第55話 藍の答え 1

『俺は藤崎のことが好きで、付き合いたいと思ってる』


 もう何度目だろう。頭の中で、啓太の言葉が幾度となく繰り返し蘇ってくる。放課後になっても、部活が終わっても、こうして家に帰って自分の部屋に入っても、それはちっとも消えてなくなったりはしなかった。

 あの後啓太は、無理に意識しなくていいと言う自身の言葉を実演するかのように、まるで何事もなかったかのように普通に接してきた。もしかしたら告白なんて勘違いなのではとすら思ってしまう。

 だけどこうして今も耳に残る声が、決してそんなんじゃないんだと教えてくれている。


 啓太はいったい自分のどこを好きになってくれたんだろう?いつから好きだったのだろう?そんな疑問が浮かんできては、聞いておけばよかったと思い、だけどとてもそんな余裕なんて無かったろうなと思い直す。何しろ今思い出しただけで、体が火照ったように熱くなってくるのだ。


「どうしよう」


 この呟きも何度目だろう。啓太の気持ちに何て答えたらいいのか分からない。答えを出すのは今じゃなくていいとは言ってくれたが、だからと言って考えなくていいとはならない。むしろ答えが出るまで何度もじっくりと考えなければいけないと思う。

 だけど時間をかけれは答えが出ると言う話でもない。いや、どうすればいいかなんて、本当はもうわかっていた。


「藍――――藍――――」

「えっ、なに!?」


 後ろから声をかけられ慌てて振り向くと、優斗が心配そうな顔でこっちを見ていた。


「別に用はないんだけどな。けどなんだか藍の様子がずっと様子がおかしかったから気になったんだ」

「私、そんなに変だった?」

「変って言うか、何かを凄く気にしてるって感じかな。放課後部活に来た時から今まで、ずっとそんな感じだった」

「そ……そうだっけ?」


 一応啓太に習って自分も極力何事もなかったように振る舞っていたつもりだったのだが、どうやら優斗にはすっかり見透かされていたみたいだ。


「ごめん。ダメだよね、文化祭は明後日だってのに、全然集中できてなかった」


 思い返してみれば、今日どんな練習をしていたのかさえもほとんど記憶にない。こんなんじゃいけない。

 だけど優斗はそれを責めるでも注意するでもなく、ただ心配そうに言う。


「練習はいままでに十分積み重ねてきたんだから大丈夫だ。それよりなにか悩みがあるなら、そっちを先に何とかした方がいい。何かあったのか?」


 そう語る優斗はどこか不安げだった。実際そうなのだろう。もうすぐ自分はこの世からいなくなってしまうのだから藍の力になってやれる時間ももうほとんど残っていない。そんな時に悩んでいる姿を見て、落ち着いていられるわけがない。やんわりと尋ねてはいるが、出来ることなら今すぐ全部話してほしいと言うのが本音だった。

 だが藍は静かに首を横にふる。


「ありがとう。でもこれは私が決めなきゃいけないことなの。ちゃんと自分で考えて、自分で答えを出さないと」


 この一見に関しては、優斗になにも伝える気はなかった。自らの恋路に関わる問題である以上彼も決して無関係ではないが、だからこそ打ち明けるわけにはいかないと思った。

 もちろん事情を知らない優斗はそんな藍の心の内など知らない。だがはっきり断るのを見て、その意思の固さは理解したようだ。


「そうか。藍がそう言うなら、無理には聞かない」

「ごめんね。なにも言えなくて」

「謝ることないって。けど悩んで本当に分からなくなったら、すぐに言ってくれよ。いつだって、藍の力になりたいから」


 いつだって。そうは言っても、彼はもう明後日には消えてしまう身だ。それでもそんなことを言うのはそれだけ藍を愛しいと思っているからだろう。

 優斗の見せた優しさと、少しだけ寂しそうな表情を目にして、今更ながらドキリとする。

 優斗が幽霊となって半年がすぎた。その間彼はずっとそばにいて、距離の近さで言えば生前よりもさらにそばにいたのかもしれない。だけど未だに彼といるとふとした瞬間に胸が高鳴り、体の中が熱くなる。好きと言う気持ちが、止まることなく涌き出てくる。もうすぐ会えなくなると思うと、どうしようもなく切なくなる。


(私が好きなのは、やっぱりユウくんだよ)


 いくら啓太から思いを伝えられても、彼をそう言う目で見ようとしても、それでも一番が優斗であることは揺らぎない。

 そんなこと、とっくに分かっている。本当なら、告白を受けたその場でこれを伝えるべきだった。

 なのにそれをしなかったのは、啓太が少しは考えてくれと言ったから。なんてのは建前だ。怖いんだ。返事をすることで、今まで通りの関係でいられなくなるのが。


 まだ小学校だった頃、優斗が生きていた頃は毎日のようにいじめられていて、当時はどちらかと言うと嫌いだった。だけど優斗がなくなった時、それと向き合う勇気をくれた。ベースを始めたとき、自分もギターを始めたからと言って練習に付き合ってくれた。常にと言っていいほど近くにいて、時に一緒に笑って、時に一緒に悩んでくれた。

 好きと言う気持ちに答えることはできない。だけど啓太は、藍にとって他にない大切な友達だった。

 その大切な友達を、返事次第では永遠に失うことになってしまうかもしれない。これからも元通り友達のままでいられる保証なんてどこにもない。

 そう思うと、怖くて返事をすることができなかった。だけど……


(このままで、いいわけないよね)





         ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 翌日、藍はいつものように優斗と共に学校に向かい、ちょうど学校の正門をくぐったところでで啓太と会う。これも、いつもと言うわけではないが、ごく当たり前の見慣れた光景だ。なのにその顔を見た瞬間、まるで凍り付いてしまったかのように緊張で動けなくなった。


「おはよう、藤崎」

「お……おはよう」


 ぎこちない返事で挨拶を返した後、ちらりと優斗の様子を伺う。昨夜何かあったのかとあれだけ心配していたのだ。出来ればこれ以上おかしな様子を見せたくはなかった。

 しかし優斗は、何も言ってはこなかった。


「それじゃ、俺これで。また放課後な」


 それだけを告げると、一人軽音部室のある旧校舎へと向かって行く。いつもと何も変わらない朝の風景。目に見える違いと言えば、翌日に迫った文化祭の為、至る所にその準備の様子が見受けられる所だろう。

 だけど目に見えない違いが、今の藍と啓太の間には確かに存在した。


「俺達も行くか」


 啓太は何事も無いかのように振る舞いながら、教室に向かって足を進める。藍もそれに合わせて普段通りにしていれば、少なくともしばらくの間は今まで通りの関係を保っていられる。仲のいい友達のままでいられる。それは藍にとっては望むところだった。だが同時に、それではダメだと心の中で何かが叫んでいた。


「待って、三島」


 歩き出した啓太の名を呼び、その足を止める。突然の制止にもかかわらず、振り返った彼に驚いた様子は一切見られなかった。あるいはこういう展開になるのを、どこかで分かっていたのかもしれない。

 一方藍はそんな啓太の姿を改めて見るなり、途端に喉の奥が熱くなって、声を出すのが苦しくなった。まるでこれから先の言葉を告げるのを体が拒否しているかのようだ。

 だが体が如何に拒もうと、藍の意思は変わらない。幾重にもつけられた枷を外すように、痛みや苦しさを振り払いながら、ゆっくりと口を開き、言う。


「話があるの。昨日の返事、聞いてくれる?」

「――――ああ」


 静かに頷く啓太。その仕草はとても落ち着いているように見えて、しかし彼の瞳を見つめる藍には、それが微かに揺れているのが分かった。

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