第21話 危機 5

 今回の一件が全て壮介の仕業だと知った優斗は、すぐさま藍のいる倉庫に戻ろうとした。だがほんの僅かに残った冷静さがそれを止めた。


 もしこのまま自分が倉庫に戻ったとしても、閉じ込められているのをなんとかしないとどうにもならない。そう思った優斗は、大急ぎで当初の予定していた通り啓太を探した。

 とても詳しく話す時間は無く、ただ藍が閉じ込められて危ないとだけ伝えたが、幸いな事に啓太が動くにはそれで十分だった。


 藍が危ないと聞いた啓太はすぐさま職員室に鍵を取りに行き、それから大急ぎで倉庫へと向かう。


 そうして扉を開いた彼の目に映ったのは、顔を腫らしてぐったりとしている壮介と、それをなおも殴り付ける藍の姿だった。


「なにやってんだよ!」


 予想外の事態に慌てながら、それでも藍を止めようと振り上げていた手を掴む。いったい何がどうなっているのかサッパリ分からないが、とても黙って見ていいものじゃない。


 だが自分より非力だと思っていた藍の力は想像していたよりもずっと強く、つかんだ手を振りほどかれないようにするのがやっとだ。


「離せよ!」


 これまた啓太の知っている藍とは似つかない言葉を叫び、ますます分けがわからなくなる。だが直後、そんな違和感の正体に気づいた。


「――あんた、有馬先輩か?」


 答えは返ってこなかったが、藍とは思えない口調や、自分をここへ呼んだはずの優斗の姿がどこにも見えないのを確認して、それが間違いないと確信する。だが、だからと言って、事態が何一つ変わった訳じゃない。


「何があったか知らねえけどもう止めろよ。叶先輩、死んじまうかもしれねえだろ!」


 啓太が必死になって押さえつける中、自らの身体の主導権を失った藍もまた、優斗を止めようと必死だった。


「お願いユウくん、落ち着いて!」


 優斗が自分を助けるためにこんな事をしているのはよく分かる。だけどもう十分だ。既に意識を失いかけている壮介をこのまま殴り続けたらどうなるか、啓太の言葉がなくてもすぐに分かる。


「悪い藤崎。ちょっと乱暴だけど我慢しろ!」


 力ずくで何とかしようと、啓太が押さえ込む力をさらに強める。だが幽霊に取り憑くかれた事による力が向上している藍の体は、そう簡単に押さえられるものじゃなかった。

 それどころか掴んだ手は強引にはがされ、振り回した手に弾かれて啓太が弾き飛ばされる。

 地面に叩きつけられた啓太を見て、これ以上暴れる優斗を見たくなくて、藍はこれまでで一番強く叫んだ。


「止めてっ!」


 その瞬間、それまで取り憑いていた優斗が藍の体の外へと弾き飛ばされるのが見えた。同時に身体の自由が戻る。

 だが見に起きた変化はそれだけじゃなかった。


「――――っ」


 小さく声を上げながら、今度は藍がその場に倒れ込んだ。全身が痛くて、物凄い疲労感が襲ってくる。


 取り憑かれた際の力の向上は、体にかかる負担が大きい。また、取り憑いた霊を無理やり外に出そうとすると、体力をごっそり持っていかれる。どちらとも事前に知っていた事だが、いざそれを体験すると、その苦しさは想像以上だった。

 起き上がらなきゃと思いながらも、実際には腕一本まともに動かすのも難しい。だが最も辛かったのは、そんな体に起こった変化じゃなかった。


「――――藍」


 ついさっき弾き飛ばされた優斗がこちらに近づいてくる。今はさっきまで抱いていた怒りよりも、藍の身を案じる気持ちの方が強く、酷く心配そうな顔をしていた。


 だがそれを見て、さっきまでの激昂した様子が頭をよぎる。

 もちろん、優斗があんなにも怒ったのが自分のためと言うのも、そのお陰で助かったと言うのもよく分かる。だが幼い頃から優斗の優しい姿しか見てこなかった藍にとって、あんな姿はまるで別人のように見えた。

 優斗がすぐそばまで寄ってきた瞬間ほんの少し、本当にほんの少しではあるが、ビクリと僅かに体が震えた。それを見て優斗の動きが止まる。

 悟ったのだ。自分が藍を怖がらせた事を。


「――――ごめん」


 呟いた言葉はとても重く、クシャリと歪んだ表情には、強い悲しみと後悔が浮かんでいた。

 それを見て、藍もまた自らの反応を後悔する。


(違う。ユウくんに、そんな顔をさせたかったんじゃないのに)


 そう思いながら、だけどそれを言葉にする事はできなかった。

 度重なるショックと疲労により、藍の体は既に限界だった。取り憑いている霊を力づくで追い出すと、体力をごっそり奪われる。そんな、かつて啓太から聞いた言葉を思い出す。目にためていた涙が一筋こぼれた瞬間、藍の意識はそこで途切れた。


「藍!」

「藤崎!」


 二人は声を上げ、ピクリとも動かなくなった藍の元へと駆け寄る。幸いな事に、藍は意識こそ失っているもののけがをした様子はなかった。それを確認し、少しだけ安堵する。

 そして啓太は、ゆっくりと藍の体を起こした。


「俺が保健室に連れていく」


 元より、今ここで藍を運べる者となると、啓太しかいない。優斗がうなずいたのを見て、藍の体を横向きに抱え上げた。


 倉庫を出る前に、壮介の方にも目をやった。何があったのかは知らないが、怪我で言えば藍よりもずっと重傷だ。藍よりもずっと体重があるので抱えていくのは難しいだろうが、人を呼んだ方がいいだろうか。そんな考えが頭をよぎる。

 だがその時、幸か不幸か気絶していた壮介の目が覚めた。


「ひいぃぃぃぃっ!」


 さっきの事がよほどトラウマになっているのだろう。啓太の腕の中にいる藍を見るなり、彼は情けない悲鳴をあげたかと思うと、全身に痛みの残る体を押してヨロヨロと逃げていった。


「大丈夫か?」


 決して浅くはない怪我の様子を見て啓太が言うが、優斗はそれをバッサリと切り捨てた。


「いいんだよ、アイツは」

「…………そうか」


 啓太もそれ以上はなにも言わなかった。どうせ後で全部聞くのだから、今無理して問う必要はない。それよりも、藍の身を優先させたかった。


 藍を抱えながら保健室に向かって歩く啓太と、黙ってそれを見ながらついていく優斗。二人の間に流れる空気は重かった。

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