第19話 危機 3

『こいつが、藍をここに閉じ込めたんだ!』


 優斗の叫びを、藍は信じられない思いで聞いていた。そんな気持ちが、つい声となって口から洩れる。


「先輩が私を閉じ込めた?なんで?」


 その呟きは壮介の耳にもしっかり届いたようで、途端に表情が変わる。だがすぐに、いつも見せるような落ち着いた表情へと戻った。


「藤崎さん、なに言ってるの?」

 

 本気で分からないと言ったような、不思議そうな目で藍を見る。これを見ると、本当にこの人がそんな事をしたのだろうかと疑わしくなってくる。だけど――――


 壮介には見えないだろうが、目の前では優斗が射殺すような鋭い目で壮介を見ている。藍が今まで一度も見たことの無い様な、怒りのこもった目だ。

 それだけで、決して冗談で言っているのではないとすぐに分かった。


「何か誤解してるみたいだけど、俺は――――」


 落ち着かせようとしたのか、壮介は藍のいる方に歩いてくる近づいてくる。とっさに優斗がそれを止めようとするが、姿が見えず物に触れられない彼ではそれは無理だった。

 壮介は本人も気付かぬまま優斗の身体をすり抜け、藍に向かって手を伸ばす。


 藍にしてみれば、優斗がどうしてこんな事を言い出したのかは分からない。優しい先輩である壮介を信じたい気持ちもある。だけど今まで見た事も無いくらいに必死な優斗を見て、その言葉を疑うなんて出来なかった。


「やっ――――――!」


 手が触れる直前、藍は悲鳴にもならないような小さな声を上げ、壮介から離れた。

その瞬間だった。


「なんだよ。傷つくじゃねーか」


 声を上げた藍を見て、再び壮介の顔色が変わる。キッと眉を釣り上げ、苛立った声を発していた。


「先輩……?」


 それは、藍が始めて見る壮介の姿だった。傷つくと言っているが、実際は怒っていると言うのが正しいだろう。普段の彼からは想像もつかないような攻撃的な視線で睨まれ、藍はビクリと肩を震わせる。

 その態度から、彼の中で確実に何かが変わったんだと想い知らされたような気がした。


「藍、もう黙って!」


 焦ったように優斗が叫ぶ。下手に喋ると、壮介を更に刺激しかねないと思ったからだ。

 しかしこうなったのは、自分が壮介の仕業だといきなり伝えたのがきっかけだ。もう少し上手く話せていれば、ここまで直接的な危険は避けられたかもしれないと後悔する。


 だが今更そんな事を思ってももう遅い。さらに不味いことに、突然の事に半ばパニックになっている藍は、黙ってと言う優斗の忠告を守れなかった。


「どうしてこんな事を――」


 豹変した壮介に怯えながら、震え混じりに聞く。もはやここに至っては、壮介の仕業だと言うのを疑う気は完全に無くなっていた。

 だがいったいなぜ彼がそんな事をしたのか、藍には未だその理由が分からなかった。


「お前が俺をバカにするのが悪りいんだよ。あれだけ声かけてやったのに、何にも気づいてませんよって態度とりやがって。こっちだって最初から本気じゃ無かったのに、調子のってんじゃねーよ!」

「あの……何の話を?」

「とぼけてんなよ!」


 怒りに任せ壮介が叫ぶ。だが藍には相変わらず、彼が何を言っているのかさっぱり分からなかった。声をかけてくれたらちゃんと話しはしていたし、本気じゃなかったに至ってはどういう意味か検討もつかない。


「私、本当に何を言ってるのか分からなくて。何か失礼な事をしたなら謝りますから」


 壮介がこうなった理由は分からない。だが今の彼が危険だと言うのは明らかだ。なんとか怒りを沈めてもらおうと言葉を紡ぐが、そんな風に困惑する藍を見た壮介は、ますます怒りを露にするだけだった。

 苛立ちが頂点に達したのか、力任せにそばに置いてあった篭を蹴り飛ばす。


「きゃっ!」


 激しい音を立ててて転がったそれを見て悲鳴をあげる。ほんの少し前まで抱いていた優しい先輩の面影は既に無く、もはやただ恐怖しか感じない。


 そんな怯えた顔を見て、壮介の動きも一瞬止まる。だがそれは、本当に一瞬だった。それどころかすぐに下劣な笑みを浮かべたかと思うと、じりじりと一歩ずつそばへと歩み寄って来る。


「こんな所で二人でいたら、もしかしたらその気になるかもしれないし、無理なら無理で噂の一つでも流してやろうって思ってたんだけどな。本気でムカついてきたし、もうどうでもいいや」


 身勝手な事を宣いながら怯える藍を見つめる姿は、まるで追い詰めるのを楽しんでいるかのようだ。それを睨み付ける優斗の目には、これまでも何度か見たあの生霊の手が映っていた。


 その手はいつものように壮介の肩を掴んでいたる。だが今回はそれだけではなかった。

 肩以外にも、首に、足に、体の様々なところに幾つもの手がまとわり付いている。それぞれ別人の、だがいずれも女性のものだ。


 それを見て優斗は悟った。あの生霊が抱いていた思いは恋情などではなく、怨みだ。おそらく壮介は程度の差こそあれど、今までにもこうして何人もの女性に酷い事をしていたのだろう。あの手は全て、そんな人達の怨みでできている。そうでもなければ、あんなにも食い込むように、絞め殺すように掴みかかったりはしない。


 もし壮介にこれが見えていたら、きっと恐怖のあまり悲鳴をあげていただろう。あるいはこれらの生霊が壮介に触れることができたのなら、たちまちのうちに彼の自由を奪っていたであろう。

 だが悲しい事に、壮介の目に生霊の姿は映らず、迫ってくる手も彼の身体を通り抜けるばかり。壮介は自分が今どんな状態にあるかも気づかず、今までに犯した罪の意識など微塵も見せず、新たな獲物を狩るように悠然と藍に迫っていく。

 そして無力なのは、優斗も同じだった。壮介を止めようと、何度手を伸ばしても、触れることすらできない身ではどうにもならない。こんな近くで藍が危機に陥っていると言うのにどうする事も出来ないでいる。


 今ほど自分が幽霊であるのを悔んだ事はなかった。もし自分が生きた人間であったのなら、もし壮介の身体に触れる事ができたのなら、どれだけ体を張ってでも藍を守ると言うのに。

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