第3話 頼み事 1
それから藍と啓太の練習はさらに続き、疲れが出てきたところで再び休憩を挟む。するとまるでそのタイミングを見計らったように部室のドアが開かれた。
「やってるわね。毎日お疲れ様」
そう言って入って来たのは、軽音部顧問の
顧問と言っても常に見ているわけでは無く、技術的なこともあまり教えられない。そう本人は言っているが、実際はこうしてちょくちょく練習の様子を見に来てくれたり、ギターとベース以外の音の打ち込みはほとんど彼女がやってくれたりと、その恩恵は大きかった。
「夏休みなのに毎日来るなんて、二人とも本当に熱心ね」
「先生も生徒だった頃はそうだったんじゃないんですか?ユウくんも、夏休みでも毎日練習があるって学校に行ってました」
感心したように言った大沢に藍が返す。彼女はこの学校の卒業生であり、当時は軽音部の部員でもあった。こうして顧問を務めているのもその縁が大きい。
そして、優斗がまだ生きてこの学校に通っていた頃の同級生でもあった。
「そうそう、有馬君も熱心だったわね。おかげで私も毎日練習漬けになって大変だったわ」
大変とは言いながらも、大沢はどこか楽しそうだ。
だが会話に本人の名前が出て来ても、彼女は一切優斗のいる方に目を向けることは無い。それもそのはず、大沢には今の優斗の姿は見えていなかい。幽霊となった彼を見ることが出来るのは、藍と啓太の二人だけだった。
「有馬君も夏休みの間にだいぶ上手くなってね。休みが終わったら、今度は文化祭に向けて張り切ってたわ」
当時の優斗がいかに音楽に打ち込んでいたかは、藍もよく知っている。特に文化祭が間近に迫った頃は、毎日のように遅くまで学校に残って練習していた。
一方、その話を聞いた啓太は別の事を考えてた。
「文化祭か。俺達もそろそろ何やるか考えといた方が良いかもな」
文化祭があるのは11月。まだまだ時間はあるのだが、だからと言って気が早いとは思わなかった。
「そうかも。もし新しい曲をやろうってなったら一から覚えなきゃいけないし、夏休みが終わってからは今みたいな練習量は無理だからね」
長いと思っていた夏休みも、気づけば残すところあと一週間程度となっている。
「そう言えば二人とも、宿題はもう終わった?あと休み明けにテストがあるけど、ちゃんと準備してる?」
大沢が教師の顔になると、藍と啓太は微妙に表情を曇らせた。
「えっと、宿題は終わりました」
「俺も、宿題はもうすぐ終わります」
力ない答えに大沢は苦笑する。テスト勉強については二人とも何も言わなかった。
「部活熱心なのも良いけど、学生の本分も忘れずにね」
今夜から少しずつやっていこう。文化祭も大事だが、まずはより間近に迫ったテストの方が切実だった。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
「それじゃ三島、また明日ね。」
「ああ」
部活を終えた帰り道、啓太は藍と優斗の二人に別れを告げる。少しして振り返ると、二人が並んで歩くのが見えた。
優斗は幽霊となってからは藍の家に身を寄せている。本来戻るべきはずの自分の家は、数年前に引っ越していて、それならうちに来ればいいと藍が提案したのだ。
最初それを聞いた啓太は、相手が幽霊とはいえ男を家に住まわせるなんて大丈夫かと思ったものだ。
藍の家族も優斗のことは見えないので反対される心配はないが、ある意味それは余計にマズいような気がして、色々と良からぬ想像をしてしまった。
もっとも、優斗が幽霊である限り間違いなんて起こりようがないし、優斗にとって藍はあくまで妹のような存在と思っているのではあるが。
それでも啓太は、藍が小さなころからずっと優斗のことが好きなのだと知っている。彼女が優斗を一つ屋根の下に置くことについてどんな思いを抱いているのかは聞いていないので知らないが、果たして平常心でいられるのだろうか。
「俺だったらな……」
ふと、そんな状況を自分に置き換えてみる。もし自分が好きな相手が幽霊となって同じ家に住んだのなら……
「って、何を考えてるんだよ俺は」
慌てて首を振り、たった今浮かべた想像を打ち消す。好きな相手として浮かんできたのは藍の姿だった。
啓太の藍に対する恋心は、小学生の頃にまでさかのぼる。当時は藍のことをしょっちゅういじめていたが、所謂好きな子いじめと言うやつだ。今は反省している。
ベースをはじめ軽音部に入ったのだって、少しでも藍に近づきたかったからだ。
自覚は無いが、そんな想いは普段の態度にも出ているようで、この事は親しい友人なら大抵は知っている。知らないのは藍本人くらいだ。よりによって一番肝心な奴にだけ伝わっていないが、啓太はそれで良かったと思っている。
藍のことが好きだ。だがこの気持ちを伝える気は無いし、伝えたところで上手くいくとも思えない。
「アイツがいる限り、どう考えたって無謀だからな」
思わずそんな言葉が漏れる。だって藍は昔から優斗のことが好きなのだ。優斗が亡くなってからもその想いはずっと残っていた。ましてや今は幽霊とは言え本人があんなに近くにいるのだ。そんな彼女に自分なんかが好きだといっても、いったい何になるというのか。
そんな事を考えたのは、これまでにも何度かあった。ほぼ毎日と言ってもいい。普段から近くにいる二人を見守りながら、モヤモヤした気持ちになりながら日々を送っている。
いっそキッパリ諦められたら。そうは思いながらも、理屈で割り切れないのが辛いところだった。
「……三島」
二人の事を考えていたせいだろうか、何だか優斗の声が聞こえたような気がした。幻聴まで聞こえてくるとなるといよいよヤバイ。
「……なあ、三島」
まだ幻聴は続いている。いい加減にしてくれと、振り切るように勢いよく顔を上げた。
「うわっ、先輩!」
驚いて声を上げる。顔を上げた途端、目に飛び込んできたのは優斗の姿だった。
幻聴に続いて幻までとも思ったが、どうやらそうでは無いようだ。
優斗の体は薄っすらと透き通って入るがそれは元々だし、幻では出せない確かな存在感がそこにはあった。
「悪い、考え事でもしてたか?」
「別に、ただ暑くてボーっとしてただけ」
本当はメチャメチャ考え事をしていたのだが、とても優斗に言えるような内容じゃない。
「それより先輩こそ、藤崎と一緒に帰ったんじゃ?」
話を逸らす意味も含めて疑問を口にした。
「ああ。藍には散歩に行くって言ってきた」
「はぁ……それで、俺に何か用ですか?」
啓太は怪訝な顔で尋ねる。優斗と話すようになってからしばらくたつが、こうしてわざわざ自分を尋ねてくるなんて今までになかったことだ。
「実は話が……と言うより、頼みがある」
「頼み?」
改まったように言う優斗に、啓太はますます訳が分からなくなった。
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