第56話 藍の答え 2
返事をすると啓太に伝えた後、二人は人気のない校舎の隅へと移動する。話の内容が内容なだけに、出来ることならあまり人には聞かれたくない。
辺りに誰もいないのを確認したところで、まず藍よりも先に啓太が言った。
「それにしてもよ、返事するの早くねーか?どれだけ時間がかかったっていいって言ったんだけどな」
確かにその通りだ。だからこそ藍は、昨日のうちには答えを出さなかった。いや、答えは出ていたはずなのに、その言葉に甘えて逃げていた。
それで一晩考えはして、それで改めて分かった。
「ごめんね、急で。だけどどれだけ考えても、きっと答えは変わらないから。だから今、返事をするね」
そういった藍の声は潤んでいた。一言発する度に喉の奥が焼けそうなくらい熱くなる。
それは自分の弱さだと藍は思う。啓太との関係が壊れるのが怖くて、友達を失うかもしれないのが怖くて、そんな恐れが、まるで何も言わせまいとして、続く言葉を発するのを邪魔いるようだった。
だけど今の藍には、それでも伝えなければいけないと言う決意があった。
例え大事な友達を失う事になったとしても、大事な友達だからこそ、このまま中途半端な関係を続けていくのは嫌だった。
だから、それがどんなに辛くても、告げる。
「ごめん。三島とは付き合えない」
その瞬間、啓太の瞳がより一層大きく揺らいだような気がした。自分の言葉が彼を傷つけたと分かり、一気に胸が苦しくなる。切なくて、気がつけば目の奥から涙が込み上げて来るのが分かった。
だけどそれまでだ。浮かんでくる涙を、グッとこらえて無理矢理止める。だって自分は断る側だ。傷つける側だ。
本当に辛いのは啓太なのだから、自分には泣く資格なんてない。
その啓太は藍の言葉を聞き終えると、ゆっくりとした調子で口を開く。
「付き合えないって……それってやっぱり、先輩が理由か?」
「……うん」
なんと答えればいいか一瞬迷って、だけど結局は啓太の言葉に頷く。少しだけ、なにかできるだけ傷つけずに断れるような理由はないかと探した。だけどそんなものはどこにもないから、何より彼が真剣に聞いてきていると分かっているから、全て正直に打ち明ける。
「私はユウくんが好き。だから、他の誰とも付き合わない…………三島とも」
目の前で告げられる、他の人を想う言葉。啓太はいったいそれをどんな気持ちで聞いているのだろう。
「俺は先輩の後だっていいって言ったぜ。どのみち明日、あの人はいなくなるんだしよ」
「――――っ!」
優斗がいなくなる。とっくに分かっていることとはいえ、改めてそれを聞くと胸がズキリと痛くなる。まさか啓太が、こんな形でそれを突きつけてくるとは思わなかった。
だが不思議と、それをひどいとは思わなかった。彼もまた、ただ必死なのだ。藍が優斗への想いを捨てきれないように、啓太もまた、藍への想いを簡単には諦めきれない。それを実らせるためなら、こんな言い方をしてでもわずかな可能性にすがり付きたかった。
「俺は、何も今すぐでなくてもいいんだ。先輩が好きなら、今はそっちを優先させていい。先輩がいなくなって、ちゃんと気持ちの整理つけて、俺への答えを出すのはそれからでもいいんじゃねえのか?」
話しながら、啓太は自らの言葉に苦笑する。本心をさらけ出すなら、優斗の後でもいいなんて嘘だ。本当は今すぐ彼から藍を奪い取ってやりたいとすら思う。にも拘らずこんなことまで言ってしつこく食い下がる自分は情けないだろうか。だがそうは思っても、それでも簡単には諦めきれない。例えどんなに格好悪くても、引き下がりたくない。
だけどそれでも、藍の返事は変わらない。
「……それでも、ダメ」
「何でだよ?」
「だって、そんなのずるいよ。いつか気持ちが変わるかもしれないって事で答えを保留にするなんて、やっちゃいけない」
「俺は……それでもいい」
「私が嫌なの。もしいつか、もしそうやって三島と付き合ったとしても、私は私を軽蔑する。好きって気持ちを、そんな風に都合よく利用したくない」
「それでも、俺は……」
啓太はなおも何か言おうとして、だけど不意にその声が止まった。目の前では、まるでそれ以上の言葉を遮るかのように、藍が深々と頭を下げていた。
「……ごめん。何度言われても、私が好きなのはユウくんだから。だから……三島の気持ちには応えられない。三島とは付き合えない。ごめん……ごめんね……」
これが何度目の返事になるだろう。言葉を重ねる度に啓太が傷つくと分かっていて、それでもその答えが揺らぐことはなかった。
啓太は真剣に想いを伝えてくれたからこそ、自分も全力で答えを告げなきゃいけない。中途半端な気遣いから、ありもしない期待を待たせるような真似はしたくない。例えこれを機に友達でいられなくなったとしても、それを怖がって中途半端な態度をとるわけにはいかなかった。
熱くなった喉から絞り出した、震えるような声で、何度もごめんと繰り返す。
それを止めたのは、啓太の呟きだった。
「……もういい。もういいから、だからそんな顔するな」
繰り返される謝罪の言葉を遮るように告げられた言葉。それを聞いて、藍は初めて、自分が泣きだす一歩手前だという事に気付く。いつの間にか視界は滲んでいて、いつ涙が零れ落ちても不思議は無い。
泣いちゃダメだ。さっき自分には泣く資格なんて無いと思ったばかりじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、藍は慌てて目を擦る。
顔を上げると、啓太は変わらず真っ直ぐにこちらを見ている。だがそれも長くは続かなかった。
「悪かったな。先輩との事で一杯だってのに、変なこと言って」
そう言ったかと思うと、クルリと回って背を向ける。そしてそのまま、その背中が少しずつ遠ざかっていく。
それを見て、これで終わったんだと思い知らされる。果たしてこれから今まで通りの関係に戻れるか、それとも既に取り返しのつかない何かが変わってしまったのか、それはわからない。
だが小さくなっていく後ろ姿に向かって、最後にもう一度だけ声をかけた。
「三島!」
それまで動いていた足がピタリと止まり、僅かにこちらを振り返る。
「好きって言ってくれて、ありがとう!」
彼の気持ちに答えられない以上、こんなことを言っても仕方ないかもしれない。だけどそれでも伝えたかった。告白の返事とはまた違う、心からの想いを。
「三島が好きって言ってくれたのは、凄く……凄く嬉しかったから!」
ずっと近くにいた友人が、自分の事をそんな風に考えてくれていた。気持ちを伝えるべきか、真剣に悩んでくれていた。その上で、勇気を出して好きだと言ったくれた。もちろんそのどれもが初めての経験だ。断る以外の返事をすることはできなかったが、そんなにも想ってくれていたのは、切なくもあったが同時に嬉しくもあった。さっき啓太は変なこと言って悪かったと言っていたが、そんなことはない。それだけは、最後になんとしても伝えたかった。
「…………ああ」
短く答えて頷く啓太。その瞬間ほんの少しだけ表情が和らいだのは、果たしてそうあってほしいと言う藍の願望が見せたものだったのだろうか?
それから啓太は今度こそ去っていく。その姿が見えなくなるまで、藍が目を離すことはなかった。
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