第23話 やりきれない想い 2
啓太達は目を覚ました藍と合流すると、そのまま帰路についた。元々の予定では今日も軽音部の活動をするはずだったが、藍の事を考えるととても部活どころじゃなかった。
それに一連の出来事ですっかり時間がかかってしまったので、学校そのものの下校時刻も間近に迫っている。これではどのみち練習する時間などなかっただろう。
そうして三人で暗くなった道を歩いたのだが……
「叶先輩のこと、本当に誰にも言わなくていいのか?」
啓太は念を押すように、隣を歩く藍に尋ねるとコックリと頷きそれに答えた。
「うん。さすがにもう何もしてこないだろうから、騒ぎを大きくするよりはいいかなって」
「まあ、いくら何でも懲りたと思うけどな」
情けない悲鳴をあげながらヨロヨロと逃げていく壮介の姿を思い出す。今後報復される可能性も考えたが、あの男にそれほどの気骨があるとは思えなかった。
啓太としてはしっかり断罪してやりたい気持ちもあるが、藍がそう言うならと、納得する事にした。それに、未遂に終わったとはいえ、やはり大っぴらにはしたくはない。
事実、その後壮介が自ら藍達に接触してくる事は無かった。それどころかたまに目にした時には、顔を真っ青にしながらすごすごと退散していく。年下の女の子に手酷くやられたと言うのが、彼にとっては相当堪えたようだ。
だがそこで、それまで黙っていた優斗が言う。
「なあ、もしかして俺がやり過ぎたから、だから誰にも言えないって思ってないか?」
優斗の言う通り、いざ訴えようとしたら、あれだけ殴った事は過剰防衛と判断されてもおかしくない。
だが藍は、慌ててそれを否定した。
「違うよ!本当に騒ぎを大きくしたくないから言ってるだけで、ユウくんのせいとかじゃないから。だから……」
息を切らせるほどの声で叫んだかと思うと、その声はだんだんと小さくなり、とうとう黙り込んでしまう。優斗もまたそれに返す言葉を持ち合わせておらず、二人の間にはそれっきり沈黙が続いた。
その真ん中に立ちながら、啓太は思う。
(…………気まずい)
そう思ったのはこれが初めてじゃない。藍も優斗もさっきからずっと口数が少なく、身に纏う空気は重い。合流してからと言うものずっとこんな感じだ。
藍が無事に目をさましたのを喜んだ優斗だが、自らが行ったやり過ぎとも言える行為への負い目は依然大きいようで、会話一つとってもぎこちない。
藍は藍で、そんな優斗に対してどこか距離をおいた様子でいた。
普段は啓太が蚊帳の外に感じるくらいに仲良くしていると言うのに、今の二人には、なんだか奇妙な緊張感のようなものが漂っている。そんな空気のど真ん中で、啓太はまるで息がつまるような思いだった。
間もなくして、道の前方に十字路が見えてきた。普段ならここで啓太は藍達とは別の道を帰るのだが、そこで啓太は足を止めた。
「なあ藤崎、少しだけ話ししてもいいか?疲れてるなら、無理にとは言わねえけど」
ここで二人と別れれば、この重苦しい空気からも解放される。だがそれでは何の解決にもならない。自分には関係ないと放っておくには、啓太はあまりにも近い位置にいすぎていた。
「いいよ。話ってなに?」
急な言葉に藍は首をかしげるが、断る気は無いようだ。そのまま啓太の言葉を待つがその前にまずは優斗に言う。
「ええと、悪いけど……先輩は少し外してくれないか?」
今藍と優斗を同じ場に置くと、何だか何を言ってもギクシャクしたままのような気がする。一度藍だけと話そうと思ってそう言うと、優斗は頷いた後一つだけ条件をつけた。
「ああ。先に藍の家に戻っておく話が終わったら、藍をちゃんと家まで送ってくれ」
「分かってるよ」
わざわざ言われなくても、啓太だって元々そうするつもりだ。辺りはもう暗くなっているし、その辺の用心は心得ている。
「頼むぞ」
「ああ」
そうして優斗は先に藍の家に戻り、その場には藍と啓太の二人だけが残る。
「それで、話ってなに?」
「えっと……」
いざ話すとなって、啓太はいきなり言い淀む。話したい事なんて、もちろん優斗についてだ。だがさっきまでの苦しい空気が忘れられない今、いきなりその話題を出すのは抵抗があった。
だから、伝えたいと思っていたもう一つの思いを口にする。
「悪かったな。助けに行くのが遅れて」
「えっ、なんで三島が謝るの?」
告げられた言葉があまりに予想外だったのだろう。藍は訳がわからず目を丸くしている。
だが啓太にとって、それは悔やむべき事だった。
「だって俺がもう少し早く駆けつけてたら、もっと上手く解決できてたかもしれないだろ」
それが、優斗が藍に取り憑く前だったら、もしかしたら自分が藍を守ってやれたかもしれない。そしたら優斗だってあんな無茶をすることなく、藍を怖がらせる事も、ついさっきあった重苦しい雰囲気だって無かったかもしれない。
「そんなの、三島が謝る事じゃないでしょ」
「悔しかったんだよ。大事なことは全部先輩に任せて、俺は何もできなかったから」
優斗は藍を傷つけたと言っていたが、壮介から藍を守ったのもまた優斗だ。なのに自分がやった事と言えば、ほとんど全てが終わった後、最後の最後に駆けつけただけ。そう思うと、どうしようもなく歯痒くて、申し訳なくなる。
もちろん傍から見れば啓太が謝る必要なんて無いのだが、それでもゴメンと伝えずにはいられなかった。
啓太もまた、優斗とは違った後悔を抱えていた。
「三島……」
藍は啓太の言いたい事が分かったのか分かってないのか、とにかく驚いた顔で啓太の言葉を聞く。だが全て言い終えたのを確認すると、何を思ったのかこんな事を言い出した。
「だったら、私も三島に謝らないと。私がもっとしっかりしてたら、こんな事にはならなかったんだもん」
「はぁ?なんでそうなるんだよ」
「だってそうでしょ。先輩がどういう人かちゃんと分かってたらあんな所ついていかなかったし、そもそも私が先輩を怒らせるような事しなければ良かったんだもん」
藍はそう言うが、啓太には到底理解できなかった。そもそも今回の一件で藍は完全な被害者だ。なのに自分がもっとしっかりしておけばよかったなんて、そんなのは間違ってる。
「ちげーだろ。悪いのは全部叶の奴だ!お前が負い目を感じる必要なんて何もねーよ!」
とうとう堪らなくなって、怒鳴るように叫ぶ。ただでさえ危ない目に遭ったというのに、更に負い目を感じる必要なんて無い。
しかし藍は、それを聞いて途端に表情を和らげた。
「そう思うでしょ。だから三島も、謝る必要なんてないよ」
「あ…………」
ここでようやく、啓太は自分が藍の術中に嵌まった事に気づく。悪いのは全部叶だとあれだけはっきり言ったのだから、これで自分が謝ったのではおかしくなってしまう。
「いや、でも……」
それでもまだ納得できそうにない啓太だったが、藍はさらに続けた。
「それに、三島は何もして無くなんかないよ。三島が鍵を開けてくれなかったら、あれからもまだ閉じ込められたままだった」
「それは……」
いくら壮介をどうにかしても、倉庫の鍵はかかったまま。中にいる藍や触れられない優斗ではどうしようもなかった。
「ユウくんを止めようとしてくれたよね。だから私も、頑張って止めなきゃって思ったんだよ」
怒りに任せて壮介を殴ろうとする優斗を、啓太は必死で止めようとした。それを間近で見たからこそ、藍も強い意思を持って優斗を体から出せたんだと思っている。
「あと、倒れた私を保健室まで運んでくれたよね。えっと…………重くなかった?」
「なっ⁉」
最後のは、少し照れながら聞く。だが啓太の動揺はそんなものじゃない。
「お……重くなんてねえよ!」
吃りながら答えると同時に、その時の事が頭の中に浮かんできた。
(俺、藤崎を抱きかかえたんだよな。しかもあの抱き方って、所謂お姫様……)
まともに思考できたのはそこまでだった。あの時は夢中になって気にする余裕なんて無かったが、今思い出すとなんだか凄く恥ずかしい。
藍はどう思っているのかと表情を伺うが、残念ながら啓太の目には至って平然としているようにしか見えなかった。
(全然意識してねえのかよ。まあ分かってたけどな)
もっともそれは、あくまで啓太から見た藍の姿であって内心ではいささか違っていたのだが。
(さすがに少し恥ずかしいけど、三島はそんなの考えずに運んでくれたんだし、動揺したら悪いよね)
藍も本当はそんな事を思っていたのだが、もちろんそんな事啓太は知るよしもなかった。
「三島が来てくれて助かったし、心配してくれて凄く嬉しかった。だから何もしてない何て言わないで。本当に、ありがとうって思ってるから」
啓太がどれだけの事をしてくれたか、本人よりも藍の方がずっとよく知っていた。
我ながらなんて単純なのだろうと啓太は思う。『ありがとう』。ただそう言われただけで、今まで持っていた後悔や憤りが消えていくような気がした。
だがそこで、同じように後悔を抱えているやつを、優斗の事を思い出す。つい自分の話に夢中になってしまったが、こうして話の場を作ったのだって本来彼が原因だ。
「もう少しだけ時間いいか?話ってのは、もう一つあるんだ」
「いいよ。なに?」
てっきりさっきので話は終わったものと思ったのだろう。首を傾げながら、次の言葉を待つ。
「先輩の事なんだけど……」
「――――っ!」
やはり優斗に対して思う事があるのだろう。そう言った瞬間、藍の瞳が揺れるのが見えた。
それほどまでにあの時の優斗の姿はショックだったのだろうか。その気持ちは分からなくない。分からなくはないが、だからと言ってこのままにしておくわけにはいかなかった。
「そりゃ、いきなりあんなのを見て驚いたかもしれないけど、先輩のことも分かってやってくれよ。先輩だって、お前を助けようとしてやったんだしよ」
言いながら、自分が優斗の肩を持っていると言う事実に苦笑する。一方的に思っているだけとはいえ、優斗は啓太にとっては恋敵だ。なのにその相手を、こんなにも必死になってかばうなんて。そう思う気持ちも、全く無いわけじゃない。
だけど藍を守るため必死になった優斗の気持ちが分かるから、もし自分が彼の立場だったらきっと同じ事をしただろうから、それが原因で二人の仲が拗れるのは見たくなかった。
「先輩だって、お前を傷つけたって凄く後悔してた。だから……」
そこまで言った時、啓太は言葉を止めた。藍の唇が僅かに開き、を何か言おうとしているのが分かったから。
「違う……違うの……」
苦しそうに、切なそうに、震えた声でそう言った藍の顔は真っ青だった。
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