第39話 昔の仲間 1
思わぬ形でかつての部活仲間と再会した大沢は、驚きながらも嬉しそうに微笑んで、それから藍と啓太の二人を指した。
「久しぶりね松原くん、来てたんだ。この子達が私達の後輩よ」
「ああ。さっきステージで弾いてるの見た。それより――」
それから松原は一度藍に目を向けた後、食い入るように大沢に尋ねた。
「この子の持ってるベース、すごく見覚えがあるんだが。最初はたまたま同じ種類なのかって思ったけど、アイツが使っていたやつそのものと言うか。なんか傷まで似てるし――」
それを聞いて藍は、彼がなぜさっき自分にいきなりベースを見せてくれなんて言ってきたのか理解した。
「それ、有馬くんの使ってたベースよ。この子、藍ちゃんなの」
このベースは、優斗が亡くなった後藍が譲り受けたものだった。だから見覚えがあるのも当然だ。
松原は大沢の言葉を聞いて一瞬「藍ちゃん?」と不思議そうな顔をしたが、すぐに弾かれたように叫んだ。
「藍ちゃんって、優斗の妹の藍ちゃん⁉」
「妹とは違うわよ」
「似たようなもんだろ。あいつがいつも話してた、あの藍ちゃんでいいんだよな?」
「ええ、そうよ」
まるで知っているのが当然と言うように藍の名前がポンポン出てくる。思えば大沢と初めて会った時も、自分が藍だとすぐに察してくれた。
さらに、いつも話していたとまで言っている。
「……先輩、どれだけ藤崎の事話してたんだよ」
「別に普通だったと思うけど。俺、そんなに藍のことばかり話してたかな?」
呆れたような啓太と、不思議そうに首を捻る優斗。藍はと言うと、知らないところで自分の事がそんなに話題に出ていたかと思うと少々恥ずかしかった。
「それはそうと、なんの説明もなくいきなり声かけるなんて非常識じゃない。二人ともビックリしてたでしょ」
大沢が思い出したように注意する。確かに事情を知った今では納得するが、いきなりベースを見せてくれと言われた時は驚いた。
「悪かったよ。けど俺だって驚いたんだぞ。今の軽音部がどうなってるかと思って見に来たら、優斗のベースがそこにあったんだからな」
「そう言うところ、ちっとも変わってないわね」
ため息をつく大沢。何だか今の彼女は、普段よりも歯に衣着せぬ物言いをしている気がする。だがそれは決して嫌っているようなものではなく、むしろ気兼ねなく話していると言った感じだ。元同級生と言う間柄から生まれる気安さのせいだろう。
そんな二人を見ながら、藍はおずおずと手に持っていたベースを差し出した。
一応優斗にもいいかと目配せをすると、すぐにもちろんと返ってきた。
「あの、よかったらもっとちゃんと見ますか?」
「ああ。ありがとう」
松原はそれを受けとると、穴が開くくらいまじまじと見つめる。それは懐かしむような穏やかなものにも見えたし、同時にどこか辛そうにも感じた。
一方優斗は、そんな松原を感慨深そうに眺めている。彼の存在が優斗の中でいかに大きかったかは、話を聞いただけでも十分に知っていた。そんな相手が成長して目の前にいるのだから、思うところもたくさんあるのだろう。
(この三人で軽音部をやってたんだ)
藍はと言うと、優斗と松原、それに大沢を含めた三人を順々に見ていた。
優斗の前にこうして当時の仲間が揃うのはもちろん嬉しい。だけどその反面、少しだけ寂しいと思ってしまう。
(二人にもユウくんが見えたらよかったのに)
この二人は、幽霊になった優斗がこの場にいるなんて知らない。二人が話す姿を、どんなに嬉しそうに眺めているかなんて知らない。
それを告げる事ができたら、再び三人で話す事ができたらと思わずにはいられない。そうしたら、きっと優斗ももっと喜んでくれるのに。
だけどそれは無理な話。だからこそ、せめて優斗の願いは叶えたいと思った。この二人と一緒に文化祭のステージに立ちたいと言う、亡くなった後もこの世に留まるくらいの強い願いを。
「三島、あの事今話してもいいよね?」
「ああ」
小さな声で啓太に確認をとる。
あの事と言うのはもちろん、今度行われる文化祭に出て欲しいと頼む事だ。
それは元々この体育祭が終わった後、機を見て大沢に話すつもりだった。
演奏した直後にこれを頼むは思ったよりずっと急な事だったが、偶然にも当時の軽音部二人が揃った今はまたとないチャンスだった。
「あの……二人にお願いがあるんですけど、いいですか?」
「どうしたの、改まって?」
呼び掛けられ、二人は話を止めて藍を見る。その真剣な様子から何か大事な話だと悟ったようで、静かに次の言葉を待ってくれた。
「藍……」
ずっと二人を見ていた優斗も、藍が今から何を話そうとしているか分かったのだろう。藍が目を向けると、一言頼むと言ってくれた。その表情には、期待と緊張が入り交じっている。
「今度の文化祭、来てくれませんか?」
まず最初にそう告げると、松原はフッと笑う。
「ああ、もちろん来るよ。言われなくても、後輩達の公演ほとんど毎年見に来てるんだよ」
快く返事をする松原。だが、もちろん藍が頼みたいのはそれだけじゃない。むしろここからが本番だ。
「えっと、そうじゃなくて……ステージに出てほしいんです。松原さんだけじゃなくて、大沢先生にも」
「私も?」
「はい。私と一緒にステージに立って、6年前に弾くはずだった曲を演奏してほしいんです」
まさかこんな事を頼まれるとは思ってもみなかったようで、二人とも驚いた顔をする。あまりに突然の話だから戸惑うのも無理はない。
だが藍ももちろん冗談や思い付きで言ってるわけじゃない。
少しの沈黙の後、最初に喋ったのは松原だった。
「藍ちゃん。それってつまり、優斗ができなかった舞台を再現したいってこと?」
「はい。もしもユウくんがここにいたら、絶対それを望んだはずだから」
どうやら言いたい事を正しく理解してくれたようだ。もちろんこれは『もしも』ではなく、本当にここにいる優斗の望んだ事。だからなんとしても実現させたかった。
これを成し遂げないと優斗が成仏できないと言うのももちろんあるが、何よりそうまでなるほどの心残りなのだから、叶えてあげたいと思うのは当然だった。
「お願いします。文化祭、一緒に出てください!」
もう一度お願いし、勢いよく頭を下げる。
断られたらどうしようと言う不安はある。だけど優斗の事を笑って話す二人を見ると、きっと大丈夫だと思った。
だけど――
「ちょ……ちょっと待って!」
そう叫んだのは松原だ。その焦った様子を見て、藍は不安を感じずにはいられなかった。
「気持ちは分かるし、誘ってくれたのは本当に嬉しい。だけど、難しいな」
やはりと言うべきか、彼は申し訳なさそうにそう告げた。
「見に来るだけならともかく、演奏となると事前の練習だって必要になるだろ。俺も普段は仕事があるし、そんなに時間はとれないんだ。だから悪いけど、ごめん」
並べられる言葉に、まるで心が空気の抜けた風船のように萎んでいくのが分かった。
この答えは、そもそもこの計画を立てた時から覚悟していたものだった。
何しろ相手は仕事を持つ社会人。時間の都合なんていくらでもきく自分達とは違って、練習一つにしたって気軽にできるとは限らない。
だけど藍も諦めない。優斗の望んだことを、そう簡単には諦めたくない。
「なんとかなりませんか?ちょっとだけ、一曲だけでいいんです」
「本当にごめんね。でも、やっぱり難しいんだ」
いくら言葉を重ねても、松原はますます困った顔をするばかりだ。それでも藍はなおも食い下がろうとするが、その時、他ならぬ優斗が隣に立った。
「――藍、ありがとな」
藍の声を遮るように告げられたそれは、もういいからと、もう諦めるからと、言葉にする事なく伝えていた。
「でも――」
だけど藍はまだ納得していない。難しいと分かっていて、それでも何度も頼み込めば、或いはと思わずにはいられない。
だけど優斗は、静かにそれを沈めた。
「無理させてまでやってもらうのは、なんか違うから」
「――――っ!」
そんな事を言われてしまったら、もうこれ以上何か言うなんてできなかった。
そして、まるでタイミングを計ったかのように、午後の競技開始を告げるチャイムが鳴る。こうなると、藍達は今すぐ集合場所に向かわなくてはいけない。
「後片付けは私がやっておくから、あなた達はもう行って」
大沢にも促され、渋々ながら頷く。本当はまだここにいて、なんとか説得を続けたいが、それは無理な話だ。
「すみません。それと松原さんも、無理を言ってすみません」
そう言うと、返事も聞かずにその場から駆け出す。まだここにいたら、もっと我が儘な事を言ってしまいそうだったから。
「――大丈夫か?」
隣を駆ける啓太が言ったのは、藍と優斗どちらに対してだったのだろう。
優斗は藍達とは違い、集合場所に移動する必要なんてなかった。だけど今、一緒になってついてきている。
せっかくの再開がこんな結果になってしまって、いったい今どんな気持ちでいるのだろう。
「本当にありがとな。あんなに必死になってくれて、すごく嬉しかった」
笑顔で言ったその言葉に、決して嘘は無かった。自分のためを思って必死で頼み込む藍の姿には、涙が出そうになったくらいだ。
更に言うと、松原達に無理をさせたくないと言うのも間違いなく本心だ。今はそれぞれに事情があるのだから、それを曲げてまでやってもらっても、きっと申し訳なさで一杯になるだろう。
ただ、寂しかった。
変わっていくかつての仲間を見て、まるで自分一人が過去に取り残されたような気になって、それがなんだか切なく思えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
藍達が集合場所へと向かって駆けていたその頃、大沢は先程使った機材を片付けるため、旧校舎にある部室へと向かっていた。
だが、その機材を積んだ台車を押しているのは彼女ではなく松原だ。
「別に手伝ってくれなくてもいいのに」
「どうせもう少し見学していこうと思ってたんだ。何したって別にいいだろ」
そう話す二人だが、少し前とは一転し、漂う空気は妙に重い。そのせいか、互いに口数もだんだん少なくなっていく。
二人とも、さっきの藍のお願いに関しては不自然なくらい口に出していない。だがついに、大沢がそんな流れを変えた。
「もう少し、話くらい聞いてもよかったんじゃないの?」
その瞬間松原の表情が明らかに揺らいで、だがすぐに首を振った。
「って言ってもな。もう昔みたいに何でも自由にできるって訳じゃねえだろ」
返ってきた言葉は、先ほど藍に告げたのとほとんど同じもの。だが大沢は、そう語る松原を訝しげな目で見ていた。
「本当にそれが理由なの?私はてっきり、まだあの事を気にしてるんじゃないかって思ったんだけど」
「――っ」
松原の足が止まり、無言のまま大沢を見返す。今の言葉に決して頷きはしなかったが、その反応こそが肯定の証となっていた。
「相変わらず、変わってないのね」
そんな松原を見て大沢は呆れたようにため息をつくが、松原もまた苦い顔で言った。
「しょうがねえだろ――――そりゃあれから6年経ったけど、昔の事にするにはまだ早えーんだよ」
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