第38話 部活パフォーマンス 3

 音楽をやって楽しいのはどんな時か?そう聞かれると、結構すぐにいくつか答えられる。

 例えば、難しいコードが弾けるようになった時。例えば、他の人と音が上手く合った瞬間。そして、人前での演奏だってそうだ。

 大勢の前で何かをすると言うのは、もちろん緊張するし不安にもなる。だけど自分の音を、それまでの練習の成果をたくさんの人に届けられると言うのは、言葉にしようのない気持ち良さがあった。

 例えそれが今までで一番多くの人に見られる状況でも、芯にある楽しい気持ちは変わらない。


 ステージ上で弦を弾きながら、藍は頭の片隅でそんな事を思った。

 そして、チラリと隣に立つ啓太を見る。


(三島は私の方が上手いなんて言ってるけど、私には三島の方が凄いと思うよ)


 目の前にはたくさんの人がいて今にも圧倒されそう。だけど啓太は、まるでそんなプレッシャーを力に変えているように激しく音を鳴らしている。

 技術云々の優劣なんて分からないが、本番の勝負強さは間違いなく啓太の方が上だ。藍もそれを分かっているからこそこう思う。


(私も負けてられない!)


 啓太のギターは、例えるなら木で言うところの花だ。目立って、聞く人の心に強く印象を残す。

 対してして自分のベースは幹。啓太ほどの派手さは無い代わりに、全体の音の基礎を作る。その自分が足を引っ張るわけにはいかない。


 置いていかれないように、横に並べるように、そんな思いを込めて、必死に自分の音を鳴らす。


 ステージ前の最前列に目をやると、やはりそこでは優斗が聞き入っていた。

 熟練した人なら一人一人の顔と表情を見て演奏できると言うけれど、今の藍には無理な話。だからせめて分かる範囲で眺める。最初はもちろん優斗。それからその隣。

 ノリよく手を振ってくれている人もいれば、何となくで聞いている人もいる。これが今の自分たちの実力だ。

 だけどいつか、ここにいるすべとの人の目と耳を奪うような音を出せたら。まだまだ初心者の身で図々しいかもしれないが、そんな事を思わずにはいられなかった。





        ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 発表を終えステージを降りた藍達は、まるで長い道のりを全力疾走したみたいにヘトヘトになっていた。


「三島、大丈夫?」

「なんとかな。今になって疲れが出てきた」


 ステージにいるうちは疲れなんてまるで感じず、そもそも演奏時間だってそう長いものじゃない。だけど今、これまでに出場したどんな競技よりも間違いなく疲れている。


「でも、文化祭では、これよりもっとたくさんの人がいるんだよな」

「そうだね。もっと頑張らないと」


 今日の短い時間演奏しただけでもこんなに大変だったのだから、文化祭ではどれ程のものか予想もつかない。

 だけど、とりあえず今はこう思う。


「でも、今日は楽しかった。多分今までで一番」

「――だな」


 その瞬間、二人はクスクスと笑い合う。

 確かに疲れはしたけど、ステージ上で感じた高揚や、引き終わった時の達成感はそれ以上だった。ほとんどの部活にとって今回の発表は文化祭の前哨戦に過ぎないが、それでも何もかもが初めての藍達にとってはかけがえの無いものだった。


 そんな二人の元に駆け寄る影が一つ。優斗だ。


「二人ともよかったよ。よく頑張ったな」

「ありがと」


 優斗にそう言われると、疲れも一気に吹き飛ぶような気がした。


 本当はこのままもう少しの間余韻に浸っていたいのだが、残念ながらそうゆっくりもしていられない。この後使った機材を部室まで戻さないといけないのだ。


 おそらくこの場にいない大沢は、一人で一足先に後片付けに入っているのだろう。


「大沢先生の所に行かなくちゃ」


 そうして三人は大沢のいるグランドの隅へと歩き出す。だがその最中だった。


「ねえ、君!」


 急に声が飛んできて、藍は足を止める。見るとそこにいたのは、若い男の人だった。もちろん生徒では無い。その家族か、もしくはOBだろうか?


「あの、なにか?」


 藍にとっては全く見覚えの無い人物だ。

 総柄のシャツの上にオレンジのジャケットと言った派手目の格好。目付きは鋭く、何だか色々やんちゃした学生がそのまま大人になったような印象を受ける。



「君の持ってるベース、見せてくれない?」

「ええっ!」


 その男は自分が何者か名乗るよりも先に、一切の説明もなく言った。

 藍の持つベース。もちろんさっきステージ上で弾いていたあのベースだ。だが見知らぬ男性から突然そんな事を言われても対応に困ってしまう。


「あんた誰?」


 とうとう見かねた啓太が、行く手を塞ぐように藍の前に立つ。それを見て男もようやく自分のした事の軽率さに気づいたようだ。


「ああ、ごめん。怪しいものじゃないんだ。俺はこの学校のOBで――」


 慌てて自己紹介を始めるが、それが終わるより早く、藍は彼が何者か理解した。と言うか、隣にいた優斗が答えを言った。


「英司――英司だよな!」


 それを聞いて、藍も気づく。

 彼と直に会うのは初めてだが、その名前は今まででにも何度か聞いた事があった。


「えっ、ユウくんや大沢先生と同じ軽音部だった……」

「ああ。髪染めてないから、すぐには分からなかったけど」


 もちろん優斗の姿は彼にも見えていないので、そっと小声で確認をとる。


 彼の名は松原英司。6年前優斗の同級生であり、軽音部の仲間だった。

 そして――


「松原くん?」


 いつの間に近くに来ていたのだろう。その名を呼んだのは大沢だった。彼女もまた、優斗や松原と同じ軽音部の仲間だった。


「お前、大沢か?そう言えば先生になったんだっけ」


 かくして、幽霊の優斗を含めたかつての軽音部メンバーは、図らずもこうして再び一堂に介する事となった。

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