第29話 看病回 中編
(熱い……)
気がついたら、反射的にそんな事を思っていた。次に感じたのは、全身を伝う気持ち悪さだ。まるで水を被ったように、全身から汗が流れている。
(あれ?私、どうしたんだっけ)
覚えているのは、熱を出したということ。
それから次第に、靄がかかったように曖昧だった意識が次第にハッキリしていき、今まで自分が自らの部屋のベッドに入って眠っていた事に気づく。
時計を見ると、時刻はもうお昼近くを示していた。
いったいいつの間に部屋まで移動したのだろう?不思議なことに、そんな記憶は全くと言っていいほどない。
覚えているのは、心配そうに寄ってくる優斗の顔。それに、その直前に起こったおでこを当てて熱を測った一件だ。すぐ側に迫った優斗の顔と、その時見ていた唇は、今でも鮮明に思い出せる。いや、思い出してしまうと言った方がいいのかもしれない。
(~~~~~~っ!)
その場面が頭をよぎった途端、元々火照っていた体が更に熱くなる。
浮かんだ光景を振りきるように、慌てておき上がったのがまずかった。元々体調が万全でないこともあり、その拍子に体が大きく揺れ動き、気がついた時にはベッドから転がり落ちていた。
「──はぁ」
打ち付けられた体に痛みを感じながら、もう一度ゆっくりと上体を起こし息を吐く。散々な目に遭ってしまったが、おかげで少しだけ、変なドキドキから解放されることができた気がする。
その時だった。
「藍、目が覚めたのか?」
押し入れの中から優斗の声がした。多分、さっきベッドから落ちた音を聞いていたのだろう。
「そっち行ってもいいか?」
「うん」
返事をすると、今朝と同じように、押し入れの扉を突き抜け優斗が姿を表した。心配そうな顔をしていた彼だったが、藍の姿を見て少しだけその表情が和らぐ。
「少しはマシになったみたいだな」
そう言われて、確かに今朝よりも楽になっている事に気づく。さっきまでは熱の籠った布団に入っていたため必要以上に熱くなっていたが、こうして抜け出してみると頭もいくらかスッキリしてきたような気がする。
「うーん、そうかも。汗をかいたのが良かったのかな?」
「けど倒れるくらい悪かったなら、もっと早くに安静にしといた方がよかったぞ。何かあったら大変たからな」
「うん。ごめんね、心配かけて」
不安そうな顔を見せた優斗を見て思わず謝るが、同時に少しだけ思う事もある。
(倒れたのって、ユウくんがあんな風におでこ当てて来たのも原因なんじゃ……)
とは言え今それは言うまい。と言うより、深く考えるとまた倒れてしまいそうだ。
そんな事を考えながら、藍はそこで初めて、自分が朝食の時と同じ格好のままだと言うことに気づいた。どうやら着替えもしないまま眠り込んでいたようだ。
「私、どうやって部屋まで来たんだっけ?」
不思議なことに、意識がハッキリしてきた今でも、その辺りの記憶は全然思い出せないままだ。
「ごめん。それなんだけど、藍の体、勝手に取り憑かせてもらったんだ」
「どう言うこと?」
「藍が倒れて、このままにしちゃいけないって思った。どけど俺じゃ藍を部屋まで抱えて運ぶ事はできないから、一度取り憑いて、そのままベッドまで行ったんだ」
それを聞いて、記憶が無い事にもようやく納得がいった。
「許可も取らずに勝手に取り憑いたりしてごめんな」
「ううん、そんな事ないよ。ありがとう」
自分を助けるためにやってくれたんだし、何より優斗なら、嫌がるようなことは絶対にしないと分かっている。だから取り憑かれたって平気だ。
「着替える訳にもいかないから、服はそのままになってるけどな」
「う……うん」
そこは、少し恥ずかしがりながら頷く。そんなことになったら、きっともう一度倒れてしまうことだろう。
だが改めて自身を見つめると、服はヨレヨレになっているし、あまりじっくりと見られたいような姿じゃない。おまけに寝ている間にかなりの汗をかいていたようで、内に来ていたシャツが肌にベッタリと張り付いている。
「えっと……着替えたいから、少しの間出てもらっていい?」
「ああ」
今の自分の姿を隠すように布団にくるまりながら言うと、優斗は二つ返事で部屋から去ってくれた。
素早く着替えを終え合図をすると、優斗もすぐに戻ってくる。その時藍は、再び布団の中へと入っていた。
「病院、行かなくてもいいか?」
「大分楽になってきたから、このまま寝てたら大丈夫だと思う。薬も飲んだしね」
そう言って、机の上にある風邪薬を指差す。さらにその隣には、水の入ったペットボトルとコップ、それに体温計も置かれていた。
「これ、ユウくんが持ってきてくれたんでしょ?」
「ああ。必要になるかなって思って、取り憑いた時ついでにな」
「ありがとう。おかげで助かったよ」
大した手間ではないだろうが、未だ重い体を起こしてあれこれ用意するとなると、きっと億劫になっていたに違いない。
ホッと一息つくと、優斗が思い出したように言う。
「そう言えば、前にもこんな風に熱だして寝込んだ事があったよな」
「そうだっけ?」
いつの話だろう?
もちろん、風邪をひいた事なんて今までにも何度かある。だが優斗がその中のどれを言っているのかは、すぐには分からなかった。
「覚えてないか?確か去年の……いや、藍にとってはもう何年も前の話か」
優斗が幽霊としてこの世に現れたのは、藍が高校に入学した今年の春の話だ。亡くなってからその瞬間までの記憶は一切無い。たから時々、こんな風に時間の感覚にズレを感じる事がある。
優斗にとっての去年とは、つまり彼が亡くなる一年前。藍にとっては6~7年も前の出来事だ。
それでも、優斗が何の話をしているか知りたくて、古い記憶を掘り返す。
そして、気がついた時には声を上げていた。
「あっ!」
「思い出した?」
その反応を見て優斗はにこやかに笑うが、なぜか藍は気まずい顔をしている。そして、恐る恐る確認するように尋ねてきた。
「えっと……それって日曜日だったよね?」
「ああ、そうだったな」
「……確かその前に、私がユウくんに1日遊んでってお願いしてたよね?」
「そうそう」
優斗が一つ一つ質問に答える度に、藍の顔色がだんだんと悪くなっていく。
「わ、私が……遊んでくれなきゃ嫌だって駄々をこねたあの時?」
「ああ、そうだよ」
「────っ!!!!」
最後の質問に返事が来た瞬間、掛けていた布団で顔を覆った。頭がクラクラして、せっかく下がったはずの熱がまた一気に上がったような気がした。
それから少しだけ顔を出し、消えそうな声で呟く。
「ご……ごめん。迷惑だったよね」
思い出されるのは、風邪だと言うのになかなか優斗から離れようとしないかつての自分の姿。
遊んでと言っては両親から叱られ、ようやく渋々布団に入ったかと思いきや、今度は眠るまで側にいてくれなきゃ嫌だと言っていた。
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