第49話 文化祭に向けて 1

 大沢、松原の二人が文化祭に出ると決まったとなると、当然だが軽音部の活動にも変化が起きる。OB の出演自体は他の部を見てもそれほど珍しい事ではなかったのだが、それまで全く予定していなかった事をやるのだ。準備や練習だって、大急ぎでしなければならない。

 翌日藍と啓太が部室に顔を出すと、そこには今まで見たことのないドラムセット一式が横並びに置かれていた。


「おおっ、なんだこれ?」


 啓太が思わず声をあげる。もちろん昨日までは、そんなものは間違いなく無かった。そもそもこの学校の軽音部では、楽器は全て部員が各自で用意することになっているので、この部室に藍のベースと啓太のギター以外の楽器が置いてあるところを見たことが無い。



「ユウくん。これ、どうしたの?」


 ずっとここにいたであろう優斗に事情を尋ねるが、よく考えてみればわざわざ尋ねなくてもすぐに分かる事だった。

 案の定、すぐに予想した通りの答えが聞こえてきた。


「それは大沢のだよ。まだ俺が生きていた頃、彼女が毎日叩いていたドラムだ。今日の昼休みに、ここに運んできてたんだ。」

「これが、先生の使っていたドラム――――」


 一見しただけでもかなりの年季が入っているのが分かる。優斗の話では、彼女は高校に入って頃にはもうドラムをやっていたと言うので、おそらく初めてこれを叩いたのは十年以上前という事になるだろう。


 まじまじとそれを見つめていると、部室のドアが開き、大沢本人が顔を出した。


「二人とも、もう来てたんだ」


「散らかしててゴメンね。すぐに組み立てるから」

「あっ、私も手伝います」

「俺も――――って、どうやるんだ?」


 これらのドラム一式は、まだ置かれているだけできちんとしたセットはされていない。手伝おうとする藍と啓太だったが、そこでハタと困ってしまう。二人とも、ドラムをどうやってセットするかなんて知らなかったのだ。


「ちゃんとした手順を知らないと分からないけど、二人ともドラム担当じゃないんだから無理して覚えなくてもいいわよ。でも、興味があったら見てると良いわ」


 ドラムのセッティングは、それで音が決まると言っていいほど大事な作業だ。もし不慣れな人がセットしようものなら、例え同じ物を使ったとしても、鳴らす音は全然違ったものになってしまう。

 しかし大沢は、バラバラに置かれていたドラムとそのパーツを素早く手際よく組み上げていき、瞬く間にセッティングを完了させた。

 綺麗に組みあがったドラムと、その中でスティックを持つ大沢は、見ているだけで何だかカッコよく思えた。


「これが、先生が昔使ってたドラムなんですね」

「ええ。もうすっかり叩くこともなくなってたから処分しようかとも思ってたんだけど、とっておいて良かったわ」


 大沢が現役の軽音部員だった頃の担当はドラムだった。それははもちろん藍だってずっと前から知っているし、だからこそ文化際への出演を依頼した。だが実際にこうして愛用のドラムを構える姿なんて、一度だって見た事は無い。正確には、藍がまだ小学生だった頃見に行った文化祭で演奏するのを見てはいたはずなのが、なにぶん古い記憶な上、当時は優斗のことしか見ていなかったので、ほとんど覚えてはなかった。

 そうなると、すぐにでも演奏するところを見てみたくなる。


「あの、先生が叩いてるとこ、見せてもらっていいですか?」

「良いわよ。って言っても、だいぶブランクがあるからね。引き受けた以上下手な演奏はできないから、今日から私もあなた達と一緒に練習しようと思ったんだけど、いいかしら?」

「もちろんです。よろしくお願いします」


 それから大沢は、改めて両手に持ったスティックを構え直す。久しぶりと言う事で緊張しているのか、その表情は僅かに硬い。だがそれも、最初の一音を鳴らすまでだった。


「大沢のドラムは、凄いよ」

「えっ?」


 優斗の呟きを聞き返そうとして、だけど次の瞬間のうちにそれが頭から消えた。ドーンと大きな音が部屋中の空気を震わせたからだ。もちろん、大沢の奏でる音はそれだけでは終わらない。そこからは、一気に振動が加速していった。


 激しい振動を響かせるそのど真ん中で、大沢はただ一心不乱にスティックを振るう。

 それを見て、音を聞いて、振動を感じて、藍は思わず感嘆の声を漏らした。


「これが、大沢先生のドラム――」


 ドラムと言うと楽器の中でも特に激しいイメージがあり、普段の彼女が醸し出す落ち着いた雰囲気とはすぐに結び付けてイメージする事はできなかった。

 だが今の彼女は、何だかそれが本来の姿であるかのように様になっている。

 優斗の言っていた凄いの意味を、今になってやっと理解する。


 もちろん、ブランクがあると語っていたように、演奏そのものは決して洗練されたものではないかもしれない。だがそこには熱があった。勢いがあった。それは決して、上手や下手などと言った優劣で表せられるものではない。

 そして何より、大沢自身が実に楽しそうだった。すでに大沢の顔からはさっきまでの硬さは無くなっていて、生き生きとした表情でドラムを打ち付ける。前に優斗が、楽しむ事こそ軽音部のモットーのようなものだと言っていたが、今の大沢の演奏は、まさにそれを体現しているような気がした。


 そんな大沢の演奏も、いよいよ終わりがやって来る。叩きつけるように最後の音を鳴らし、辺りにはその残響だけが消えずに残っている。しかしそれもやがてはなくなり、そこで大沢はようやく息をついた。


「久しぶりだから覚悟はしてたけど、やっぱり随分と腕が錆びついてるわね。」


 若干不満そうに呟くが、そばで聞いていた藍と啓太からすればすでに十分な気がする。楽器が違うので単純に比べることは出来ないが、もし自分達のベースやギターの音と並べたら、きっとその出来は雲泥の差であるに違いない。


「錆びついてるって、今のがですか?」

「もちろんそうよ。本番までに少しでも何とかしなくちゃ」


 目を丸くする藍と啓太だったが、隣にいた優斗がそれを見て小さく言った。


「前に、俺の演奏なんてまだまだって言ってた理由、少しは分かってくれたか?」

「……少し」


 藍にしてみれば、優斗だって十分上手いと思う。だけど音楽を始めた当初から近くにこれだけ上手い人がいたとなると、どうしても意識してしまうだろう。

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