を開き、二人の声が重なる。
「えっと……なに?」
「ううん。ユウくんこそ、何かあるの?」
元々藍には、特別これと言った話題があったわけじゃない。ただ、優斗と話をしたい。そんな思いから声をかけただけだ。だから優斗が話したいことがあるなら、そっちを優先させたかった。
「明日のクラスの出し物、藍は午前の担当だったよな」
「うん。喫茶店の接客担当で、朝から始まって、お昼の少し前まで。それがどうかした?」
「それ、見に行ってもいいか?藍のウェイトレス姿見たいからな」
喫茶店の事はもちろん優斗にも話しているが、ウェイトレスの衣装を着たところはまだ一度も見せたことがない。部室まで着ていく訳にもいかず、わざわざ写真に撮って見せると言うのもなんだか恥ずかしかった。けれど優斗としては、やはり一目見てみたいのだろう。
「う、うん。良いよ」
優斗に見られると思うとなんだか少し恥ずかしい。けど同時に、せっかく着飾っているのだから、ちゃんと見てほしいとも思った。
「それとも、当番が終わった後で部室に行こうか?そしたら、もっとゆっくりできるよ」
「いいのか?」
「うん。どうせなら、ちゃんと感想聞きたいし」
接客中は他のお客さんやクラスの人の目もあるので、優斗と堂々と話をするのは難しい。それならいっそのこと、同じ格好のままこっちから会いに行った方が良いかもしれない。
優斗はそれに頷きながら、だけど彼の話はまだこれで終わりじゃなかった。いや、むしろこれからが本番だったのかもしれない。少し緊張した様子で、優斗はさらにこう続けた。
「藍の当番が終わってから軽音部の発表まで、結構時間があるよな。その間、誰かと回る予定って、あったりするのか?」
「えっ……」
その質問に、藍はすぐに答える事ができなかった。誰かと一緒に文化祭を回る。先に答えをここで上げるなら、そんな予定はなかった。いや、無いと言うより、未定と言う方が近いのかもしれない。
それから藍は、急に口を閉じて押し黙る。
「…………藍?」
何も喋らなくなった藍を、優斗は不思議そうに藍を見つめている。けどそれも、もちろん永遠には続かない。再び口を開いた藍は、それから意を決したように言った。
「文化祭、二人で回りたいの。自由時間ずっと、ユウくんと二人で」
口にしたとたん、カッと体が熱くなるのが分かった。いったい今自分はどんな顔をしているだろう。
これは、優斗と話をすると決めてから、ずっとどこかのタイミングで言おうとしていた事だった。先ほど、当番が終わった後に部室に行こうかと提案したのも、元々はこれに誘いやすくするためだ。
「自由時間ずっとって、いいのか?俺じゃなくて、友達とか、もっと他に一緒にいたい子がいるんじゃないか?」
「ユウくんと一緒がいいの。ユウくんじゃなきゃ嫌なの。少しでも一緒にいたいの。その、明日が、最後だから……」
「藍……」
最後。それを聞いて、優斗の言葉が止まる。
もう一緒に入られないから、明日ですべて終わってしまうから、だから明日は少しでも長く優斗と一緒にいたかった。
いや、本当はそれだけじゃまだ足りない。今まで言えなかった分を吐き出すように、藍は更なる願いを、思いの丈を声にする。
「ううん。明日だけじゃなくて今日これからだって、ユウくんともっと一緒にいて、沢山話をしたい」
どんな覚悟を決めても、別れを受け入れても、きっと寂しさも悲しさもゼロにはならないだろう。だからせめて、それを埋めるための時間を重ねたい。もう残り少ないけれど、だからこそ出来るだけ長く一緒にいたい。もっと言葉を交わしたい。
「そうだな、俺も同じだ。もっともっと、最後の時まで藍と一緒にいたい」
優斗は少し照れたようにはにかむと、それから藍の頭にそっと手を置いた。実際には触れられないはずのそれが、なぜかくすぐったくて暖かい。
「ありがとう。ユウくん」
最後の最後まで、自分の頼みを聞いてくれた。それが嬉しくて漏らしたお礼の言葉。だけど優斗は、それを聞いてクスリと笑った。
自分の話に夢中でつい忘れそうになったが、そのあたりを全く着てはいなかった。すると優斗は、クスリと笑って言った。
「礼を言うのはこっちだよ。俺がどうして、藍の予定を聞いたか分かるか?」
「えっと……どうして?」
そう言えば。その後の話に夢中になって、そのまま終わりになりかけたが、まだそのあたりの話を聞いていない。すると優斗は、さらに笑顔を濃くして続けた。
「誘おうとしたんだよ。一緒に文化祭を回ってくれって」
「それって……」
「藍と同じだな。だから、藍がそう言ってくれて、凄く嬉しかったんだ」
優斗も同じように思ってくれていた。それがなんだか照れ臭くて、それでいて嬉しい。そう言えばあの時の優斗は、ほんの少しだけ表情が硬かったような気がする。もしかしたら、優斗もまた自分と同じように、誘うのに緊張していたんじゃないだろうか。それがたとえ自分にとって都合のいい想像だったとしても、藍はそう思わずにはいられなかった。
「俺は出来るだけ藍と一緒にいたいし、話をしたい。もちろん明日の文化祭だけでなく、今これからもな」
「―——―っ。私もだよ」
それから二人は残り少なくなった家までの道を歩く。互いの言う通り、沢山話をして、沢山言葉を重ねながら。
そしてそれは、家に帰ってからも続いた。
特別な話題や、絶対に伝えなければいけないような重要な事を言い合った訳じゃない。文化祭の準備のことや、好きな音楽のこと。どれもありふれた、何気ない内容だ。だけど今の二人にとって、そんな当たり前の会話がとてもかけがえの無いものに思えた。
藍が夕飯をとり早々に自室に入ってからも、いつもなら寝るくらいの時間になりベッドの上で横になっても、それでもまだ話すのを止めたくない。
「そろそろ寝ないと、明日がきつくなるぞ」
「でも……」
ベッドの横に座って話を聞いていた優斗が、少し心配そうに言う。だけど藍は、素直に頷けないでいた。
明日のために、しっかり寝ておかなきゃいけないのは分かっている。それでも、まだ眠りたくはなかった。だって眠ったら明日になってしまう。優斗といられる時間が、いよいよ終わりになってしまう。
そしてそれは、口には出さないものの優斗も同じ気持ちだ。本当ならこのまま、一晩だって語り明かしていたかった。
だけど優斗は、さらに諭すように言った。
「明日、一緒に文化祭回るんだろ。疲れていたら楽しめないぞ」
「うん……」
そう言われてしまったら、嫌だなんて言えなくなってしまう。
「わかった。おやすみユウくん。明日、楽しみにしてるから」
「俺もだよ。おやすみ、藍」
優斗が押し入れの中に入っていくのを見届けると、藍は電気を消し、再び小さくおやすみと呟く。
おやすみ。優斗が幽霊として現れ、この部屋で寝泊まりするようになってから、一日の終わりに必ず交わしていた言葉。だけどそれも、これが聞き納めだ。
それだけじゃない。明日の朝のおはようも、二人揃って学校に向かうのも、これから優斗と過ごす全てが、どれも最後になる。
だからきっと、これも最後になるだろう。今まで何度も思い立って、だけど結局果たす事なく終わっていた決意。もう何度目になるか分からないそれを、もう一度胸に灯す。
(明日は、ユウくんと一緒に思い切り文化祭を楽しもう。軽音部のライブ、絶対に成功させよう。そして今度こそ言おう。ユウくんに、好だきって。たくさん楽しんで、全部が終わった後に、必ず……)
そして、最後の一日が始まる。
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