第36話 部活パフォーマンス 1

 グラウンドの周りでは至るところで声援が飛び交い、皆の視線が注がれる中次々と競技が進行していく。

 今日は体育祭当日。藍は既に自分の担当する競技を終え、あとやる事と言えば応援と昼休憩時にある部活パフォーマンスくらいだ。

 だが藍にとってはこのパフォーマンスこそ一番の張り切りどころであり、その為に夏休み明けから練習を重ねてきた。

 だと言うのに――


「藍ちゃん、手が止まってるわよ」


 間もなく迫ったパフォーマンスに備え、藍は軽音部の部室で必要な機材を台車に積み込んでいる最中だった。だがそこで、顧問である大沢の声が飛ぶ。

 それで始めて、いつの間にかボーッとしていた事に気づいた。


「すみません!」


 慌てて謝るが、大沢は注意よりも心配していると言った様子だ。


「なんだかずっと落ち着かないみたいだけど、昨日の練習でもそうだったわよね。緊張してるの?」

「えっ……そう、そうなんです。いよいよ本番って思うと、何だか頭の中が真っ白になって……」


 そう答えてはみたものの、実はそんなのは全くの的外れだ。確かに大沢の言う通り、藍の変調は昨日からのもの。だがそれは決して緊張によるものなどではなく、本当の原因は他にある。

 そんな藍の態度は大沢からも不自然に見えたのだろう。怪訝な顔をしたものの、本人がそう言っている以上深くは追及でなきなかった。


「気持ちは分かるけど、重い物を運ぶ時は気をつけないと怪我するわよ」

「はい……」


 とりあえずそれだけ注意すると、藍はもう一度頭を下げ準備を再開する。だがその姿は、相変わらず心ここにあらずと言った感じだった。

 藍がこんなにも心悩ませる理由、それはもちろん、昨日聞いた優斗の話についてだった。





       ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 当時の軽音部メンバーへの文化祭出演への誘い。それに対する怖さや寂しさについて、優斗はこう言っていた。


「俺は6年も前に死んでいて、本当ならそこで全部終わるはずだった。今はこうして幽霊になってるけど、その間に変わったものもたくさんある。藍はまだ小学生だった藍は高校生に、同い年の奴らはみんなもう大人だ」

「……うん」


 優斗が何を言いたいかはまだわからない。だけどそんな風に言われると、改めてあれからずいぶんと長い年月がたったんだと思い知らされる。


 そこで優斗は、いよいよこの話の核心に触れる。


「なのに俺だけが未だにあの頃に拘っていて、自分だけずっと時間止まってるような気がするんだ。実際死んでるんだから、その通りかもしれないけどな。でも、もし頼んで断られたら、尚更それを思い知らされるような気がしたんだ」


 それを聞いて、藍はすぐに言葉が出てこなかった。今までは、無理かもしれないけどとにかくやってみるくらいの意気込みで大沢達に頼むつもりでいた。だけど……


 もし断られたら、その時優斗はいったいどんな思いをするなるだろう。

 願いを叶える事だけに夢中になって、ダメだった時の事をほとんど考えはいなかった。





         ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 とまあ、そんな事があったのが昨日の朝。それから今まで、ずっとその話が頭を離れない。

 優斗の言っているそれは、単に演奏できないのが嫌なんじゃなくて、自分だけが周りに取り残されている事に寂しさを感じているのだろう。

 作業を続けながら、チラリと大沢を見る。文化祭での演奏を頼むのは今日の出番が終わってからにしようと決めていたので、彼女にはまだ何も話していない。だけどいざそれを言った時、果たしてどんな言葉が返ってくるのだろう。


 藍にとっては、幽霊とはいえ優斗が目の前にいる以上、彼は間違いなく今ここに存在している。だけどそれが見えない大沢にとっては、もう6年も前に亡くなった友人だ。

 優斗の事を楽しそうに語る姿から未だ大切に思っているのは確かだが、それでも6年と言う時の流れを思うと、簡単に引き受けてくれるとは限らない。


 大沢は準備の手伝いや打ち込み作業は常に手伝ってくれるが、藍達の前でドラムを叩いた事は一度もない。既にバンド活動は止めたからだと言っているが、そんな変化も優斗にとっては戸惑いを持って受け止められているのだろう。


 そんな事を考えると、さっき注意されたばかりだと言うのにちっとも目の前の作業に集中できない。

「藍!」


 そんな藍の様子に気づいたのは、もちろん大沢だけじゃなかった。いつもより明らかに手際の悪い藍を見て、今度は優斗の声が飛んできた。


「ごめん。今準備するね」


 急いで作業にあたるが、優斗は静かにその隣に立つ。


「ゆっくりでいい。怪我したら大変だから」


 こちらも大沢と同じく心配していると言った感じだ。今の自分はそんなに危なっかしく見えるのだろうか。


「昨日の俺の話、気にしてるんだろ」

「…………うん」


 ごまかそうかとも思ったが、こうも見透かされているのだからそれは無理だと諦める。もし違うと言ってもまず信じてくれないだろう。


「ごめんね。私、ユウくんが躊躇う気持ち全然分かってなくて、ダメだった時の事なんてちゃんと考えてなかった」


 最初は単に遠慮していただけだと思っていたし、どうして話してくれなかったんだと不機嫌にもなった。だけど今、優斗の気持ちを考えてみると、そんな簡単な事じゃないとわかる。


 だけど優斗は、そんな藍の憂いを払うように言った。


「俺は、藍がああ言ってくれて嬉しかったよ。もし自分一人で考えてたら、いつまで立っても言い出せなかったかもしれない」


 そう言ってくれて少しホッとする。それと同時に気を引き閉めなきゃと思った。

 優斗がこうしてやると決めたのだから、今更自分が失敗を怖がってあれこれ悩んでいても仕方ない。願いを叶えたいと言う気持ちそのものは少しも変わっていないのだから、やる事は何も変わらないのだから。


「だけどその前に、まずは今日の演奏をしっかりやること。俺の事を気にして満足に演奏できなかったら、そんなのちっとも嬉しくないから」

「うん。そうだね」


 頷きながら、改めて今するべき事を自覚する。文化祭ももちろん大事だが、優斗の言う通りまずは今やるべき事をやらないと。


「とりあえず、三島に声をかけてきなよ。アイツもだいぶ緊張してるみたいだから」

「三島が?」

「ああ。本人は隠してるみたいだから、俺が言ったのはナイショな」


 全然気づかなかった。だけど言われてみれば無理もない。

 グラウンドからは、今もここまで届くくらいの歓声があがっている。そんな人達の視線が、一気に自分達に注がれるのだ。単純に人の数で言ってもこれまでで一番多くて、しかも学校の生徒以外の人もたくさんいる。

 そんなのは全部分かりきっていた事とはいえ、いざそれを意識し始めたとたん冷や汗が出てきた。

 啓太だって経験で言えば藍と同程度なのだから、感じるプレッシャーはそう変わらないはずだ。


「そうだね。急がないと」


 さっきまでモタモタしていた手つきが急に早くなり、間もなく機材の積み込が完了する。


 啓太は既にここにはいなくて、一足先に別の機材を持って、グラウンドに向かっていた。そんな彼を追いかけるため、藍は足早に一歩を踏み出した。

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