第47話 話を終えて 1


 藍は自分の部屋で、優斗と向かい合いながらさっきの事を思い出していた。


「良かったね。松原さん、文化祭出るって言ってくれて」

「ああ。それに藍のお陰で、二人に言えなかった事をちゃんと伝えられた」


 藍が松原と大沢に語った優斗の思い。二人はあくまでも自分の想像として語ったが、実際は違った。


「体を貸してくれて、ありがとな」


 あれを語ったのは、本当は優斗本人だ。藍の体を借りて、自分が何を思っていたのかを二人に伝える。これは、優斗藍に願い出た事だ。遠慮からか、今まで自ら何かを頼む事の無かった彼が、初めて誰かに促されもせずに言い出した願いだった。


「私は、それがユウくんのやりたいことなら、何だって力になるよ」


 藍にしてみれば、優斗の頼みを聞いてやれるのが嬉しかった。自分から願いを言ってくれた事が嬉しかった。

 そのためなら、自分の体くらいいくらでも貸せる。

 だけど優斗の言葉はそれだけでは終わらない。


「それともう一つ。部室で大沢に言ってくれただろ、俺が何も話さなかったのには理由があるんだって。もし藍がそう言ってくれなかったら、ちゃんと話す決心なんてつかなかったかもしれない」

「そ、そう?私、そこまで深く考えてなんていなかったんだけど?」


 藍としては、あれは感情に任せて叫んだだけだ。それこそお礼を言われるような事じゃないし、あんなに大声を張り上げたかと思うと少々恥ずかしい。


「それを聞いて、背中を押された気がしたんだよ。本当にありがとう。それと、言葉は足らずでごめんな。藍にも、本当は伝えなきゃいけないようなこと、たくさん黙ってた」


 それは生前の家庭の事情だったり、幽霊である事の心苦しさだったり、文化祭への未練だったりと様々だ。確かにそれには、藍だって不満はあった。だけど今となってはもはやそれもない。


「もういいよ。私が言いたい事は松原さんが言ってくれたし、ユウくんがやりたい事、今度はちゃんと言ってくれたから」


 どんな不満や憤りも、終わってしまえばもう拘るつもりはなかった。そんなものは、今目の前にある優斗の晴れやかな笑顔を見ていると、自然と消えていった。


「そうだ、三島にも連絡しなきゃ」


 思い出したように言うと、そばに置いてあったスマホを手に取る。

 同じ軽音部である啓太には文化祭の件はちゃんと伝えなければいけないし、何より彼もまたこの事態を本気で心配していた。

 呼び出し音を聞きながら、次に聞こえてくるであろう啓太の声を待った。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 藍が啓太へ電話をかけていた頃、松原がグラスに注がれたカクテルを飲み干していた。目の前前に座る大沢も、ちょうど同じものを空にしたところだ。

 ここは藍の家から程近い場所にある飲み屋の一角だ。


 藍から頼まれた文化祭の出演以来を了承したのがついさっき。それからしばらくして二人は店を出たのだが、せっかくだからと近くにあるここへと連れだって入っていった。

 何しろ数年ぶりに会った旧友だ。体育祭で顔を会わせた時は落ち着いてそんな状況じゃなかったが、話したい事ならたくさんある。


「ここ、よく来んの?」

「たまにね。ここって全部の席が個室になってるでしょ。変に酔ってるところを生徒達の保護者に見られたら苦情が来るから、教師の間では結構使ってる人多いのよ」


 そういう事情があったのかと、松原は納得する。確かにこれなら、他の客から見られる心配はない。


「飲みに行くのにも周りの目を気にするとは、先生も大変だな。俺なら絶対ならねえな」

「心配しなくても、松原くんじゃまず学力で無理よ」


 同級生と言うのは不思議なもので、卒業してからもうずいぶんと経つと言うのに、いざ会って話してみるとまるで当時と同じような軽口が出てきてしまう。

 教師としては決して見せることの無い、まだ学生だった頃のノリだ。


 それからしばらくの間二人はそんなとりとめの無い会話を続けたが、急に大沢が真面目な調子で言った。


「ありがとね、引き受けてくれて」

「なんだよ急に」


 それがあまりにも唐突だったものだから、つい面をくらってしまった。


「今言っておかないと、この先ずっと言わない気がしたのよ。だからこうして、お酒の力だって借りてるの」


 イタズラっぽくグラスを回す大沢の顔は、ほんのりと赤く染まっていた。


「有馬君の事は、私にとってもずっと心残りだった。卒業してからも、ずっとね……」

「そんなの、俺に礼を言うような事じゃねえだろ。俺は自分がやりたくてやっただけなんだからよ。お前の言う通り、けじめをつけるにはいい機会だ」


 なぜだろう。一度やると決めてしまうと、あんなに意地を張っていたのが嘘のように素直になれる。やりたかったと、今なら何の抵抗もなく口に出せる。


「確かに、お礼なら松原くんでなく藍ちゃんに言うべきね。あの子がいなかったら、絶対こんなことできないもの」

「そうだな。名前だけは優斗からさんざん聞かされたけど、まさか今になってこんな形で会うとは思わなかった」


 事ある毎に聞かされていた、妹みたいな子。それが優斗の持っていたベースを受け継ぎ、遠い後輩とも言える軽音部員となり、今の自分達と一緒にステージに 立つ。

 何だか嘘みたいな話だ。


「本当に優斗のことが大事だったんだな。さっきあの子が話してた優斗の気持ち、あれって想像なんだよな。変な話だけど、まるで優斗に直接言われたような気がしたよ」

「――私もよ」


 そうして二人はフッと笑い合う。

 もっと言えば、その話をしている時の藍は、優斗の姿がダブって見えたくらいだ。

 外見が似ているわけでもないのに、おかしな話だ。


 それから大沢は、しみじみとこんな事を言った。


「藍ちゃんね、多分有馬くんのことが好きだったと思うの」

「そりゃそうだろ。あの子にとっても優斗は兄ちゃんみたいなもんなんだから」


 松原は何を今さらと言ったように返すが、それを聞いた大沢は呆れたような顔をする。


「分かってないわね。私が言ってる好きは妹としてじゃなくて、女の子としての好きよ。半年も近くにいたんだから、だいたい分かるわ。お陰で三島くんは大変そうだけどね」


 出会って半年。優斗を語る藍の姿を間近で見てきたからこそ、自信たっぷりに言える。ついでにそんな藍を見る啓太もずっと見てきたから、その思いについてもこれまた自信たっぷりに言えた。

 とはいえ、どうも松原には通じていないようで、キョトンとした顔をしている。


「なに言ってんだ。優斗が生きてた頃って、あの子はまだ小学生だろ?」

「知らないの?女の子はそのくらいから、ちゃんと女の子やってるのよ。って言っても、この調子じゃきっと有馬くんも気づいてなかったでしょうね」

「気づいてもどうしようもないだろ。いくつ年が離れてると思ってる」

「あら、分からないわよ」


 ニヤニヤしつつそんな事を言いながら、この店が個室に別れていて改めて良かったと思う。生徒の恋愛事情こんなにも熱くなるなんて、万が一人に聞かれたりしたらたまらない。

 それが、思った以上に酔いが回っているせいなのか、はたまたいろんな事が立て続けにあって興奮しているのかは、本人にも分からなかった。


「それじゃあ、もし優斗が生きてたらどうなっていたと思うんだ?」

「さあ。でも私だったら応援してたと思う。子供の頃からずっと好きだったって、素敵じゃない。もしかしたら、年の差なんて吹き飛ばしてたかもしれないわよ」


 だがそんな話についていけなくなったのか、とうとう松原はこんな事を言ってしまった。


「……年の差なんて、か。一応言っておくけどさ。お前、生徒に手を出したりはするなよ」

「…………」


 ああ、やっぱりここが個室に別れていて良かった。人目のあるところでは、とてもこんな事できやしない。

 そう思いながら、大沢はテーブルの下にある松原の足を思い切り蹴飛ばしていた。

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