第50話 文化祭に向けて 2

 軽音部に起こった変化はもうひとつ、松原の練習への参加だ。

 時間を見つけて来れそうな時は来ると言っていたが、その言葉通り、だいぶ遅い時間ではあったものの、次の日にはもう顔を出していた。

 早速すぎる登場に、藍が少し心配になったくらいだ。


「お仕事は大丈夫なんですか?」

「平気平気。俺一人いなくたって何とかなるって」


 それをきいて藍はますます不安になった。

 啓太もまた、「とても一度仕事を理由に断った人とは思えない」と驚いている。


 もっとも、かつての同級生二人はそれを聞いても落ち着いたもので、「だから言ったでしょ、口実だって」と大沢が言い、優斗もまた「英司らしいな」の一言だけですませてしまった。どうやら二人にとっては特別驚くような事ではなかったようだ。


「それより、早速だけど演奏していい?」

「あっ、はい。お願いします」


 そうして松原は、持ってきた自らのギターをケースから取り出す。こちらも大沢のドラムと同様、かなりの年期が入っている。


「大丈夫?久しぶりだから、弾き方なんて覚えてないんじゃないの?」


 我が身を省みてか、大沢がクスリと笑いながら言う。だが彼と大沢では決定的な違いがあった。

 大沢は、今では音楽から遠ざかっていて、本人の言葉を借りるなら腕か錆び付いている。だが松原は違った。


「あれ、言ってなかったか?確かに卒業以来、誰ともバンドなんて組んでねーけど、今でも一人で弾くことはあるんだぜ」


 そう言うと松原は、得意気に弦を鳴らし始める。そしてその自信ありげな態度の示す通り、その演奏は見事なものだった。

 元々優斗が自分よりもずっと上手いと称すほどの腕だ。それが高校卒業後も続けていたのなら、ますます上達していても不思議はない。


「まあ、こんのものかな」


 ひとつの曲を弾き終えた後にどうだと言わんばかりの表情でその場にいる全員を見渡すが、それが少しも嫌みには見えなかった。

 ただ、啓太が弱冠不安そうにポツリと漏らす。


「なあ藤崎。俺ら、この人達の前後に演奏しなきゃいけないんだよな?」

「うん。そうなるね……」


 啓太の言わんとしている事は藍にもわかる。彼らの演奏は優斗を無事成仏させるために必要な大切なことだが、文化祭における軽音部の出し物として見ると、あくまでその役割は現部員である藍達の前座だ。つまり、藍と啓太は彼らの後に大勢の人の前で演奏しなければならない。

 今のを見て啓太がプレッシャーに感じるのも無理のない話だった。もちろん藍だってそうだ。


 しかしそんな二人の心境を知ってか知らずか、松原は楽しそうにこちらに目を向ける。


「次は、藍ちゃんの演奏を聞いてみたいな」

「私ですか?」


 松原の言葉に、焦りながら聞き返す。とても今の流れで聞かせられるようなものではないと思った。だが、彼の申し出も当然の事だ。


「君達の演奏は一度聞いてるんだし、そんなに緊張しなくてもいいよ。ただ、例の曲は今どのくらい弾けるのか。それはちゃんと知っおきたいんだ」


 例の曲と言うのは、6年前優斗が何度も練習し、文化祭で演奏するのを楽しみにしていた曲だ。そして、今度の文化祭で松原達に演奏してほしいと頼んだ曲でもある。当時のメンバーをそろえるのなら、奏でる楽曲もやはり当時のものが良いと思い、これに決めた。


「どうせ本番やこれからの練習で聞くことになるんだから、気楽に引いてくれればいいよ。弾けないわけじゃないんだろ?」

「はい、そうですね」


 松原の言う通り、一緒に練習をするなら互いの腕前はしっかり理解しておいた方がいいに決まっている。藍は自らのベースを手に取るが、それを眺める大沢も興味津々と言った感じだ。


「そう言えば私も、藍ちゃんがこれを弾いてるところを見るのは初めてね」

「そうなのか?」


 大沢は既に聞いた事があるものと思っていたのだろう。松原が驚いたように聞くが、大沢はゆっくり頷きながらそれに答える。


「ええ。ついこの前まで、引けること自体知らなかったのよ。いったいいつの間に練習なんてしてたの?」

「えっと、先生がいない時に、たまにやってました。上手く弾けるようになったら驚かそうと思って、内緒にしてたんです」


 藍の言っている事は半分本当で、半分嘘だった。確かにこれを練習していたのは、主に大沢がいない時だった。だけどそれは、決して内緒にして脅かそうと言うサプライズ的な事を狙ったわけじゃ無い。更に言うと、藍は本当はこの曲の練習なんてしていない。練習していたのは、全部藍の体を借りた優斗だった。


(ユウくん、お願い)

(ああ。それじゃあ、少し体借りるよ)


 藍が視線を送ると、それに気づいた優斗がそばに寄ってきて、自らの体を藍に重ねた。その途端、藍の体の主導権が彼へと移る。


 元々、これを演奏するのは全て優斗に任せるつもりでいた。そもそもの目的が、優斗が文化祭のステージで演奏する事なのだから当然だ。


 それに、優斗とこの二人の演奏時間を、練習も含めて少しでも多くとってやりたかった。

 優斗が幽霊となってここにいるなど、もちろん大沢達に告げることは出来ない。だがこの曲を通して、練習を重ねる事で、少しでも当時の様な繋がりを思い起こせたらと思った。


「それじゃあ、始めますね」


 藍の体を借りているので、口調は藍のそれをまねているが、今喋ったのは優斗だ。そしてもちろん、楽しそうに弦を弾く指もまた、優斗の意志によって操られたのものだ。


 今から始まる演奏を聞いて、大沢と松原はいったいどんな顔をするだろう。二人にしてみれば、六年ぶりに聞くことになる優斗の奏でる音。少しでもそれに気づいてくれるだろうか?

 藍がそんな事を考えているうちに、最初適当に鳴らされていたはずの音は、いつの間にかちゃんとした曲へと変わっていった。

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