第46話 伝わる想い 2
「ユウくんは私にも、私の家族にも、二人と同じように何も話はしませんでした。だけどそれは、大事に思っていたから、だから何も言えなかったんです」
優斗がなぜ、自分の抱えている事情を誰にも話そうとしなかったのか。その理由を、藍は静かに語りだす。
恐らくこの話は大沢も初めて聞くのだろう。チラリと彼女を見ると、聞き入るように次の言葉を待っていた。
「家族の事で悩んで、全部が嫌になりそうで、だけどそれを忘れさせてくれる場所が二つありました。そのうちの一つが、ここでした」
こことは、つまりは今いる喫茶店の事。同時に、藍の家を指していた。
松原は、かつて優斗がこの家の事を、そして目の前の女の子の事を、何度も何度も繰り返し話していたのを思い出す。彼女の言う通り、優斗にとってここがいかに大切な場所であったかは、彼もよく知っていた。
「そして、もう一つが軽音部です。どんな時でも、そこなら心から楽しいって思う事ができました。どんなに苦しくても、そんな気持ちを忘れさせてくれる人がいる場所だったから」
それから藍は、優斗がそばにいてくれた人達をどれだけ大事に思っていたかを話した。とは言っても最初に本人が言っていた通り、それは全て想像で語っているに過ぎない。そのはずだ。
だけどそれがまるで紛れもない事実であるかように感じるのは、彼女の真に迫った話し方のせいだろうか?
熱を込めて語る藍はさっきまでとはまるで別人のようにさえ見え、時おり見せる細かなしぐさは、どことなく記憶の中にある優斗本人を思い出すくらいだった。
「だからそんな人達に、自分が抱えている嫌な所を知られたくなかった。自分の事情で心配する姿を見たくなかった。だから何も言わずに、むしろ隠そうとしてたんです。そのせいでこんなに何年も引きずるなんて、思いもしないで……」
藍はそこまで話すと、疲れたのか一度大きく息を吐いた。
同じタイミングで、松原は改めて今の話を振り返る。
とはいえ正直なところ、藍が語った内容自体は特別驚くべき事ではなかった。
悩みに気づいてやれなかったとはいえ、こっちもいつものように優斗の近くにいた身だ。どんな理由があって黙っていたかなんて、大体想像がついていた。
だからこそ不思議だ。それならなぜ、自分はこうも動揺しているのだろう。
思っていたのと大差ない内容を聞かされただけのはずなのに、どういうわけかその言葉が胸を打ってやまない。
彼女が優斗により近い人物だったからか、はたまたあの熱の込もった話し方のせいか、まるで優斗本人から言われたような気分になる。胸の奥のわだかまりが、フッと消えていくような感覚に陥る。
だがそこは長年引きずっていただけあって、そう簡単には素直になれない。
「けどどんな理由があったとしても、俺はちゃんと話してほしかったんだよ」
ここまで来るともはや半分意地みたいなもので、ついそんな言葉が漏れてしまう。それは誰に聞かせるわけでもない、ほんの独り言のようなものだった。
なのに――
「……それは、本当にごめん」
「えっ?」
返事を求めて言った訳ではなかったので、返ってきた謝罪の言葉に驚いてしまう。しかも、今のはなんだかおかしい。
「いや、ここで藍ちゃんが謝るのは違うだろ」
「えっ⁉えっと……もしユウくんがこれを聞いたら、絶対そう言うと思ったんです」
焦ってそう言った藍からは、さっきまでの不思議な雰囲気は抜け落ちていて、すっかり元の調子に戻ったように思う。一転して慌てる彼女の姿はそれまでとの落差もあって妙におかしく、気がついたらつい吹き出してしまっていた。
「あっ、ごめんごめん」
謝りながら、同時にこんな状況で笑ってしまった自分に驚く。
そこで、今まで同じように話を聞いていた大沢が再び口を挟んできた。
「ねえ松原くん。あの時有馬くんが何も言ってくれなかったのは、私だって不満があるわ。でもどんなに納得できなくても、いつまでもそれを引きずるわけにはいかない。あなただってそれくらい分かってるでしょ」
何も答えず、その代わりほんのわずかに頷く。この程度の事でも、今までの松原なら決してできなかった事だ。
「私たちだけじゃこの気持ちにけじめをつけるなんてできなかったけど、今は藍ちゃんだっている。文化祭の出演、けじめをつけるいい機会だと思わない?」
ずるい言い方だ。そう思いながら藍を見る。
恐らく自分達以上に優斗の近くにいて、それでいて今の自分よりもずっと幼い女の子。そんな子がここまで懸命になっているのを見せられては、長年張ってきた維持だって揺らいでしまう。
「……いつだ?」
「えっ?」
「文化祭の日だよ。出るなら、きっちり頭に入れとかなきゃだめだろ」
「じゃあ……」
二人の顔がパッと明るくなる。それを見て松原は少々バツが悪そうにしながらも、ゆっくりと告げた。
「って言っても、今から練習するとなると、どれだけ仕上げられるか分からねえ。それでもいいなら……やる」
「ありがとうございます!」
藍が嬉しそうに声をあげながら勢いよく頭を下げる。その声があまりに大きかったため、近くの客が何人かが驚いてこちらを向いていた。
するとちょうどそのタイミングで、松原の前にコーヒーが運ばれてきた。運んできた年配の女性は、藍に向かって言う。
「藍、店では静かにね」
「うっ、ごめんなさい……」
謝りながら恥ずかしそうに俯く藍。そのやり取りを見て、松原は二人が親子だと言う事に気づく。ここは藍の家だと言っていたし、間違いないだろう。
次に藍の母は松原を見た。
「ユウくんの友達の、松原さんですよね。ユウくんがまだここに来ていた頃、大沢先生と一緒に何度か名前を聞いていました」
知らないところで自分の名前が出ていたとなると、何だか妙な気分だ。未だにそんな事を覚えているとは、優斗が藍だけでなくこの家族といかに親しくしていたかが分かる。
「ユウくんは毎日のようにここに来ていて、私達にとっても家族のようなものでした。だからあの子が亡くなった日の事を思い出すと、今も胸が痛くなります」
悲しそうに語るのを見て、だけど松原は少しホッとしたような気分になる。
実の家族と上手くいっていなかった優斗だが、こうしてちゃんと親身になって想ってくれる人達がいた。そう思うと何だか嬉しかった。
「だけど、月並みな言葉かもしれないけど、いつまでも悲しい気持ちを引きずっていてもユウくんはきっと喜んではくれないだろうなって思うから。だから私達はそれを乗り越える事にしたの。忘れるんじゃなくてね」
恐らく事情を全て知っているであろう藍の母は、それだけを言って仕事に戻っていった。彼女は自分の気持ちを言っただけで、松原にこうしてほしいとは何一つも言っていない。それ以上は言う必要が無いと分かっているからだろう。
彼女のように、悲しみを乗り越えた人がいる。大沢や藍のように、これから乗り越えようとしている人がいる。
なら自分も、いつまでもこのままじゃいられない。
今度の文化祭で、本当に全てに決着をつけられるかは分からない。だけどあれから6年がたった今、初めて前に進めるような気がした。
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