第37話 部活パフォーマンス 2

 藍がグラウンドについた頃、啓太は既に自身のギターのチューニングをしていた。と言ってもそれ自体は事前に何度もやっていたので、心を落ち着かせるためと言った意味合いが強い。

 彼は台車を押してくる藍を見ると、すぐさまそれを中断して駆け寄ってくる。


「こっちは俺がやっておくから、お前は自分のベースを用意しとけ」

「別にいいよ。三島こそ、まだ調整の途中だったんでしょ」


 元々自分がモタモタしていたせいで遅くなったのだから、そんなことまで手伝わせるわけにはいかない。

 だが啓太は、構わず藍の運んできた機材を下ろし始めた。


「そんなのもう終わってるよ。ただ気を紛らわしたいだけだ」


 果たしてそれが本心か、それとも手伝うための口実かは分からない。だがそう言った啓太の顔には、なるほど優斗の言っていた通り確かに緊張の色が見てとれた。


「ごめんね。全然集中できてなくて。三島だってこんなに緊張してるのに、それにも気づかなかったし……」

「緊張なんてしてねえよ。気を紛らわしたいってのは、もうこれくらいしかやる事無いからだ」


 それが強がりだというのは藍もさすがに分かる。

 周りにいる人の数を見て今からここで演奏するのかと思うと、それだけで既に圧倒されそうになる。こう言う時こそお互いに励まし合わなきゃいけないのに、自分があれこれ考えている間啓太は一人でこのプレッシャーと向き合ってきたのだ。


「お前が先輩の事で悩むのはいつもの話だろ」

「そんなこと……」


 無いとは言えない。幽霊となった優斗が現れてから今まで、ほとんど常に優斗の事はどこかで考えている。

 今回問題なのは、そのせいではっきりと支障が出ている事だ。


「前にもこんな事あったよね。入学してすぐの、部活紹介の時」

「ああ……」


 あの時も、直前で急にいなくなった優斗の事を考えて、啓太に言われるまで全然集中できてなかった。お陰で少しだけ啓太と揉めたりもした。

 思えばそれが、藍達が初めて人前でした演奏だった。振り返ってみると、何だかその頃から全然成長できていない気がする。

 だが啓太はそれに首を振った。


「あの時とは全然違うだろ。最近色んな事が立て続けに起こったってのもあるし、今回のは悩んでも無理ねえよ」


 そう思えるようになったのは、啓太の心境の変化も大きかった。あの頃啓太にとって優斗はただの顔見知り程度でしかなかった。藍の初恋の相手と言う事で意識はしていたが、個人としては接点も思い入れもほとんどなかった。

 だがこの半年間近くで過ごして、悩んだり迷ったりする姿を見て無関心ではいられないくらいには距離が縮まっている。そうでなければ、文化祭のステージに立つと言う願いも、あんな簡単に協力するとは言えなかっただろう。

 もっとも、そんな事決して口にはしないが。


 それから、少し意地悪そうにこう言った。


「だけど俺だって、部活紹介の時と比べたら少しは上手くなってるからな。横で気の抜けた演奏なんてしたら、すぐに下手だって分かるぞ」


 もちろんそれが、気をほぐすための冗談だと言うのはすぐに分かる。

 藍は吹き出すと、笑顔でそれに応えた。


「そうだね。そうならないように、ちゃんと集中しなきゃ」

「おう」


 お陰で、これまであった緊張も少しだけとれた気がした。


 そうしているうちに大沢や優斗もやってきて、次第に二人の出番が近づいてくる。


「藍ちゃん、緊張はもう大丈夫?」


 様子のおかしかった藍を気遣うように大沢が声をかける。さっきは慌ててごまかす事しかできなかったけど、今はちゃんと応えられる。


「はい。やっぱり緊張はしますけど、もう平気です」


 それを見て、藍の変化に気づいたのだろう。ホッとしたように息をつく。


「二人とも、頭が真っ白になりそうだったら、まずは楽しんで。どんなに練習を繰り返したって、やっぱり本番では不安や緊張はするものよ。でも、上手くやらなきゃってことばかり気にしてたらつまらなくなる。だから無理なんてしないで、楽しいと思える事を精一杯やって。そうすれば、音の出し方は指が覚えてるんだし、後はなんとかなるわ」


 背中を押すようなその言葉を聞いて、藍と啓太はなぜかクスリと笑って顔を見合わせた。


「あれ?何かおかしな事言った?」

「いえ、ありがとうございます」


 大沢はなおも不思議そうに首を傾げるが、それ以上聞く前に、いよいよ藍達軽音部の出番がやってきた。


「それじゃ先生、行ってきます」


 そうして二人はそれぞれの楽器を手に舞台となるステージへと向かう。

 それともう一人。


「先生、先輩と同じ事言ってたな」


 小声で言ったそれは、隣を歩く藍、そして優斗に向けられていた。

 さっき大沢の言っていた、緊張した時の対処法。二人がそれを聞いたのは、これが初めてじゃなかった。大沢は知るよしもないが、実は以前に優斗から全く同じ事を言われていたのだ。


「『楽しむ』ってのが俺達のやり方だからな。たくさんの人の前でやる時は、いつも誰かがそう言ってた」


 こう言うのを聞くと、藍は自分にはない優斗と大沢の繋がりを感じて、ちょっと妬けるけど、嬉しくもある。


 少しだけ、文化祭のステージへの出演依頼の事が頭をよぎる。断られたらどうしようと不安に思うところもあるけど


(先生なら、きっと大丈夫だよね)


 そんな思いを抱いて、だけどまたすぐに気持ちを切り替える。

 大沢や優斗が言っていたように、まずは今の演奏を楽しもう。

 すると舞台に上がる直前、まるでそんな心の声が聞こえたように優斗が言う。


「それじゃ二人とも、楽しんできなよ」


 そうして優斗は藍達と別れる。演者ではない彼は、もちろん舞台の上には上がらない。

 その代わり、その正面の一番見易いところに立つ。周りには人が大勢いるが、それらをすり抜けられる優斗ならなんの問題もなく陣取れる。

 いつもと同じ、藍達が演奏する時の定位置だ。


 一方舞台の上に立った藍と啓太は、これまでで一番多いの数の人を、そして互いの顔を見る。


 これでも今回の演奏は、規模で言えば今度の文化祭の前哨戦みたいなもの。だけどもちろん、気持ちはいつだって全力だ。


「やるぞ」

「うん」


 不安も緊張も楽しさも全部詰め込んで、藍達はそれぞれの音を鳴らした。

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