第40話 昔の仲間 2
その日の夜、藍は自分の部屋で静かに肩を落としていた。
申し訳なさそうにしながらも、はっきりと断った松原の顔が浮かんできては、やるせない気持ちになる。
どうしてこうなったのだろう。ステージを終えた時は確かな喜びと達成感があったと言うのに、今はそんなものはどこにもない。
あの後出迎えてくれたクラスの子達も良かったと言ってくれたけど、沈んだ藍の表情を見て、もしかして納得がいかなかったのかと余計な気を使わせてしまった。
だがもちろん、こうなった原因は演奏の出来映えなどではない。
やりたいと願っていた、かつての軽音部メンバーによる演奏。それが断られたのはある程度覚悟していた事とはいえ、やはりショックが大きかった。
本当ならすぐにでも新たな方針を決めなくてはいけないのだけど、そうすぐに気持ちを切り替えるなんてできずに今に至っている。
「私、やっぱり何とかできないかもう一度お願いしてみようかな」
もしこれが単なる一演目であれば、残念だが諦める方向に向かっていただろう。だが当時のメンバーによる演奏は優斗が無事成仏するための手段であり、抱えていた未練を晴らすただ一つの方法と言っていいものだ。何か代わりのものを用意してすむ話じゃない。
だけどそれを止めたのは、他ならぬ優斗本人だった。
「藍がそこまでしてくれるのは、凄く嬉しい。だけど昼間も言ったように、無理させてまでやりたいとは思わないから」
おかしなもので、誰よりもそれを望んでいるはずの優斗が藍を止める形になっている。だけどそれも見方を変えれば当然だ。
そもそもこの願いの根底にあるのは、かつての仲間達への想いだ。それなら、今の彼らを困らせてまでやると言うのは確かに本意ではないだろう。
「みんなにもユウくんが見えたらよかったのに。ユウくんがここにいるって分かってくれたら、きっと松原さんだって出るって言ってくれるのに」
松原も、何も優斗のことをどうでもいいと思っているわけじゃない。それくらいは藍にだってわかる。
でなければ、あのベースを見てすぐに優斗のものだと分かったりはしない。優斗の事を話す時、あんなにも嬉しそうにはしない。
だからもしこれが優斗本人の願いだと知ったら、きっと協力してくれるはずだと思っている。けどそれを伝える方法なんてなく、余計に歯痒さが募ってくる。
「ねえユウくん。ユウくんはどうすればいいと思う?」
思えば昼間の一件以来、優斗は極力自分の考えを口にせず、じっと何かを考えているようだった。いったい彼は今何を思っているのか、そう思って尋ねると、ポツリとこんな言葉が返ってきた。
「俺が諦めればいいのかな?」
「そんなっ――!」
それは優斗の口からは最も聞きたくない言葉だった。だが悲痛な声をあげる藍を見て、優斗は慌ててこう続けた。
「ごめん、今のは言い方が悪かったな。諦めるんじゃなくて、大人になるって言った方がいいのかな。松原や大沢みたいに――――」
「どう言うこと?」
藍には優斗が何を言っているのか分からない。いくら言葉を変えたって、結局諦めるのに代わりはないのではないか。それにこの願いを叶えない限りは、永遠に限りは成仏できないのではないか。
そんな藍に、優斗は今の言葉の意味を語る前にこう尋ねた。
「今から少しアイツの……英司の話をしてもいいか?」
「英司って……松原さんの?」
話の変化に戸惑うが、優斗が考え無しにこんな事を言っているわけじゃ無いのは分かる。いいよと頷くと、優斗はポツリポツリと、懐かしむように語り出す。
「英司は何て言うか、思ったら考えなしに行動するような奴だった。俺を軽音部に誘ったのって思い付きの勢い任せだったし、授業中に作詞してるのがバレて、クラス全員の前で書きかけの歌詞を朗読させられた事もあった。おかげで俺や大沢もずいぶん苦労掛けられたよ」
彼を一目見た時、色々やんちゃした学生がそのまま大人になったような人という印象を持ったが、あながちそれは間違っていなかったのかもしれない。
だが優斗は、決して松原を嫌っていたわけじゃ無い。語られる内容の半分は、松原がいかに無茶をする男であったか、あとの半分はそのせいで身に降りかかった愚痴や苦労話だった。
だけどそんな話をしているにもかかわらず、優斗はどこか嬉しそうだった。それは昼間見た、優斗のベースを抱えながら喜ぶ松原とも似ている気がした。
ちゃんとした言葉にこそ出していないが、二人は間違いなく親友だったのだろう。
「そんな英司だから、正直仕事を理由に断られた時は驚いた。昔の英司なら、絶対言わなかった事なのに」
そこで一度空気が変わる。これまでずっと語っていた過去から、視点が一気に今へと移ったような気がした。
そして優斗は、ようやくさっき言っていた『大人になる』と言う意味について触れ始めた。
「断られたのは確かに残念だったけど、それから色々考えて、改めて思ったんだ。あれから6年も経って、英司も大沢も、昔の同級生も今はみんな大人になっている。それぞれの道に進んでるって。なのに俺は、未だに6年前の文化際に拘り続けている」
「でも文化祭はユウくんにとって、とても大事だったんでしょ。なら拘ったっていいじゃない」
藍だってかつての優斗と同じように、文化祭でのステージで演奏するのを待ち続けている身だ。優斗の成仏はこの際置いておくにしても、彼が大事に思うその気持ちはよく分かる。
もし何らかの理由で自分が文化際に立てなくなったら、きっと凄く悔しいに違いない。
だけど優斗はさらに話を続ける。
「文化祭のステージを大事に思ってたのは、松原や大沢だって同じだよ。ずっと一緒に練習してきたんだから、それくらい分かる。でも二人は、結局あの年はそこに立てなかった」
それは以前に大沢から聞いた話だった。メンバーである優斗を欠いた軽音部は、その年の文化祭のステージを辞退したそうだ。
「だったら、なおさらならないとダメじゃない!」
その一件もまた、今回優斗がかつてのステージの再現を望んだ理由の一つのはずだった。自分が死んだせいで二人が立てなかった舞台を、現実のものにしたい。そんな思いが少なからずある事を、藍は知っていた。
だけど――
「だけど今の松原は、そんな事望んじゃいない。当時の悔しさも、俺が死んだことも、全部乗り越えて過去の事にしてるんだ。きっと大沢だってそう。俺にできるのは、そんなみんなの今を受け入れる事じゃないかな?」
それが、優斗の言う大人になると言うことなのだろうか?
藍にはどうするのが正しいかなんて分からない。だけど静かに語る優斗を見て、次第に反論の言葉も少なくなっていく。
「じゃあ、成仏するのはどうなるの?未練があったままじゃ無理なんでしょ?」
それは藍にとって、最後に残った反論の余地だった。たとえどんな理屈を並べられても、この一点がある限り譲れない。そう思っていた。
だけど優斗は、それにもちゃんと答えを用意していた。
「願いを叶えるだけが未練を無くす方法じゃない。今のみんなを心から受け入れられるようになれば、自然に未練もなくなって成仏できるって事はないか?」
それには、すぐに答える事はできなかった。そうすれば本当に上手くいくかなんて知らない。啓太にも聞いた事が無いし、聞いたところで知っているかは分からない。
だけど答えを推測する事ならできた。
「分かんない。分かんないけど、けどそれで本当に未練が無くなるなら、なんとかなるかもしれない」
「だろ。俺もそう思う」
安心したようにホッとため息をつく優斗。だが優斗の考えが正解だったとしても、藍はまだ納得しきってはいなかった。
「ユウくんはそれでいいの?ずっと叶えたかったんでしょ?」
優斗が望んだことを叶えてやりたい。結局のところ、一番大事なのはそれだった。もしかすると藍にとっては成仏させる事さえも、優斗の願いを叶える事による副産物だったのかもしれない。
もしここで優斗がやっぱり演奏したいなんて言ったら、もう一度松原に頼み込むつもりでいた。だけどそんな言葉が紡がれる事は無かった。
「やっぱり、すぐには整理がつかないな。けど俺がやりたかったのは、6年前の心残りを無くす事だよ。あの二人がもう大人になって、本当の意味で軽音部を卒業しているなら、俺も一緒に大人になりたい」
そんな事を言われてしまったら、もう何も言えなかった。
本音を言えば、やっぱりまだ文化祭のステージを再現したいと言う気持ちはある。願いを叶える事で未練を無くせるなら、その方が絶対にいい。
優斗だって本心はそうなのだろう。口調こそ穏やかだが、時折隠し切れない切なさが顔を出している。
だけどそれを口にすることは出来なかった。優斗本人が変わってしまった今を受け入れようとしているのだから、これ以上自分が騒ぐわけにはいかないと思った。
「ごめんね。私じゃ何の力にもなれなくて」
今回藍のした事と言えば、松原に出演を頼んで、そして断られただけ。役に立つような事は何も出来ていない。
だけど優斗は、そんな藍の頭をまるで慰めるように優しく撫でた。
「そんなこと無いよ。藍が必死になってくれて、俺のために頑張ってくれて、凄く嬉しかったから。それだけでも願いを言った甲斐があったよ」
そう語る優斗はさっきまでとは違ってとても嬉しそうで、その言葉が心からのものだと言うのが分かる。
自分のした事が、少しでも優斗の心の隙間を埋められていたら。そう思わずにはいられない。
「俺の願い、叶えようとしてくれてありがとう。あんなに一生懸命になってくれてありがとう」
何度もお礼を言いながら、未だ気持ちの整理がつかない藍を落ち着かせるように頭を撫でる。
そうしてようやく、これが優斗が考えた末に決めたことなら、自分も受け入れるべきなのかもと思えてきた。
大沢や松原がそうしたように、優斗がそうあろうとしているように、自分も変わってしまった6年間を受け入れた方がいいかもしれないと。
だけどその時だった。優斗に頭を撫で続けられている中、部屋の中に電子音が響いた。藍のスマホの着信音だ。
画面を確認すると、そこに表示された名前を見て驚いた。
「大沢先生からだ」
大沢には部活の連絡用としてこの番号を教えている。だけどこうして実際に電話がかかってくる事は滅多にない。
いったいどうしたんだろうと思いながら通話ボタンを押すと、すぐに彼女の声が聞こえてくる。
「急に連絡してごめんね。今電話して大丈夫だった?」
「はい。それより急にどうしたんですか?」
大沢とは、昼間松原を交えた一件の後はあまり話ができていなかった。声をかけようにも、なにかと忙しそうでそのタイミングが無かったからだ。
挨拶もそこそこに、早速大沢は話を切り出してきた。
「昼間言ってた文化祭の事で一度じっくり話したいんだけど、いい?」
それを聞いて、藍と優斗は思わず顔を見合わせる。
優斗もさっきまで諦めると言っておきながら、やはりまだ気持の整理はついていなかったのだろう。その顔には、確かな期待の色が灯っていた。
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