第32話 倒れた理由 2

 一呼吸おいた後、啓太は自分の考えた、優斗が倒れた理由を語り始めた。


「多分、叶への怒りや藤崎に触れられないもどかしさが原因なんだと思う。負の感情に呑まれた時、意識が飛んだり気分が悪くなったりしたって話は聞いた事がある」


 優斗の言っていた内容はノロケと言ってもいいくらいのものだったが、その中には怒りや悔しさと言った思いが確かに存在していた。むしろ本人にしてみれば、それらが主な感情だったのだろう。


 負の感情に呑まれる。その言葉を聞いて、優斗と藍も不穏な気配を感じずにはいられなかった。


「それって、悪霊になるってやつだろ?昨日、俺が倉庫でなったような……」


「それって、ユウくんが悪霊になるってこと?」


 当時の事を思い出したのか、優斗は顔を曇らせる。悪霊と聞いて藍も焦ったのだろう。急かすように前のめりで聞いてくる。


「先輩には昨日も言ったけど、そうそうすぐに悪霊にはなんねえよ。ある程度時間をかけて、少しずつ変わっていくんだ。倒れたり気分が悪くなったのは、その余波みたいなもんだ」

「じゃあ、大丈夫なの?」


 ひとまずは心配ないと言う事だろうか。藍は期待を込めて聞くが、さすがにそれは都合のいい願望に近かった。

 啓太は表情を曇らせると、言いにくそうにそれに答える。


「すぐにマズイ事になるってのはないと思う。だけど、いずれは多分そんな日が来る。早いか遅いかってだけだ」

「――――っ!」


 期待を打ち砕くような言葉に藍は絶句する。当の優斗はと言うと、藍ほどの動揺は見せずに、一言落ち着いた様子で「そうか」とだけ返した。

 だが反応が小さかったからと言って、決して平気だったと言う訳ではないのだろう。さっきまでより明らかに表情は沈み、じっと何かを考えているように黙り込む。

 その末に、まるで探るように聞いてくる。


「負の感情が原因だって言うなら、怒ったり悲しんだり、そう言うのを考えないようにすればいいのか?」

「そうなるな。けどそんなの無理だろ。ずっと笑いっぱなしでいろって言ってるようなもんだぞ。例えば藤崎が泣いたとしても、笑わなければならねーんだよ」

「だよな。それは絶対に無理だ」


 優斗も、はじめからこれは無理があると分かっていて言ったのだろう。否定されてもそれほど落胆したはしていない。

 だが啓太は、それに追い撃ちをかけるように言う。


「それに、幽霊ってのは嫌でも良くない感情を溜め込みやすいんだよ。元々が、未練からこの世に留まっているやつらだ。だけど誰からも見えずに触れられもしない体じゃ、できることなんて限られてくる。大抵の場合、未練なんて晴らせない。そんなんで、何とも思わないわけ無いだろ」


 それは、啓太がこれまで見てきた幽霊に共通して言える事だった。みんな最初は幽霊になった自分に戸惑い、なんとかして生前やり残した事を果たそうとあれこれ模索して、だけど結局それは叶うことなく、段々と心に負の思いを溜め込んでいく。


「大抵のやつは、未練も果たせず何もできない幽霊の自分が嫌になる。そうしていくうちに負の感情がたまって倒れたりる事もある。それで最後はいつの間にか理性を忘れていって、悪霊になるんだ。でなければすっかり何もかも諦めて、いつの間にか消えていく。一応後のやつは成仏したって事になるかもしれないな」


 だけどそれまでの経緯を見ていると、とてもよい方法とは思えなかった。心がやつれていき、何の願いも持たなくなっていくのを見るのはやるせない気持ちになる。


「三島、今までにもそんなにたくさんの幽霊を見てるんだな。さすが霊感少年」

「茶化すな」


 からかうような言い方に声を荒げるが、それが気を紛らわす為に言ってるとすぐにわかる。こんな話を聞かされて、何とも思わないはずがない。


「先輩だって心当たりあるんじゃないのか?自分が幽霊だってのが嫌になる事」

 意地悪な言い方をしてしまうが、それはこれまでの経験から確信している事だった。幽霊の抱く負の感情の大半は、何もできない幽霊の身を悔しく思うのが原因だ。

 だが優斗は、首を縦には振らなかった。


「いや、俺は今に満足してるよ。そりゃ昨日みたいな事があって何もできないって言うなら話は違うけどな。藍と話ができるし、頼めば体だって貸してくれる。普通死んだらそれで終わりだってのに、これだけの事ができるんだ。この上さらになにかを望んだらバチが当たるよ」


 確かに優斗のおかれている環境は、幽霊にしてみれば相当恵まれてている。おそらく生前一番大切な存在だった藍とは普通に会話ができるし、体を貸してもらえるならやれる事だって随分と増える。

 実際そのせいか、彼は啓太が今まで出会った幽霊の中でも最も生き生きとしていて、幽霊と聞いて連想するような悲壮感は一見見受けられない。

 だけど――――


「それ、嘘だよね?」


 今まで黙って話を聞いていた藍が、ポツリと言った。


「だってユウくん、たまに凄く寂しそうな顔するもの。誰からも気づかれなかった時や、昔の軽音部の事話す時、あと大沢先生を見る時もたまにあるかな。そう言うの見るたびに思ってたんだ。本当は、もっとやりたい事や、会って話をしたい人がいるんじゃないかって」


 それはいつも、ほんの少しの変化でしかなかった。だけどいつも優斗を見てきた藍は、決してそれを見逃さなかった。

 たまに見せる切ない表情から、しっかりとその裏にある思いを読み取っていた。

 それを聞いても、一見優斗には何の変化もなく、的外れな事を言っているのではないかと思いそうになる。だがそれから優斗は、フッと一息ついて表情を崩した。


「…………あんまり顔には出してないつもりだったんだけどな」


 それは藍の言っている事を肯定するに等しかった。自らの抱えている寂しさを、ここに来てようやく認めた。

 それから今度は、逆に藍に向かって尋ねる。


「なあ藍、この際だから聞くけど、ベースを弾いてってねだったり、一瞬にご飯食べようって言ったりして俺に体を貸すのって、俺を元気づけようとしてやってくれてたんだよな」

「~~~~っ!」


 こちらは優斗とは違い、一目で動揺するのが見てとれる。


「あの、その……私がそうしたいって言うのもあるんだよ。ユウくんの演奏聞きたいし、一人でご飯食べるより、一緒の方が楽しいし……」

 恐らく元気付けるためと、単に自分がそうしたいから、その両方が含まれているのだろう。本人はさりげなくやっていたつもりなのだろうが、すっかり見透かされていた。


「ありがとな。おかげでいつも元気をもらってるよ」


 優斗は他の幽霊と比べて、負の思いを溜め込むペースは非常に緩やかだった。それは、こうした藍の気遣いによるものも随分と大きいのだろう。

 だがそれでも、全ての憤りが無くなる訳じゃない。


「だけどこのままじゃ、いつかは先輩だって限界が来るぞ。現に昨日は倒れたじゃないか」

「――――まあ、そうなるな」


 啓太の言葉に、部室は再び緊張した空気に包まれる。藍達にできる事は、少しでもその時を遅らせる事だけだ。


「だから俺は最初に言ったんだよ。できるもんなら早いとこ成仏しろって」

「ああ、そう言えばそうだったな」


 思えば啓太は、初めから優斗を成仏させようとしていた。ことわりを曲げてこの世にと留まらせても、いずれ苦しむ事になると分かっていたから。


「だけど、成仏する方法なんて分からないままだよね」


 そんな方法があればとっくに試しているだろう。なのに優斗は今もこうしてここにいる。それが答えだ。少なくとも藍はそう思っていた。


 だが啓太は言う。


「それが、あるかもしれない。俺の考えが正しかったら、多分これで成仏できるはずだ」

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