第27話 料理とお風呂と停電と

 ある日の夜、リビングにあるテーブルの上にはたった今出来上がったばかりのスパゲティナポリタンが、湯気を立てて皿に盛りつけられている。藍はそれをフォークで巻き取り、口へと運んだ。

 いや、それを藍と呼んで良いのかは分からない。今この体の主導権は、彼女に取り憑いている優斗が持っていた。


「ど……どう?」


 頭の中に藍の声が聞こえてきて感想を求める。優斗が取り憑いている間も五感は正常に機能しているので、藍もどんな味かは分かるはずだ。それでもその声には不安と緊張、そして期待が混ざり合っている。


「美味しいよ。前もたまにお菓子とか作っていたけど、こんなに上手になっていたんだな」

「ほんと⁉」


 優斗の言葉に藍は声を上げて喜ぶ。今食卓に並んでいる料理は、全て藍が作ったものだった。


「でも、このまま俺が体借りたままで良いのか?味は分かるだろうけど、せっかく作ったんだから自分で食べたいんじゃないのか?」


 優斗はそう言うが、藍にとってこの状況は望むところだった。


「ユウくんに食べてほしくて作ったんだよ」


 幽霊である優斗は普段ものを食べることが出来ない。だがこうして藍に取り憑いている時は別だった。

 それが分かってから、藍は時々優斗に体を貸しては食事をさせている。栄養という意味では必要ない事だが、それでも優斗が美味しそうにものを食べているのを見ると藍も嬉しかった。さらに今回は、自分が作った料理だったので特に食べてもらいたかった。


「そう?藍がそう言うなら――」

 そうして優斗は次の料理を口へと運ぶ。その度に藍は反応を気にして、返ってくる答えを聞く度に喜んでいた。


「藍がこんなに料理が上手くなってるなんて驚いたよ。おじさんやおばさんに教わったのか?」


 優斗は藍を褒めるのに、照れや躊躇いは一切ない。あまりに手放しで褒めるものだから、何だか藍の方が照れ臭くなってくる。


「うん。と言ってもたまにしか作らないけど。今日みたいにお父さんとお母さんがいない日とかね」


 藤崎家の食事は普段は全て母親が作っていて、今回はごくたまにある例外だった。

 藍の言った通り、今日はこの家に両親はいない。二人そろっての用事があり、明日まで泊りがけで出かけているのだ。


「おじさんとおばさん、心配してたな」


 優斗が思い出したように言う。両親は藍が一人で家に残るのを心配し、誰か友人の家に泊めてもらったらどうかとも提案してきた。だが藍はそれを断った。


「二人とも心配しすぎだよ。私だってもう子供じゃないんだから。それにユウくんだっているしね」

「何かあった時、俺がどれだけ役に立てるかは分からないけどな」


 優斗はそう言いながら、そっと窓の方へと目をやった。カーテンが掛かっているため外の様子を見ることは出来ないが、さっきから何度も強い雨音が響いていて、激しい雨が打ち付けられているのが分かる。

 両親がいないこの言うのに、土砂降りと言う悪天候が重なってしまっていた。だからと言って何か危険があるわけでもないだろうが、途切れることなく響いてくる雨音は、何となく不安を煽ってくる。


「大丈夫だって。それより、早く食べよう」

「ああ、そうだな」


 そんな空気を振り切るように、明るく料理を進める藍。だが優斗が次の一口を運んだその時、小さい声を上げた。


「あうっ……」

「どうした?」


 何かあったのだろうか?そう思いながら優斗が食べる手を止め尋ねると、藍は恥ずかしそうに言った。


「……ピーマン」

「ピーマン?」


 言われてみれば、優斗が今口にした中には、細く切ったピーマンの欠片が混じっていたような気がする。


「そう言え場合は昔からピーマンが苦手だったな。でもそれなら始めから入れなければ良かったのに」

「一応レシピに書いてあったから、少しだけ。それにユウくんが取り憑いている時に食べれば大丈夫かもって思って」


 だけど残念ながら、その目論見は見事に外れてしまった。

 優斗はクスリと笑うと、中に入っているピーマンを一つ一つ取り出していく。


「ごめんね」

「いいって。少しずつ食べられるようになろうな」


 ついさっき子供じゃないと言っていたばかりだというのに、ピーマンが嫌いで選り出してもらうなんてまるっきり子供みたいだ。

 奇麗にピーマンを全て選り出した優斗は、それからも美味しそうに藍の作った料理を食べ進めてくれていた。





「ごちそうさま。美味しかったよ」


 全て食べ終えた優斗は、そう言ってにこやかに笑った。

 それから藍は後片付けに移る。優斗は、自分が食べたのだから片付受けは自分がやると言ったのだが、藍は断った。


「どのみち動くのは私の体なんだから」


 そう言われてしまっては、優斗もそれ以上は何も言えない。

 優斗をリビングに残しながら洗い物をしていた藍は、さっきまで優斗の言っていた料理の感想を思い出す。


(良かった。ユウくん、美味しいって言ってくれた)


 優斗が自分に取り憑けると知った時から、自らの手料理を振る舞うというのはいつかやってみたいと思っていた。今日は両親がいないので、優斗が長い時間取り憑いていても変に思われる心配が無いという事でやってみたのだ。


(作って良かった)


 優斗の言ってくれた『美味しい』を頭の中で何度も繰り返し再生しながら、藍は上機嫌で片づけを済ませるのだった。




        ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 食事の後片付けを終えた藍は、その後お風呂に入る。少しぬるめのお湯が全身を包み込み気持ちがいい。しかしそんな時でも考えるのはやっぱり優斗のことだ。


(ユウくんは、まともにお風呂に入ることもできないんだよね)


 幽霊である優斗の体はあらゆる物をすり抜け、汗もかく事が無い。つまり一切汚れる事も無いので、たとえ風呂に入らなくても入らなくても問題はなかった。

 けれど入浴というのは単に体を洗うだけでなく心をリラックスできる時間でもある。できることなら、何とか体験させてやりたい。

 そう思って、一度両親がいない時にお湯を張ったお風呂に入れてみた事がある。だけど優斗はすぐに出てくると微妙な顔をしていた。聞いてみると、お湯も彼の体をすり抜けていくので、あまりお風呂に入っていると言う気がしなかったそうだ。


(私の体を貸してあげられたら……)


 ふと、そんなことを思う。さっきの食事みたいに、優斗が藍に取り憑けば入浴だって体験させることは可能だ。理屈の上では。

 しかし、しかしだからと言って、実際にそれができるかと言うと別問題だ。自らの体に取り憑かせて、風呂に入れる。これがいかに難題か、わざわざ語るまでもないだろう。

 ほんの少し想像しただけで、藍は瞬く間に茹でダコのように真っ赤になっていた。


「やっぱり無理!」


 優斗が喜ぶなら、藍は基本自分の体を貸すことに何のためらいもない。 これがさっきみたいにご飯を食べる時だったり、あるいはスポーツをしたりベースを弾いてみたりするのならいくら取り憑かれたっていい。だけどいくら何でも、お風呂は無理だった。


(ごめんユウくん。私じゃお風呂はどうにもならないよ)


 すっかり熱くなってしまい、いつの間にか頭がクラクラとしてきた。普段より短いが、藍は早々に浴室を出ることにした。



 風呂から上がった藍は、寝間着に着替えると優斗のいるリビングへと向かう。

 優斗は知らないだろうが、幽霊となった彼を始めてこの家に泊めた日、湯上りに寝間着姿と言う格好で出て行くのが物凄く恥ずかしかった。いや、本当は今だって十分恥ずかしいのだが、それを知られると優斗にいらない気遣いをさせてしまうだろう。

 小さく深呼吸して息を整えながら、リビングに続く扉を開いた。




「雨、また強くなってきたな」


 窓から外を眺めていた優斗は、戻ってきた藍を見てそう言った。一緒になって外を見てみると、確かに、雨はより勢いを増して降り注いでいる。そう言えば天気予報で、夜からはさらに強さを増した大雨になると言っていた。


「さっき雷が鳴ってたけど、大丈夫か?」


 気遣うように言う優斗。藍は昔雷が苦手だったので、それを心配しているのだろう。だけど藍はそれを聞いて口を尖らせる。


「……もう平気だよ」


 小学生の頃ならともかく、そんなものとっくに大丈夫になっている。なのにこんな事を言われると、優斗にとって自分はまだまだ子どもとしてしか見られていないんじゃないかと思ってしまう。


 だがその時だった。突然窓の外が激しく光ったかと思うと、ドーンと言う耳が敗れるくらいの大きな音が響いた。

 それと同時に、電気が消え室内が真っ暗になる。


「きゃっ!」


  思わぬ事態に悲鳴をあげながら、これが雷による停電だと理解した。

「近くに落ちたみたいだな」

 隣から優斗の声がした。幽霊というと、暗いところでもぼんやりと見える、なんて聞いた事があるが、どうやらそれは間違いだったようだ。こんな暗い中、ただでさえ透き通っている優斗の体は全く見えなかった。


 だが今の藍には、そんな事を冷静に考える余裕は無かった。彼女は一言もしゃべる事無く、貝のように口を閉じながら硬直していた。


「どうかしたのか?」


 いつまでたっても一言もしゃべらないのを不思議に思ったのか、優斗が訪ねる。そこで藍はようやく口を動かした。


「う……うん」


 しかし、洩れてきたのは震え交じりの取り留めのない声ばかり。とても言葉に何てなっていなかった。


「雷は平気になったんだよな?ああ、暗いのもダメだったっけ」


 そう。藍は昔から暗い場所もあまり得意ではない。今も夜眠る時は、常に小さな豆電球をつけている。

 そこでようやく、藍は震えたままの声を何とか絞り出した。


「か……雷も暗い場所も平気になったんだよ。ホントだよ。でもそれが一緒になると少しだけ……本当に少しだけなんだけど、嫌かも……」

「ああ――――」


 そう話している間も、消えた電機は復旧することなく部屋の中は暗いまま。外では相変わらず雷が鳴り続け、それが聞こえてくる度に藍は小さく身を震わせていた。


「で……でも、そこまで怖いわけじゃないから。音が大きいと少しビックリするだけだから」


 焦ってそう付け加える。ついさっき平気だといっておきながら怖がるなんて恥ずかしい。しかしその直後、再び一際大きく雷が鳴った。


「きゃっ!」


 その音と光に、藍は声を上げて身を竦める。

「えっと…今のも驚いただけで、決してそこまで怖がってるわけじゃ…」


 真っ赤になって口走るが、こんなもの言い訳にもならないだろう。だが優斗はそれを笑ったりはしなかった。


「分かってるよ。いきなりだからビックリするよな」


 耳元で優しげな声がする。相変わらず部屋の中は真っ暗なため姿は見えず、触れる事も出来ないので正確な距離は分からないが、おそらくかなり近い位置にいる事は予想がついた。


「大丈夫だからな」


 宥めるような声を聞いて、少しだけ落ち着く。そう言えば昔優斗のいる前で雷を怖がっていた時も、こんな風に怖さを和らげようとしてくれていた。

 それからしばらくの間、引っ張り出してきた懐中電灯で辺りを照らしながらじっと待つ。だが消えた電機は中々復旧してくれず、気が付けばいつもなら寝るくらいの時間になっていた。


「……もう寝ようか」

「そうだな」


 そろそろいつもなら寝る時間だし、どのみちこれではやることも無い。二人して藍の部屋へと入り、それぞれベッドと押し入れに向かうが、優斗が押し入れに入る直前、藍を振り返っていった。


「髪、ちゃんと乾いてるか?」

「まだちょっと濡れてるかも」


 風呂から上がった直後の停電だったので、ドライヤーを使う事さえできなかった。タオルで何度も頭を擦りはしたものの、完全に乾くには程遠い。


「でもここのまま乾くまで待つのも時間かかるだろうし、このまま寝るしかないかも」

「そっか。風邪、引かないようにな」

「うん。おやすみ、ユウくん」


 そうして優斗は、押し入れの中へと入っていく。藍としては、風邪よりも朝起きた時髪が大変なことになっていないかの方が心配だったが、どうする事も出来ないだろう。


 いつも朝起きるとすぐに着替えや髪のセットをするのが日課になっているが、明日は念入りにやることになりそうだ。

 そんな事を思いながら、藍はベッドの上で横になっていた。

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