第五十一話 火球

 入学式を終え、三年目の授業が始まった。

 ヴィルヘルム先生が挨拶の時に話していたが、今年は新入生の身辺調査を厳しくしたらしい。

 魔力を持つと判断された子供は、その両親に魔術師としての登録があるかどうか、無い場合は本当に魔力を持っていないのかどうかをしっかり判別することになったそうだ。

 去年あんな出来事があったのだから当然か。

 彼らが同じ手段を二度も用いるとは思えないのだが、警戒するに越したことはない。

 実際彼らの計画は成功しかけていたのだから。




「それでは授業を始めますよ。今年からはいよいよ魔術を教えていくことになります。待ちに待っていた人も多いでしょう?」


 教壇に立ち、私たちに微笑みかけるのはディアナ先生。

 ふわふわとした淡いピンク色の髪を持つ、まだ二十代後半という非常に若い先生だ。

 眼鏡をかけた理知的な美人で、上級生の男子生徒からはとても人気があるらしい。

 私のお母さんの方が美人だけどね!


「今日教えるのは火属性の初級魔術、『火球ファイアボール』です。これはアシュテリアすべての魔法学校で最初に教える、最も基本的な魔術になります。ひとつ魔術を覚えることが次の魔術の習得に繋がりますので、まずはこの『火球』、早いうちにマスターしてしまいましょうね」


 火球とはその名の通り、手のひらの上に炎の球を作り出す魔術で、火種や灯りとして利用したり、投げつけることで攻撃に利用したりと、様々な活用法のある魔術だ。

 作り出す炎の球の大きさは、注ぐ魔力の量や術者の火属性の適性に依存しており、用途によって変えられるらしい。

 過去には火球ひとつで戦場を火の海に変えた魔術師がいたのだとか。

 もっともそんな人物がいたのは、かつて世界に魔力が満ちていた時代であろうが。


「ではまずお手本を見せますね。火球ファイアボール!!」


 ディアナ先生がそう一声発すると、手のひらの上にこぶし大の炎の球が出現した。

 パチパチと炎の弾ける音が聞こえてくる。

 あんな至近距離で炎を出して、ディアナ先生は熱くないのだろうか?

 ふとそんなことを考えてしまったけれど、先生は涼しい顔をしている。

 そしてそのまま作り出した炎の球をふわふわと浮かせ、空中で操って見せた。

 先生の操る炎の球は私たちの頭上をぐるりと一周し、再びディアナ先生の手元に戻ってきたところでかき消えた。

 途中私の近くを炎の球が通ったとき、しっかりと熱を感じた。

 もし先生の手元が狂って炎の球が進路を変えでもしていたら、私たち生徒は大火傷だ。

 ちょっと怖くなってしまった。

 何人か身を捩って炎から離れようとしていた生徒がいたから、そう感じたのは私だけではないのだろう。

 火を恐れるのは生物の本能なのだ。

 ディアナ先生は生徒達の反応を見て、満足そうな笑みを浮かべる。


「お手本と言っても、見ただけで真似できるものではありません。ではどうやって火球を覚えるのかというと……」


 一度言葉を切ると、先生はどこからか手袋を取り出した。


「これを使いまーす!」


 先生はにこにこ笑いながらその手袋をひらひらと振ってみせる。

 なんだか楽しそうだ。

 真面目そうな人に見えたけれど、けっこうやんちゃな人なのかもしれない。

 ユーリタイプだ。


「じつはこれ、ただの手袋ではなくて、れっきとした魔導具なんです。これを手にはめて魔力を流すと……」


 そう言ってディアナ先生は手袋をはめ、実演して見せた。

 すると、手袋をはめた手のひらから、さっきよりは少し小振りな炎の球が出現した。


「こんな感じで自動で火球を発動させてくれるんです。そのとき魔力が流れるのが感じられると思うので、その感覚をつかんでください。去年魔力を操る練習をしたときと同じ感じですね。魔力を流すのを止めれば火球は消えます。ではやってみましょう」


 そう言うとディアナ先生は手袋を生徒達に回していった。

 この手袋は貴重な魔導具であるため、ドラッケンフィールの魔法学校にはひとつしかないようだ。

 手袋が回ってきた生徒から順に、実際に魔力を流して火球を発動させていく。

 いきなり手から飛び出す炎にびっくりしている生徒もいたけれど、みんな熱さは感じていないようだ。

 火球を発動させた本人とそれ以外の人では、熱の感じ方が違うのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、手袋は私のとなりのアレクシアのところまで回ってきた。

 アレクシアが火球を発動させると、やっぱり熱を感じる。


「ねぇアレクシア、どんな感じ?」

「そうねぇ、魔力が流れ出ていく感覚はするんだけど、ただ流れていくんじゃなくて体の中でなんだか模様を描きながら動いていって、気づいたら炎の球が出てる、みたいな感じかしら?」

「へぇー……」


 わかるようなわからないような、微妙な答えだ。

 しかしアレクシアのその答えを聞いたディアナ先生が、嬉しそうに微笑みながらこちらへやって来た。


「かなり正確に魔力の流れをつかめているようですね。もしかしたらアレクシアさんは、火属性の適性が高いのかもしれませんね」


 ディアナ先生曰く、各属性への適性とはつまり、その属性の魔術を使ったときの魔力の流れをどれだけ正確に把握できるか、ということらしい。

 適性が高ければ高いほど正確に魔力の流れを把握できるため、より高度な魔術を扱えるのだそうだ。

 逆に適性が低ければ魔力の流れをあまり把握できず、簡単な魔術しか使えないらしい。

 魔術を発動するということは、その魔術を使うときの魔力の流れを覚え、その通りに体の中で魔力を操り体外へ放出する、ということなのだ。

 去年の魔力操作の授業は、そのための練習でもあったということだ。

 魔術って奥が深いな。


「私はなんとなくつかめた気がするわ。次はレイナがやってみる?」

「うん、ありがとう!」


 私はアレクシアから手袋を受けとるとすぐさま右手にはめた。

 そしてそのまま適当に魔力を流してみる。

 すると体の中でもやもやと魔力が動くのを感じ、手のひらの上にぼわっと炎の球が出現した。

 その瞬間に顔に熱を感じてびっくりしてしまったけれど、手のひらは全然熱くない。

 どうやら自分の魔術で火傷するなどというような、間抜けな事態にはならないようだ。

 良かったよかった。

 しかし、


「うーん、私はぼんやりとしか魔力の流れがわからないや。私には火属性の適性はないのかな……」


 アレクシアの言うような、魔力が模様を描く感覚は感じなかった。

 お母さんみたいに六属性全部に適性が……、なんて少しだけ期待していただけに、それは残念だった。

 そんな私を見かねたのか、ディアナ先生が慰めてくれた。


「そんなに悲観することはありませんよ。現時点でわかるのはあくまでも目安にすぎません。実際に診断をするまで、どの属性に適性があるのかはわからないんですからね。それに、レイナさんは魔力の操作に長けているのでしょう? 複数の属性の魔術を高水準ハイレベルで扱える可能性は、非常に高いと思いますよ」

「そう……、ですかね? ありがとうございます!」


 それを聞いて私は少し嬉しくなった。

 続けて手袋に何度か魔力を流し、少しでも魔力の流れる感覚をつかめないか練習してみた。

 けれどこれがなかなかうまくいかず、躍起になって続けていたところ、


「レイナ、そろそろ私に貸してよ」

「あぁ、ごめんごめん」


 ユーリにそう催促され、私は慌てて手袋を外して彼女に手渡した。

 手袋をはめたユーリは何度か炎の球を生み出し、その度に首をかしげていた。

 そして最終的に、


「ダメだ~、私もあんまり魔力の流れがわかんないや」


 と諦めたように声をあげ、手袋を次の生徒に回した。


「でもさー、アレクシアが火属性の適性があるのって、なんか納得できる気がする」


 いきなりユーリが不思議なことを言い出した。

 どういうことだろう?

 アレクシアもよくわからない、といった表情で、ユーリを見つめている。

 するとユーリは楽しそうに笑顔を見せた。


「だってアレクシアってなんか全体的に赤っぽいし、火って感じするじゃん」

「何それ!? 赤いって髪の毛だけじゃない!」


 ユーリの答えにアレクシアは憤慨していたが、私にもユーリの言うことは理解できた。

 確かにアレクシアって火属性っぽい。


「じゃあユーリは、水属性かな? それか闇属性?」


 ユーリの髪の毛は青みがかった黒色だ。

 明るいところではけっこう青く見えるけれど、暗いところでは黒にしかみえない。

 水属性か、闇属性か。

 悩みどころだ。


「じゃあ両方で!」


 ……ユーリは欲張りだ。


「だとするとレイナは何属性かしら? レイナと言えば金色だけど、それらしい属性はないわね」

「それだとレイナ、適性無しだ!」


 二人して酷いことを言うなぁ……。

 まるで入学式のときの悪夢の再来ではないか。


「ちょっと、そんなのないよ! ほら、命の属性ってそれっぽくない?」


 一応それらしい案を出してみたけれど、ユーリとアレクシアは顔を見合わせて首をかしげる。


「命の属性ねー、確かにどの色なのかわからないよね」

「そうねぇ……、あ、そういえば!」


 なにやら考え込んでいたアレクシアが急に何かを思い出したように声をあげた。

 一体どうしたのだろう?

 いぶかしげな視線を彼女に向ける私たちに、アレクシアは苦笑しながら話してくれた。


「この世界に訪れた六神は、その見た目から闇の神、火の神、水の神、木の神、土の神、命の神と呼ばれるようになったと文献で読んだことがあるわ。もしかしたら本当に髪の色とかの雰囲気から決められたのかもしれないわね」

「へぇー、そうなんだ。じゃあ私の言ったこともあながち間違いじゃないのかな?」


 アレクシアの話を聞いて、ユーリは無邪気に笑っている。

 それにしても見た目で名前が決められるって、昔の人たちは適当だなぁ。

 でもそれだと、結局私は何属性っぽい見た目なのかわからないな。

 って、どうしてこんなことを真剣に考えているんだか……。




「ではそろそろ、実際に火球を発動させてみましょう」


 私たちがそんなくだらないことを考えている間に手袋が一巡したようだ。

 ディアナ先生が声をあげて生徒の注目を集めていた。


「一人ずつ前に呼ぶので出てきてください。万が一のことがあってはいけないので他の生徒の近くでは発動させないでくださいね。まずはアレクシアさんから!」


 アレクシアが最初に呼ばれて教壇の方へと向かった。

 この教室は教壇の後ろが広いステージになっており、魔術の実技を行えるように作られている。

 なんらかの魔方陣によって、周囲の生徒に被害がでないように防護壁が仕込まれているらしく、そこで魔術を使うぶんには安全なのだそうだ。

 ステージの中央に立ったアレクシアにディアナ先生が声をかける。


「いいですか? 魔術を発動させる前に、予め体の中で魔力を練り上げておくのが大切なのです。呪文の詠唱は魔術の発動のための切っ掛けにすぎません。準備しておいた魔力を、言葉と共に体外に放出するイメージです。では、やってみましょうか」


 先生の説明を受けてアレクシアは一度うなずき、手のひらを上に向けてかざした。

 そしてそのまましばらく静止していた彼女だったが、やがて口を開いた。


火球ファイアボール!!」


 その声と共に、アレクシアの手のひらの上に炎の球が出現した。

 それを見守っていた生徒達から、感嘆の声があがった。

 アレクシアはほっとしたような表情で、自らの生み出した炎の球を見つめている。

 その様子を見守るディアナ先生は、とても満足げな笑顔だ。

 どうやらアレクシアを最初にしたのは、始めに成功例を見せるためだったようだ。


「素晴らしいですね、完璧です。もういいですよ、消してください」


 ディアナ先生のその言葉を合図に、アレクシアは火球を消した。

 やっぱりアレクシアは火属性の適性が高そうだ。

 嬉しそうな顔で私たちのところへ引き上げてきた。

 ステージの上に残ったディアナ先生が生徒達に視線を向け告げる。


「では次の生徒を呼びますね。シンディさん、こちらへ」




 その後はディアナ先生に呼ばれた生徒が次々とステージ上に登り、火球の発動に挑戦していった。

 一度目の挑戦で発動に成功したのは、三人に一人くらいだろうか。

 発動に失敗した生徒には再び手袋が渡され、魔力の流れを覚え直すことになっていた。

 魔力操作の授業を思い出した。


「次はレイナさん、どうぞ」


 そしてついに私の名前が呼ばれた。

 私は少し緊張しながらステージの上に向かい、ディアナ先生と向かい合う。


「レイナさんは我が校の期待の星ですからね。直接授業を受け持つのを楽しみにしてたんですよ」


 先生はそう言いながらにっこりと微笑みかけてくる。

 余計なプレッシャーをかけないでほしいなぁ……。

 緊張がさらに高まってしまった私は、目をつぶりながら手をかざした。

 そしてそのまま体の中で魔力を練っていく。

 といってもいまいち魔力の流れがつかめてないんだよなぁ。

 ちょっぴり困りながらも、なんとなくで魔力を操作する。

 うーん、とりあえずいっぱい魔力流しちゃえ!

 私は半ばやけくそになりながらも魔術を発動させる準備を終えた。

 よし、やってみよう!


火球ファイアボール!!」


 そう唱えた途端、すぐ近くでゴウッと炎が上がるような音がし、顔には熱さを感じた。

 成功したのかな?

 私は恐る恐る目を空け、自分の手のひらを見遣る。

 しかしそこには炎の球はなかった。

 あれ、おかしいな? 確かに熱は感じているのに……。

 不思議に思ってディアナ先生の顔を見ると、その視線が変な方向に向いているのに気がついた。

 何故かわからないけれど、天井の方を見上げていたのだ。

 どこを見ているんだろう?

 私も上を見上げ……、そして驚愕に目を見開いた。

 そこには私が両手で輪を作ったのよりもさらに一回り、いや二回りほど大きいくらいの、巨大な炎の球が浮かんでいたのだ。

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