第48話 話を終えて 2
「そう言うわけで、松原さんも出てくれるって。それとやるならちゃんと揃って練習したいから、何度かOB権限で顔を出すって言ってたけど、いいよね?」
「ああ。一時はどうなるかと思ったけど、何とかなってよかったな」
電話にて事の結末を報告すると、安心したような声が返ってきた。
やはり啓太も相当気がかりだったのだろうと分かる。それは、たった安堵のため息が聞こえてきた事からもよくわかる。
それからもう一つ、伝言頼まれていたので、それも一緒に話す。
「あと、松原さんから啓太に。同じギター担当なんだし、話したり教えたりしたいって」
「マジで?お願いしますって言っといてくれ!」
それがよほど嬉しかったのか、興奮した声が届く。思えば啓太は今までずっと本を見ながらギターの弾き方を学んでいて、人から教わる機会など無かった。初めて人から指導を受けられるとなると、気持ちが昂るのも無理はないかもしれない。
これで報告する事は全部終わったのだが、それから啓太は少し声の調子を落として言った。
「なんか今回、お前と先輩、それに先生だけで何とかして、俺はほとんど何もできなかったな」
それは、彼だけ生前の優斗との繋がりが薄い事から仕方の無い話ではある。だからこそ、さっきの話し合いにも啓太は不参加だった。
だが自分が蚊帳の外にいるのが不満なのか、その声はどこか寂しそうだ。
「そんなこと無いよ。三島はたくさん心配してくれたじゃない」
「それだけだろ」
「それだけが、嬉しかったんだよ」
藍としては、そんな一歩離れた立場であるにも関わらずこれだけ心配してくれたのが嬉しかった。優斗だって、啓太が協力してくれると聞いた時は驚きながらも嬉しそうだった。
「そうだ、ユウくんにも代わろっか?」
果たして幽霊の声が電話越しでも聞こえるのかは試したことがないのでわからないが、怪談なんかでは死者からの電話なんて話もあったので多分いけるだろう。いざとなれば、また自分の体を貸して話せばいい。
そう思って優斗と交代しようとしたのだが、それより先に啓太の声が飛んできた。
「大して話すことなんてねえし、いいよ別に」
「えっ、でも……」
「いいって言ってるだろ。それよりも……」
そこで啓太は、今までより一層声を潜めた。その様子に藍も何かを感じたようで、黙ってその続きを待つ。
「これで文化祭が終われば、多分先輩は成仏する」
「……うん、そうだね」
それは今更言う必要もないくらい分かりきっている事だ。元々この企画事態が、それを目的として始まったものだから。
なのに今改めてそれを聞いて、藍の心臓はドクンと大きな音をたてた。
「お前は、大丈夫なのか?」
「大丈夫って、何が?」
乾いた声で聞き返すが、それに対する答えは返って来ず、啓太は黙ったままだった。
だけど啓太が何を言いたいのか、本当は藍だって分かっている。
きっと啓太は心配している。優斗が成仏することで、つまりいなくなる事で、藍が悲しみに押し潰されるんじゃないかと。
ならばと、藍は小さく深呼吸して騒ぐ心を落ち着かせる。そしてハッキリと言う。
「私は、大丈夫だから」
優斗が無事未練を晴らして成仏する。藍だってそうなる事をずっと望んでいた。
だからちゃんと告げる事ができる。それが例え、潤んだ声であったとしても。
それを意外に思ったのか、電話の向こうから驚いたような声が返ってくる。
「――お前が大丈夫って言うなら、俺は何も言わねえよ。それじゃ、もう切るぞ」
「あっ、ちょっと待って」
話を終わらすようとする啓太を呼び止め、最後にこう付け加える。
「心配してくれて、ありがとう」
「――っ!切るぞ」
そうして啓太は今度こそ電話を切り、スピーカーからは通話終了を告げる電子音が聞こえてきた。
役目を終えたスマホを机の上に置くと、電話の様子をずっとそばで見ていた優斗が聞いてきた。
「何かあったのか?」
どうやら会話の内容は詳しく聞こえていなくて、だけど途中で藍の様子が変わったのには気づいたようだ。
なんて答えようか少し迷って、それでもありのままを話すことにした。
「三島に心配されちゃった。このままユウくんがいなくなって大丈夫かって」
「――――っ!」
優斗が大きく息を飲むのが分かった。思えば今まで、二人でこんな話をした事は無かった。いや、お互いあえて話さないようにしていたのかもしれない。だが大沢達の文化際への出演も決まり、優斗の未練を晴らすのが現実味を帯びてきた今、いつまでも避けて通れる事ではなくなっていた。
目の前では、優斗が心配そうにこちらを見ている。それはそうだろう。藍自身、ずっとこの話題を出すのが怖かった。今度こそ、優斗との永遠の別れが訪れる。
それに真正面から向き合うのが辛くて、取り乱して泣き叫んで、優斗に余計な心配をかけるのかと思うと怖かった。
だけど今、藍は自分でも不思議なくらいハッキリと告げることが出来た。
「大丈夫だから。ユウくんのこと、ちゃんと送り出せるから。だから安心して」
優斗との永遠の別れを意識したのは、これが三度目になる。
一度目はもちろん、まだ幼かったころに体験した優斗の死。その時藍は、ただ泣きじゃくるしかなかった。
二度目は、優斗が幽霊になってからすぐ。元々透き通っていた体が更に薄くなり、このまま消えるんじゃないかと思った事があった。結局優斗はその後もこの世にとどまったのだが、その時も藍は、取り乱しては行かないでほしいと泣きながら叫んだ。
今度も、きっとこの時がきたら、悲しみをこらえるだけで精一杯だろうと思っていた。だけど今、こんなにも冷静に話ができている。
それはきっと、力をくれた人達がいるからだ。
「大沢先生に松原さん、それにユウくん。みんな、次に進もうって頑張ってるから。私だけがいつまでも立ち止まっているわけにはいかないよ」
6年越しに抱えていた想いに決着をつけようとする大沢と松原。そして、自らが消えると分かっていて、それでも未練を晴らして全てを終わりにさせようと決めた優斗。その全てが背中を押してくれたような気がした。どんなに悲しくても、それに押しつぶされない強さを貰ったような気がした。
だけどそれから、少し慌てて付け加える。
「あっ、だけどユウくんがいなくなっても全然寂しくないとか、そう言うわけじゃ無いかな」
それは、微かに目に涙を溜めている事からも明らかだ。
もちろん、ちゃんと優斗を送り出してやりたい。しかしだからと言って、会えなくなっても何とも思わないなどと誤解されるのは、それはそれで嫌だった。
「そりゃできればユウくんにはずっとそばにいてほしいけど、だからって引き止めたいとかじゃなくて……寂しいけど、ユウくんが決めた事なら全力で応援するって言うか……」
さっきまでのハッキリした物言いとは一転し、全く要領を得ない事を口走る。
分かれるのが辛い。その気持ちは優斗にも分かってほしいが、だからと言ってせっかくの決意を揺らがせるような事は言いたくない。そんな相反する想いが上手く言葉に出来ず、おかしなことばかり言ってしまう。
それがおかしかったのか、優斗が小さく噴き出した。
それから、藍の頭にそっと自らの手をかざした。幼いころ何度もやってくれたように、優しく頭を撫でた。
「えっ?」
突然の事に驚く藍に、今度は優斗が告げる。
「俺も、成仏したいとは言ったけど、藍と離れたいって思ってるわけじゃ無いから。分かってくれるよな?」
「……うん」
優しく諭すようなその言葉に、顔を赤くしながら小さく頷く。
本当はわざわざ言葉になんてしなくても、お互いどれだけ離れたくないと思っているかなんてとっくに分かっていた。
そして優斗は改めて藍の姿を眺め、言う。
「藍は本当に変わったな。見違えるくらい強くなった」
「そうかな?」
藍自身にそんな実感はない。だけどもし自分が本当に強くなれたのなら、それは間違いなく優斗のおかげだ。そう思うと、何だか少し誇らしい。
だけど優斗の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「ああ。それに、ビックリするくらい綺麗になった。本当に、綺麗になった」
「~~~~~っ!」
予想外の言葉に、声を上げる事すらできずに狼狽える。優斗が可愛いや綺麗と言ってくれるのは今に始まった事じゃないが、それでも言われるたびに心臓が跳ね上がる。しかも今回は、ほとんど脈絡が無く不意打ちに近かった。
「な……なんで、急に……」
その言葉の真意を聞こうとして、だけど途中から声が出なくなった。真っ直ぐに自分を見つめる優斗と目が合って、その瞬間声の出し方を忘れてしまった。
人が聞けば、何を馬鹿なと思うかもしれない。だけどそれは仕方のないことだろう。
(やっぱり私、ユウくんが好き)
今まで心の中で何度も繰り返していたその言葉を、今再び思う。恋い焦がれる相手にこんな風に見つめられて、平静でいられるはずが無い。
まだ小学生だった頃からずっと、幽霊として現れた時からもっと、その気持ちは強くなっているような気がした。
どれくらいの間そうしていただろう。先に目線を逸らしたのは優斗だった。
「……やっぱりそうなのかな?」
「なにが?」
小さく呟いたその言葉は、誰に聞かせるわけでもない、ほんの独り言だったのかもしれない。
その証拠と言っていいのか、首を傾げる藍に向かって、何でも無いと優斗は告げる。
それから、宣言するように言い放つ。
「それより、文化祭まで後ひと月半。最後までよろしくな」
ひと月半。それが、優斗と一緒にいられる最後の時間。そう思うとさすがに少し切なくて、だけどそれを振り切るように言う。
「うん。こちらこそよろしく」
笑顔で答える藍。だがそんな彼女にも、たった一つだけ不安に思う事があった。それは、胸に抱く恋心だ。
最後の時が決まった今、この気持ちを抑えたままにしておきたくはない。ハッキリ好きだと伝えたい。
なのに、いざ伝えるかと思うと、どうしても躊躇してしまう。
(ユウくんにとって私は妹。そんなの分かってる。なら、いくら好きだって言っても、困らせるだけなんじゃ……)
文化祭まであと一カ月半。最後の時が迫っていると知りながら、未だその一歩を踏み出す決意はできなかった。
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