第42話 本当の理由 2
松原が頼みを断った本当の理由。そんな事を言われたら、聞きたくないわけがない。
だけど同時に不安も感じる。他に理由があるのなら、どうしてそれを言わなかったのか?
今のままでは検討もつかない上に大沢からは不思議な緊迫感のようなものが漂っていて、もしかしたら何か良くない事でも告げられるのではないかと思わずにはいられない。
優斗もそうなのだろう。一歩前にのめり込むような体勢をとっていて、隣にいてもその緊張が伝わってくる。
「教えてください。どうして松原さんが断ったのか。昔の事を引きずってるってどういう事なのか、全部」
もちろん聞くのは怖くもあるけど、そうしないと何も始まらない。
大沢もまた、返事を聞いて最後の迷いを振り払ったようだ。
「分かったわ。本当は私がこんな事話していいのか分からない。もしかしたら有馬くんにも怒られるかも知れないけど、全部ちゃんと知ってほしいから」
そう返事をすると、なんと話したものか考えているのか少しの間考えるそぶりを見せる。
それから次の言葉を待つ藍と啓太を何度も交互に見て、その後にまずはこんな事を言ってきた。
「松原君の事を話す前に聞きたいんだけど、有馬くんが亡くなった頃、彼のお家がどういう状態だったか知ってる?」
「それは……」
言葉に詰まったのは、何も知らなかったからじゃない。彼女の指している事が、簡単に口にするのが躊躇われる内容だったからだ。
だからそれに答える前に一度優斗の様子を見ると、彼は言ってもいいよと頷いた。
「ええと……ユウくんのご両親の喧嘩が耐えなかったって話ですか?」
藍はできるだけ簡素に、当時の状況を表現した。
けど実際はただの夫婦喧嘩なんてものじゃない。まずこの両親はそれより何年も前に離婚していて、母親もとっくに出ていっていた。
それが何年かぶりに突然戻って来ては、自分が優斗を引き取って育てると言い出したのが喧嘩の原因だった。
本人は父親があまりにも優斗をほったらかしにしているのを見かねてと語っていたが、本当の所は金に困った彼女が養育費を請求するためと言うのが周りの大人達の見方だった。
あまり声を大きくして言えるような話じゃない。
大沢が、優斗に怒られるかも知れないと言ったように、彼女自身もできれは話題に挙げたく無かったのだろう。
「私が勝手にこんな話を始めたって聞いたら、有馬くんはやっぱり怒るかしらね」
「そんなことありません!先生がこんなに悩んで決めたなら、ユウくんだってきっと分かってくれます!」
独り言のような呟きに、藍は叫ぶように言った。
これは何も、藍が勝手にそう思ったわけじゃない。これは、隣にいる優斗が言った事で、藍はそれを自分の言葉として大沢に伝えていた。
「ちゃんと言ってくれてありがとうな。俺の事で、余計な罪悪感を背負わせたくないから」
そんな優斗の思いが通じたのか、それを聞いた大沢の表情が少しだけ軽くなる。
それから改めて、話を優斗の事情へと戻していった。
「藍ちゃんは、いつからその事を知ってたの」
「私は、当時は何も知りませんでした。ユウくんが亡くなった後、周りの大人の人たちが噂しているのが聞こえてきて、それで知りました」
話しながら、初めてそれを聞いた時の驚きと嫌な気持ちが蘇って来るような気がした。まだ幼かった藍にとって、優斗の抱えていたものはあまりに衝撃的で信じられないものだった。
「私がそれを聞いたのは、有馬くんのお葬式の時だった。参列していた人の中に無神経な人がいてね、有馬くんの家族からは見えない場所だったけど、周りに聞こえるくらいの声で堂々と影口を言っていたわ」
大沢もまた始めてそれを聞いた藍と同じように、驚きと嫌悪感で一杯になったのだろう。思い出した今でも、嫌そうに顔を歪めている。
「それで、ここからが本題。松原くんが引きずったままの『昔の事』になるわ」
「――――はい」
告げられた言葉に、藍達は自然と身構える。優斗の事情が大きかったため話題の主軸が変わりそうになっていたが、そもそも今語られるべきは優斗でなく松原についてだ。
「有馬くんの事情は、松原くんも一緒に聞いていてね。彼も私と同じように驚いて、それから有馬くんに対して凄く怒ったのよ」
「怒ったって、どうしてですか?」
聞き返す藍の顔には、驚きの表情が浮かんでいた。どうしてここで優斗に対して怒りを向けるのか分からない。だけど大沢は、ゆっくりとその事情を説明する。
「私も松原くんも、有馬くんにそんな事情があるなんてちっとも知らなかった。有馬くん、何も話してくれなかったから」
「じゃあ、松原さんが怒った理由って……」
「そう。何も話してくれなかった事が、松原くんは許せなかったのよね。どうして相談して何も話してくれなかったんだろう。もし相談してくれたら力になってやれたかもしれないのにって、葬儀が終わってからもずっと」
言っていて辛くなったのか、大沢は苦しそうに顔を歪める。
優斗を見ると、じっと表情を固くしたままそれに聞き入っていた。
「だからって松原くんも、有馬くんの事が嫌いになったわけじゃないのよ。ただ、その気持ちをどこにぶつければいいかわからないの。あれから6年も経つっていうのに、落ち着くどころかますます拗らせてるんじゃないかって思うくらいにね」
思えば松原の言動には、ずっとちぐはぐな印象があった。優斗のベースを見てあんなに喜んだかと思えば、文化祭の出演については頑なに断っていた。
それもこれも、全ては慕う気持ちと憤りが複雑に絡まった結果なのかもしれない。
大沢の語る松原についての話は、これで終わった。彼が抱く複雑な心境についてなんと言ったらいいのか、すぐには分からなかった。
だけど藍には、もうひとつ気になることがあった。
「先生は、どうなんですか?ユウくんが何も言わなかった事を、どう思っているんですか?」
大沢もまた、立場としては松原とそう変わらないだろう。なら彼女は、なにも話さなかった優斗をどう思っているのだろう。
「そうね。なんだかんだ言って、私も松原くんとあまり変わらないのかもね。でもね、私は有馬くんが何かに悩んでるって、なんとなくは気づいてたのよ。ついでに言うと、有馬くんも多分私が気づいてる事を知ってた」
驚いて優斗を見ると、彼は黙って頷き大沢の言葉を肯定した。
大沢は悩んでいた事に気づいていたと言っても、それはあくまでなんとなくであり、その詳細までは知らなかった。だけど、当時優斗の抱えていた悩みを最も察していたのは間違い無く彼女だった。
「だけど私は何もしなかった。本人が話そうとしないなら無理に聞いちゃいけないって思って、深く尋ねたりはできなかった。それを後悔する頃には、もう全部が遅すぎた」
話しているうちにだんだんと思いが溢れてきたのか、初めのうちは落ち着いていたはずの口調は、いつの間にか重苦しいものへと変わっている。今の大沢は普段藍達の前で見せるような教師の顔ではなく、完全に優斗の友人としてここにいた。
自分も松原と変わらないと言っていた通り、彼女もまた優斗の死を引きずっているのだろう。辛そうに語る姿は、まるで懺悔のようにも、かつての自分を攻めているようにも見えた。
「気づいていながら何もできなかった。こんな頼りないんじゃ、有馬くんが何も話してくれなかったのも仕方ないかもね」
とうとうそんな自虐的な言葉が漏れ、室内に沈黙が流れる。
だけど次の瞬間、そんな空気を破るような声が響いた。
「そんな事ないです!」
そう叫んだのは藍だ。急に張り上げられた大きな声に、その場にいる誰もが驚いた顔で彼女を見ていた。
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