第34話 優斗の未練 1

「前に、先輩の体が薄くなった事があっただろ。ひょっとしたら成仏するかもって思ったあの時」

「ああ――」


 啓太がいつの事を言っているのかは、二人ともすぐに思い出す。優斗が幽霊になってから割りとすぐに起きた話だ。元々うっすらと透き通っていた優斗の体がさらに薄くなり、そのまま消えて無くなるのではないかと誰もが思った。結局彼はこうして今もこの世にいるのだが、それ以来体はより透明に近くなったままだった。


「あの時成仏こそしなかったけど、そうなりかけたのは間違いないと思う。だからそうなった原因を考えると、成仏する方法も分かるんじゃないかって思ったんだ」

「ああなった原因……」


 言われて藍達も考える。あれは学校から帰る途中に起きた事で、その瞬間特別な何かをしていた訳じゃない。だけどその少し前に記憶を戻すと、そうなる心当たりのようなものがあった。


「「鱚よりも速く!」」


 二人が同時に叫んだのは、藍が小学生だった頃好きだったアニメのタイトルだ。水泳部に入っている主人公の女の子が、魚の鱚よりも速く泳ぐのを目指すストーリーなのだが、これは今は関係ない。

 大事なのは、優斗の体が薄くなる前に、藍の体を借りてそのアニメの主題歌をベースで弾いていたと言う事だ。


「あれって、先輩がまだ生きていた頃に藤崎が弾いてくれってねだったんだよな?」

「うん。大好きなアニメの歌だったから、ユウくんに弾いてもらえたら嬉しいなって。その時は、あんなに難しいって知らなかったから……」


 優斗は二つ返事で引き受けてくれたものの、本来ベースでの独奏を想定していない曲を弾く事になったのだから編曲から始めなくてはならず、今にして思えば相当無茶を頼んだんだと分かる。

 結局曲は完成までこぎ着けたものの、藍の前でそれを披露するより先に優斗は命を落としてしまい、聞かせられないままだった。


 それを、幽霊になった優斗が藍の体を借りて弾いたのが、優斗が消えかかる少し前の出来事だ。


「先輩、生きてる頃に藤崎にそれを聞かせられなかった事、未練になってなかったか?」

「もちろん未練だったよ。せっかく藍に喜んでほしくて練習したのに、一度も聞かせられなかったんだからな。だからああして弾くことができて本当に良かった」


 そう言いながら優斗は、それに話を聞いている藍も、啓太の言っていた成仏しかかった原因についてだんだんと見当がついてきた。


「未練や心残りがなくなれば、成仏できるの?」

「多分。幽霊ものの定番だしな」


 実際『鱚よりも速く』を藍に聞かせたすぐ後に、優斗は一度成仏しかかっているのだから、大いに納得できる話だ。だがそれだけだと、まだ完全に成仏させる方法が見つかったとは言えなかった。


「でもユウくんは、結局成仏しなかったよね」

「ああ。あれから半年くらいたったけど、最初に体が薄くなってからは何も起きないな」


 未練がなくなれば成仏できる。それなら、『鱚よりも速く』を弾いた時点でこの世からいなくなってもおかしくない。だけど優斗は、今もこうしてこの世にいる。

 だが啓太はその答えも既に用意していた。探るような目付きで優斗を見ながら問う。


「って事は、まだ残ってる未練があるんだろ。違うか、先輩?」


 これが、啓太が考えた末に出した答えだった。ここで優斗がもう未練なんて無いと言えば今まで言っていたのは全て的外れと言うことになってしまうが、恐らくそれはないだろうと思っている。


「ああ、そうだな。あるよ、未練」


 そして案の定、優斗は首を縦に振った。

 啓太はそれを聞いて、やはりこの考えは間違っていなかったんだとホッとする。だがその一方で藍は穏やかではいられなかった。


「ユウくん、まだ他にやりたい事があったんだ。それならどうして言ってくれなかったの?言ってくれてたら、私がとっくに何とかしてたかもしれないのに……」


 藍はこれまでにも、成仏云々は抜きにして優斗にやりたい事はないかと何度も聞いていた。もしもっと早くに未練の事を話してくれていれば、昨夜のような事にはならなかったかもしれない。

 それに、願いがあるのにずっと黙っていたと言うのは少なからずショックだった。

 その様子は優斗にもしっかり伝わったようで、申し訳無さそうに言う。


「ごめん。意地悪で黙ってた訳じゃないんだ。ただ、頼んでも難しい事だから、それならいっそ黙っておいた方がいいかなって思ったんだ」

「それでも、やりたい事があるならちゃんと言ってほしかったよ」


 優斗が迷惑をかけちゃいけないと思って話さなかったのは分かったが、なら仕方ないとすぐには割りきれなかった。例えどれだけ難しい事でも、遠慮なんてしてほしくなかった。


「藤崎、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」


 見かねた啓太が言う。確かに今大事なのは優斗の持っている未練を晴らす事だ。こんな不満を漏らしてもどうにもならない。


「…………うん、そうだね。ごめん」

「いや、こんな事ならもっと早く話しておけば良かった」


 藍と優斗がお互いバツが悪そうな顔をして見つめ合ったところで、啓太が次に話を進めた。


「それで、結局何なんだよその未練ってのは」

「ああ、そうだな」

 そうして、ようやく優斗は未練が何なのか語り出す。


 未練が無くなれば成仏できる。その考えが正しかったとしても、その未練が何なのか聞かなければ何も始まらない。難しい事と言っていただけに、耳を傾けながら握る手には自然と力が入っていた。


「文化祭だよ。」

「文化祭って、11月にあるあの文化祭だよな?」


 啓太が聞き返すが、藍には既に優斗が何を言おうとしているか分かった。それによく考えてみれば、それは十分に予想できるものだった。


 だってそれは、生前の優斗がよく話していた事だったから。


「文化祭でやるはずだった、俺達軽音部の演奏。だけど俺は本番前に死んで、結局できずじまいだった。それが俺の未練だよ」

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