第22話 やりきれない想い 1


 藍を保健室に運んだ二人は、いつまでもここにいたら安静にできないと思い、近くの空き教室に腰を下ろす。

 保健室の先生には、藍は気分が悪くなったのだと伝えてある。


 外を見ると、いつのまにか校庭の準備も一段落ついていて、家路につく生徒の姿も見えた。

 藍のいる保健室も、利用できる時間はもう長くない。とりあえずギリギリまで休ませて、藍の家に連絡するかはそれから決めることにした。

 だがその前に、啓太にはやっておかなければならない事がある。途中から加わったため、理解しきれていない事態をきちんと確認しなければならない。


「いったい何があったんだ」

「ああ――――」


 こうして啓太は、ようやく詳細を聞くことができたのだが――





         ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「……そんなことになってたのかよ」


 優斗から聞いたそれは。今まで見聞きした状況からも予想できる事ではあった。だがそれでも、告げられた内容に目を丸くせずにはいられない。

 けれどそんな驚きもほんの僅かで、すぐに激しい怒りが湧いてきた。


「俺も一発くらい殴っておけばよかった」


 藍に取り憑いた優斗を止めた事を少しだけ悔やむ。あの時は驚いてついそうしたが、話を聞いた今となってはその気持ちもよく分かる。


 優斗自身もまだ怒りは治まって無いようで、話している間もずっと苦々しく顔を歪めていた。だけど悔やんでいるのはそれだけじゃなかった。


「どうしてあそこまでしたんだろう。あれは藍の体だって分かっていたのに。止める声だって、ちゃんと聞こえてたはずなのに」


 それでも、壮介を殴るのを止めようとは一切思わなかった。

 もう止めてと、必死になって藍が叫び、その体から弾き出された事で事態は終わりを迎えた。だがもしそうなっていなければ、果たしていつまで殴っていたのだろう。

 いくら事情があったとはいえ、あのまま続けたらもしかすると壮介は死んでいたかもしれない。そうなれば、その責任は全て藍が被ることになるだろう。取り憑くいた幽霊がやったなどと言っても、信じてもらえるはずがない。今になって、自分のした事がいかに短絡的で後先考えないものだったか思い知る。


「なあ、殴ってる間、先輩は何を考えてたんだ?」

「えっ?」

「藤崎が止めてるって分かっていて、だけど続けたんだろ。じゃあその時、何を考えてたんだよ」


 そう問われて言葉に困る。何を言っても言い訳にしかならないような気がして、できることなら答えたくないとすら思った。だがそんなのはただの逃げだと言うのは分かっているし、啓太もまた自分と同じように本気で藍の身を心配しているのもちゃんと知っている。

 だからここで、一切の嘘や取り繕いをする訳にはいかない。


「ただ怒りしかなかった。藍がどれだけ止めても、それ以上にあいつが許せなくて、憎くて憎くて…………自分の中にこんな感情があるなんて、思ってもみなかった」


 言ってみて、また自己嫌悪に襲われる。カッとなって我を忘れたと言ってしまえばそれまでだが、自らの心の中に生まれたどす黒い感情が、酷く醜いものに思えた。結果としてそれが藍を傷つける事になったのだからなおさらだ。


 啓太はそれを聞いて少しの間黙り込んで、何か考えるように宙を見つめて、それからようやく口を開く。


「前にも一度言ったよな。幽霊は自分の肉体が無い分精神も不安定になりやすいって」

「ああ、そうだったな」


 それはかつて啓太から幽霊について色々聞かされた時に知ったものだ。幼い頃から幽霊を見てきた啓太は、優斗よりもそう言う事に詳しい。


「怒りや悪意が強いと、それに呑み込まれやすくなる。そう言うのを……」

「悪霊って言うんだよな」


 正直なところ、その言葉を今まで深く考えた事はなかった。幽霊になって数ヵ月、そんな悪意に呑み込まれるような経験なんてした事はなかった。ついさっきまでは。

 幽霊と言う存在が、精神が不安定になりやすいと言うなら、さっき自分の中に起こった激し畏怖の感情も説明がつく。しかし、だからと言ってそれなら仕方が無いとは到底思えない。むしろ自分はそんな危うい存在なのだと思い知らされた気がした。


 悪霊。陳腐にも聞こえるその存在に自分が堕ちてしまうのかと思うと、嫌悪感で一杯になる。

 だがそんな優斗の思いを察したように、啓太は言う。


「言っとくけど、今回の事で先輩が悪霊になったわけじゃないぞ。あくまで、こんな事が続いたらまずいって話だ。それに、俺が先輩の立場でも、きっと同じ事をした」


 啓太が優斗を責めないのは、何も彼を気づかっただけじゃない。今回の一件で後悔を抱えているのは、啓太も同じだった。


「俺なんて、何もできなかったんだよ。用心しようって事前に言ってたのに気づくこともできなくて、駆けつけた時には全部終わってたんだぞ」


 優斗が知らせてくれなかったら、藍がそんな目にあっている事すら知らなかっただろう。そう思うと、とても優斗を責める事なんてできなかった。優斗の苦悩を知って、それでもできる事なら自分と変ってほしいとさえ思っている。自分が藍を守ることが出来たらと。


 それぞれが胸にやりきれない思いを抱えたその時、啓太の持っていたスマホが鳴った。


「藤崎からだ!」


 そこに表記された名前を確認し、急いで通話ボタンを押す。そして相手の声を聞くよりも先に、一気に早口で捲し立てた。


「藤崎、もう起きて大丈夫なのか?気分悪くないか?今どこにいるんだ、まだ保健室か?」


 大慌てで告げられるそれらの言葉に驚いたのか、息を呑む音が聞こえた。


「うん。ごめんね心配かけて。少し前に起きて、今制服に着替えたとこだから。それで、三島は今どこにいるの?ユウくんも一緒だよね?」

「ああ、先輩もここにいる。って言うか、もう起きて大丈夫なのかよ」


 念を押すようにもう一度聞くと、電話の向こうから、元気とまではいかないが落ち着いた声が届いた。


「うん。少し休んだだから、もう大丈夫だよ」

「そうか」


 はっきり大丈夫だと告げるのを聞いて、啓太はホッと息をつく。優斗をみると、こちらもようやく少しだけ安堵の表情を見せていた。

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