第35話 優斗の未練 2

 文化祭でやるはずだった演奏。それが優斗の未練だと知った藍は、迷う事なく即座に言った。


「それなら、今度の文化祭で私に取り憑いて弾けばいいじゃない。私の体ならいくらでも貸すよ」


 文化祭のステージは藍にとってもずっと楽しみにしていた事だが、優斗のためならいくらだって体を貸しても構わない。


「あっ、でも私だけで決められる事じゃないよね。三島は、どう思う?」


 恐る恐る啓太に尋ねる。つい勢いで言ってしまったが、その時ステージに立つのは藍だけじゃない。もし啓太がここで嫌だと言ったら、どうなるか分からない。

 だがそんな不安に反して、啓太は反対しなかった。


「それが未練って言うなら、何とかするしかないだろ」

「いいの?」

「まあ、それでどうにかなるんならな。だけど全部はダメだぞ。ちゃんとお前が演奏する時間も作る事。それが条件だ」

 二人が了承したのだから、これで優斗が演奏するにはなんの問題もなくなったはず。


 だがそれでも、話を聞いた優斗は困った顔を浮かべていた。


「どうしたの?やっぱり時間いっぱい使った方がいい?それとも、私の体を借りてじゃダメ?」


 もしそうならいったいどうすればいいだろう。時間が不満なら啓太を説得する事になるし、自分の体でなければ嫌だと言うなら、どうすればいいのか見当もつかない。



「その前に、藍も三島もまずはありがとな。そこまで言ってくれて凄く嬉しい。だけど俺がやりたいのは、ただ文化祭で演奏したいのとは少し違うんだ」

「どういうこと?」


 単に不自然のステージで弾きたいだけなら話は簡単だった。だけどどうやらそうじゃないようだ。そもそもそれだけなら、いくらなんでもあれだけ言うのを躊躇ったりはしなかっただろう。


「俺にとって演奏は自分一人でやるものじゃないんだ。俺とギターとドラム、その三人が全員揃って、それで始めてできる事なんだ」


 それを聞いて、全てのパートを揃えなきゃいけないのかとも考える。だけどすぐにそうじゃないと気づいた。

 優斗が言うギターとドラムとは、恐らく単に楽器を指しているんじゃない。一番大事なのは、それを誰が奏でるかだ。


「それって、その当時の軽音部メンバーって事だよね」

「当時のメンバーって確か、ドラムをやってたのが大沢先生だったよな」


 優斗がまだ生きて軽音部にいた頃のメンバーのことは、今までにも何度か聞いている。一人は現在軽音部顧問を勤めている大沢泉。もう一人は、そもそも優斗を軽音部に誘ったと言う人物だった。


「じゃあ、ユウくんを入れたその三人で文化祭のステージに立ちたいってこと?」

「…………そうなるな」


 頷くのが少し躊躇い交じりになったのは、それが難しいと分かっているからだろう。啓太もそれを聞いて渋い顔をする。


「そうなると、俺達だけじゃなく他の人まで巻き込むことになるぞ。何とかしたいなら、文化際のステージに参加してくれって頼むことになるけど、大丈夫なのか?」


 確かに、藍達でできる事なら優斗の未練をはらすため、多少の無茶もできるかもしれない。だがそれに他の人が加わると話が違ってくる。

 協力してくれるよう頼むにしても、優斗の姿は見えないのだから事情を説明するわけにもいかないし、頼んだところで引き受けてくれるかもわからない。


 だが、優斗がこれを大いに望んでいるというのは藍にはよく分かった。優斗の言う軽音部のメンバー二人は、恐らく単なる部活仲間ではない。


 優斗が当時の軽音部を話す時は、その二人について話してると言ってよかった。時に冗談や悪態を織り混ぜながら語る姿は楽しそうで、いかにこの二人を大事に思っていたかがよく分かる。

 だから優斗にとっての未練は文化祭と言う場所だけじゃない。そのメンバーで、その三人でと言うのが、けっして譲れない願いなのだろう。


 何度も優斗から話を聞いている藍にとって、二人がいかに特別なのかは十分分かっているつもりだ。だから、いくら難しくても簡単には諦めたくなかった。


「その二人がいればいいんだよね。だったら頼もうよ。今度の文化祭で一緒に演奏してくださいって。きちんと事情は話せなくても、お願いすればもしかしたらやってくれるかもしれないじゃない」



 果たしてそう上手くいくかは分からない。でもだからと言って、藍の中に何もしないという選択肢はなかった。これで優斗が成仏できるのなら、ずっと抱えている未練が晴れるのなら、何としてもそれを叶えてあげたい。


「まず、大沢先生に文化祭でドラム叩いてって頼もう。前に、昔使ってたドラムがまだとってあるって言ってた」


 今の大沢は自分で直接ドラムを叩いたりはしないが軽音部の顧問だ。藍達のために打ち込みだってやってくれる。急にステージに立ってくれと言ったら驚くかもしれないが、頼んでみる価値は十分にある。


「もう一人の先輩はどうする?」

「OBとして出演ってのはダメかな?」


 聞いた話だと、吹奏楽部ではたまに卒業生を招いて今の部員と一緒に演奏したりもするそうだ。それなら軽音部でだってできない事はない。ただ……


「問題は引き受けてくれるかどうかだな。大沢先生と同級生って事は、その人ももう社会人になってるだろ」


 それに関しては直接頼んでみるまでわからない。何度か話には聞いているが、大沢と違って会った事もないのだから、どんな人物かもちゃんとは知らない。

 だが、そんな心配をするよりも先に再び優斗の声が飛んだ。


「二人とも、ちょっと待って!」


 それまでの流れを遮るような言葉に、藍と啓太も話を止める。これで優斗の一言で話が止まったのは二度目になるが、そんな彼はさっきよりもずっと複雑そうな表情を浮かべていて、その真意をすぐに読み取ることは出来なかった。


「今度は何だ?」

「もしかしてなにか間違ってた?それとも他にまだやりたい事があるの?それなら何でも言って」


 例えどんな難題だろうと、優斗がそれを望むならなんとしても叶えたかった。だがそんな張り切る藍を見て、優斗はなんだか複雑そうだった。


「そうじゃないんだ。俺がやりたいのは、二人が思っている通りで間違いないし、叶えてくれようとしてくれて凄く嬉しい。だけど俺がこれを言うのを躊躇ったのは、本当にそこまでしてもらっていいのかって迷ってたからなんだ」

「迷うって、どうして?」

「今度の文化際は、二人にとって今までで一番大きな舞台だ。できることなら俺の為なんかじゃなくて、二人がやりたいようにやってほしいんだ。二人だけじゃない。大沢も、もう一人のアイツも、今更俺の為にそんな事してくれたら、嬉しいけど何だか申し訳なくも思う」


 優斗にしてみれば、二人が自分の為に色々動いてくれるのはとても嬉い。だけど同時に、そうまでしてもらったら申し訳ないとも思ってしまう。

 藍の兄貴分として、軽音部においては二人の先輩として、その足を引っ張るようなまねはしたくなかった。

 当時のメンバーにしても、今になってそんな苦労を掛けると思うと、どうしても躊躇してしまう。


 だがそんな優斗の言葉を聞いても、藍の意見は変わらなかった。


「遠慮してるの?だったらそんなのいらないよ。だって好きでやってるんだもん!」


 そう言った藍は、彼女にしては珍しく不機嫌だった。それが優斗のためになるなら、どんなに苦労したって平気なのに。


「さっきも言ったよね。やりたい事があるならちゃんと言ってほしかったって。今だってそうだよ。この世に残るくらいの未練があるなら、それを叶える手伝いくらいさせてよ!」


 未練があるのを今まで話してくれなかった事だってそうだ。その時感じた蟠りは、未だに少し残っている。

 それが遠慮や気遣いだと言うのはは分かるが、それを理由に自分の気持ちを隠さないでほしかった。そんな事をされても全然嬉しくないし、むしろ悲しい。


「お……おい藤崎、落ち着けよ」


 滅多に見ることの無い怒っている藍に動揺したのか、啓太が若干噛みながらも口を挟む。

 思えば優斗に向かってここまでキツイ言葉を浴びせたのなんて初めてだった。本当はこんな事が言いたいのではなく、ただ純粋に頼ってほしいだけだ。優斗が願う事なら、何だって叶えられるよう頑張るつもりでいた。

 だけどいつまだ立っても肝心の優斗は躊躇ってばかりだ。例えそれが我儘であっても、全部いって欲しいのに。


 そんな気持ちで、どれくらいの間優斗を見据えていただろう。だがそんな時間は、優斗が小さく漏らした一言で終わりを迎えた。


「――――ごめん」

「――――えっ?」


 頭を下げながら告げられた、あまりに素直な謝罪の言葉。それを聞いて、まるでこれまでの怒りが抜けてていくかのような感覚に陥り、思わず声が漏れてしまった。


「藍、それに三島も。せっかく二人がやる気になってくれてるってのに、肝心の俺がこんなんじゃダメだよな。本当に悪かった」

「う……ううん、私こそごめん。ユウくんの話も聞かずに勝手に進めようとして……」


 元々藍は怒るのには向かない子だ。それがこうして全面的に謝られたのだから、すっかり元などと思っていて、ついさっきまで不機嫌だったとは思えないくらいたじろいでいた。


 そんな藍を見て、啓太からは苦笑が漏れる。そんな状態もようやく落ち着いてきたころ、優斗は改まったようにこう漏らした。


「色々理屈付けてたけど、本当はきっと怖かっただけなんだと思う」

「怖い?」


 突如出てきた場違いともいえる言葉に、思わずオウム返しで尋ねる。


「そう。もしこれが叶わなかったらって思うと、怖いと言うか、凄く寂しくなるだろうって思ったから」

「どういう事?」

「それはな――――」


 尚も意味が分からず首を傾ける藍。それを見ながら優斗は、内に秘めた想いを少しずつ語り始めた。

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