第24話 ごめん 1
藍と啓太が話をしている頃、優斗は藍の部屋で帰ってくるのを待っていた。
(帰ってきたら、まずはちゃんと謝らないと)
そう思ったのはこれで何度目だろう。わざわざ同じ決意を繰り返すと言うのは、それだけ心が揺らいでいるからだ。
藍の体から抜け出した直後に自分を見た、怯えた表情を思い出す。
無理もない。間近でと言うか、自らの体であれだけ人を殴り付けるところを見たのだから、相当なショックを受けたのは想像に固くない。いかに助けるためとはいえ、明らかにやり過ぎた。
だけどあの時はそんなもの考えもせず、ただ壮介に対する怒りが体を支配していた。幽霊は精神が不安定になりやすいと啓太が言っていたが、そんなのは言い訳にもならない。藍を怖がらせ傷つけたばかりか、あのまま続けていたら取り返しのつかない事になっていたかもしれない。
謝ってどうにかなるかはわからない。それでもちゃんと伝えなければ。
だけどその後はどうなるか。あんなにも怖がらせておいて、果たして元の関係に戻れるだろうか?
幽霊となった今、藍は優斗にとって言葉をかわせる数少ない存在だ。それ以前に、小さい頃からずっと妹のように思っていて、実の家族よりも大切にしていた。そんな藍との関係が壊れてしまうかもしれない。そう思うと堪らなく怖かった。
そうしているうちに、この部屋に続く階段を上ってくる足音が聞こえてきた。藍が帰ってきたのだ。
「ただいま」
「お帰り」
部屋に入ってきた藍と挨拶を交わすが、どこかぎこちなさを感じる。強ばった表情を見ても、藍も同じように思っているのだろう。
例え許されなくても、出来る限りの言葉をつくして謝りたい。そう思いながら口を開きかけたその時だった。
「ごめんなさい!」
それを言ったのは、優斗ではなく藍だった。藍は勢いよく頭を下げ、まるで固まったようにそのままの状態を維持し続けていた。
それに慌てたのは優斗だ。
「待って。どうして藍が謝るんだよ!」
藍がどうしてそんな事を言い出したのか分からない。ごめんなんて、それを言わなきゃいけないのは自分の方だと言うのに。
「だって私、ユウくんに酷いことしたじゃない。あの時ユウくんのこと…………ちょっとだけ、怖いと思った」
最後の一言は躊躇いながら、涙混じりで言い放たれた。
やはり怖がっていたのか。わかっていた事とはいえ本人の口から出たそれはやはりショックで、だけどそれを藍が謝る理由なんてないと思った。
「そんなの当たり前じゃないか。あんな事になったら、誰だってそう思うよ。それより、謝らなきゃいけないのは俺の方だ。藍の体を使って酷いことをしたんだから」
ここでようやく、優斗はずっと伝えようと思っていた謝罪の言葉を口にする。悪いのは自分なのに、藍がこうして頭を下げているのが申し訳なかった。
だが藍もまた、謝るのをやめようとはしなかった。
「それも全部、私を助けようとしてくれたからでしょ。なのに怖いと思って、震えて…………本当は目を覚ましてすぐ謝らなきゃって思ってたのに、何て言ったらいいか分からなくて、ごめんの一言だって出てこなくて、ずっと変な態度とってて……ユウくんを、傷つけて……」
まるで堰を切ったように、次々に謝罪の言葉が溢れてくる。放たれる言葉にはしだいに嗚咽が混じり、いつの間にか床は涙で濡れていた。
謝りたいと思っていたのは優斗だけじゃなかった。藍もまた、自分のした事をずっと後悔していた。
「待って。じゃあ帰り道でほとんど喋らなかったのって、ずっとそれを考えていたから?」
「他に何があるの?」
「まだ俺のこと怖いと思っていて、だから距離をおいていたんだと……」
「違うよ!」
優斗の言葉がよほど予想外だったのだろう。藍は下げていた頭を上げ、それを掻き消すように声を張り上げた。
「そりゃあの時は驚いたし、怖いと思った。でも今は違うから。私のために怒ってくれたんだって、ちゃんと分かるから」
むしろ自分が優斗に見せた怯えた表情で、どれだけ傷ついたかを想像した方が怖かった。守ってくれたのに、大事に思ってる相手に、あんな感情をぶつけてしまって傷つけた。
目をさましてから、ずっとその後悔が心の中に渦巻いていた。だけど優斗とどう向き合えばいいのか分からなくて、何も言うことができなかった。だけど今改めてその思いを告げる。
「怖がってごめん。傷つけてごめん」
伝えるべきは謝罪だけじゃなかった。本当は、倉庫で助けてもらった時に言うはずだった言葉も、それに続ける。
「守ってくれてありがとう。私のために怒ってくれてありがとう」
これが、今まで言えなかった藍の本心だ。今更こんな事を言っても遅いかもしれない。だけどそれでも、持てる気持ちの全てを優斗に伝えたかった。
「――――っ」
長い長い謝罪とお礼。それを聞き終わった優斗は、何も答えずそっと顔を伏せた。
「……ユウくん?」
沈黙が怖かった。いくら気持ちを言葉にしてもそれがちゃんと届くとは限らない。あるいは、一度拗れたものはそう簡単には戻らないのではないか。
そんな不安にかられ、伏せたままの優斗の顔を覗き込もうとする。だがそれを遮るように声がとんだ。
「顔、見ないで。今、どんな顔したらいいのか分からないから」
「えっ?」
藍には告げられた言葉の真意が分からなかった。それを優斗も察したのだろう。少しずつ、ゆっくりとした言葉が返ってくる。
「嫌われたかと思ったんだ。もう藍とは今まで通りにはいられないって。そしたら凄く不安になって、どうしたらいいかわからなくて、苦しかった…………だから違うって分かって、嬉しくて、感情が追いつかなくて、どんな顔したらいいのか分からない」
改めて、自分の言葉がどれだけ優斗を不安にさせていたか思い知る。
「嫌いになんてならないから。私は何があっても、ユウくんを嫌いになったりしない」
それはなんの根拠もない言葉だ。だけど優斗の抱えていた不安を一欠片だって残したくなくて、そんなものを全て吹き飛ばしたくて、力一杯告げた。
「――っ!」
優斗の体が一瞬大きく震えたかと思うと、伏せていた顔が上がる。ようやく見る事のできたそれは、嬉しいそうに微笑んでいた。
だがそれで全てが終わったわけじゃない。
「俺も、ちゃんと謝らないとな。藍の体で酷い事してごめん。怖い目に遭わせてごめん」
優斗も改めて、今回の事を謝る。自分があそこまで無茶をしなければ、そもそもこんな事にはならなかった。
「だから、それは私を助けようとしたからでしょ。感謝する事はあっても、ユウくんが謝る必要なんて無いよ」
頭を下げる優斗に、藍は首をふる。だがこればかりは優斗も譲ろうとは思わなかった。
「藍に取り憑いた時、絶対に嫌がるような事はしない。そう約束したのに守れなかったんだ。謝るのは当然だよ」
「そんなの守ってたら、もっと大変な目に遭ってたかもしれないじゃない。そんな事言わないで」
しかし譲らないのは藍も同じだ。こちらはこちらで謝られる理由なんて何一つ無いと思っている。双方が一切譲らない以上、話はいつまでたっても平行線だった。
「あのまま続けていたら取り返しのつかない事になってたかもしれないじゃないか。もし何かあったら、全部藍の責任になるところだったのに」
「なんとかなったからいいじゃない」
「そう言う問題じゃないだろ!」
「そう言う問題だよ。無事に終わったんだから大丈夫。それでいいでしょ」
「でも――」
「でもじゃない!」
なぜだろう。いつの間にか、ただの意地の張り合いみたいになっていた。お互いに自分の意見を曲げようとはせず、似たような主張を繰り返しては折れない相手を歯がゆい思いで見つめている。それがどれくらい続いただろうか。
「――俺達、何やってるんだろうな」
いい加減持てる言葉を出し尽くした優斗が、吹き出すように言う。それにつられて、藍もフッと息を漏らした。
「ホントだ。何言ってるんだろう」
最初はもっと真剣に話していたはずなのに、途中から自分が何を言ったかさえ覚えていない。それがバカバカしくて、おかしくて、気がつけばいつの間にか笑っていた。見れば優斗も同じように笑っている。
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