穴屋

「穴、売ります」

 どのように使っていただいても結構です。使用後は横に盛った土で埋めておいて下さい。こちらからお客様がどのように穴を使われたのか詮索するようなことは一切いたしません。完全なお客様だけの穴を提供いたします。(一穴、二十万円~。軍手販売中。バケツ、スコップ貸出可)


 穴が販売中であることを告知するためここまで書いて、いよいよどこに貼り出そうかと外に出て考えていた。

 住居、土地はあるが貧困、今月を生き抜く資金が危うい状態だったとき、思いついたのが穴屋である。

 山はあったが、耕し農地として活用するには骨が折れた。そもそも、その根性があれば貧乏していないのだ。手っ取り早く稼げる方法で、なおかつ穴を掘るくらいの労力なら許容できる。むしろ穴は、いざ掘っていると掘削の工夫にだけ集中していられるので貧乏を忘れられて良かった。

 考えたあげく、貼り紙は公民館の掲示板の余白に収まったので、そこに貼りだしておいた。

 二週間経っても、客は来なかった。

 掲示板を見に、再び公民館に足を運ぶと、情けないほど閑散としていて、盆踊りなんかの催しでも無い限りここには人が寄りつかないのだとわかった。貼り紙は破れずにきれいに剥がし取れた。

 二日前に作った味噌汁の残りが鍋にある。まとめて作り、小分けに食べて節約している。具はほとんど汁に溶けて、形を残していなかった。再度よく煮沸して、食べる直前に乾燥わかめを振りかけると、炊けた白飯によく合った。

 食後、次の案を考えながらショベルの先端を研いでいると、呼び鈴が鳴った。

 来客など珍しく、あっても大抵碌なことがないので、最初、居留守を使おうかと思ったが、もしや、と思い立ち上がった。戸を開けると見知らぬ二人の男女が立っていた。

「あの、穴屋さんはこちらですか?」

 穴屋? なんやそれと思ったが、穴屋は家で間違いなかった。

「ええそうです」

「あの、まだありますか? 穴」

「ええ。まだ残っていますよ」

 まだ掘ったそのまま残っている。

「良かった。貼り紙がなくなってたから」

「ああ。お客さん、運がよろしい。キャンセルが出ましてね」

 カップルらしき客は見つめ合って安堵した。

 男の方が「それじゃ、早速」と茶封筒を取り出し「ここに二十万あります」と差し出した。私は受け取り、中を確認する。

「確かに。お代金頂戴いたしました。それでは、穴までの地図と鍵をお渡しします。ここを出て裏に回って下さい。山に入る際にはこちらの鍵でフェンスの錠を開けていただき、お帰りの際にはもう一度施錠してから、最後に鍵の返却をお願いいたします」

「わかりました」

 事が意外にうまく進み、カップルはいそいそと行ってしまうので「ああっ」と引き留め「軍手やスコップはお持ちですか?」と呼びかける。男は持っているらしく、黙って背中を向けたまま右手を挙げて断った。

「それでは、ハブアグッド……ほーる」

 遠くに見える背中に小さく呟いて二人を見送る。

 二十万をポケットに突っ込んで、部屋に戻ると、鍋の底にうすく残った味噌汁のかすを流しに捨てた。


 鍵の返却に戻ったのは男だけだった。

 お連れさんはどうしたのですか、と聞きそうになって思い止まる。詮索はしない。そういう決まりだった。

「良い穴でした」

「えぁ、……はい」

 鍵を置いて、男は止めていた車に乗り込む。助手席やバックシートに女の姿を探すが見当たらなかった。男は窓越しに会釈すると車を出して行ってしまう。夜も深かったが、私は慌てて裏へと周り、山に入った。

 これはえらいことになった、と穴のあったところまで駆け上っていき穴を探す。目印となるうねった木を過ぎた辺りに、確かにあったはずの穴が今はきっちりと埋められてなくなっていた。

 一部色の違う、まだ埋められて間もない地面にひざまづき、手元にショベルも何もないので素手で掘り始めるが、もしも女の身体を掘り当ててしまったら、と想像すると恐怖で手が止まった。詮索はしない、というルール通りにしていれば、私は何も知らない、男が勝手にやったことだという理屈が通るのではないか。私と男が黙っていれば、まずこの山に入るものなんていないのだから、事件になってもここまでたどり着けるとは思えない。

 私は掘り起こしたバケツ一杯分ほどの土を穴に戻して、足で踏み、山を下りた。


 男が穴を買った日から一ヶ月が経った。まだ、警察が家を訪ねてくるようなことはない。

 資金の底が見え始め、そろそろ次の客を呼び込みたかった。初めの客であんなことになって、穴屋はもう畳もうかとも考えたが、私はいまだに穴屋を営んでいる。その後、客はなかったが、山には穴を三十ほど拵えた。悩むより先に、むしろ穴を掘った。時々、あの消えた女の顔が浮かんだり、穴の周りで幻聴を聞いたりしたがそれでも掘ることに集中した。全てを忘れるためにショベルを振るった。穴の完成度は日に日に高まり、最後に掘った穴は誰にも売りたくないほどだった。


 夜も更け、虫たちが木のうろから起き始めた頃に呼び鈴が鳴り、あの男が再び現れた。

「また、あります? 穴」

 私は男の横に女の姿を見つけて安堵した。

「よかった。はいはい、たんまりございますよ」

 そう言ってよく見ると、女は以前の女とはまったく別人だった。別人であると気付いた私の顔を見て、男の顔には不穏な気配が漂う。前回の女の顔が頭に過り、二度目はまずい、と男に恐る恐る探りを入れた。

「あの……」

 私は男にだけ聞こえるよう近づいて、聞いた。

「そちらは奥様ですか?」

 私が訊ねると、男はぎょっとした目でこちらを見る。

「……いいえ」

「では、彼女さんですか」

 男はしばらく沈黙したあと「いいえ」と言う。

 それから、続けて語り始めた。


「子どもの頃からよく見たんです。幽霊」


 女は幽霊だという。

 生前、生き埋められた幽霊はだいたいその穴が気に入っておらず、良い穴を探し求めて彷徨っているそうだ。そんなとき、公民館の掲示板でチラシを発見し「二十万の穴て。二十万て!」と思った幽霊は、霊感の強い男に取り憑き、穴を買うようにせがんだ。

「ということなんです。まさか。あなたにも見えていたんですね」

 男はやっと言えたという感じで緊張がとれていた。

「今の現場が山の方で、そういう霊に遭遇しやすくて。どこから聞きつけたのか、またせがまれちゃいました」

 男はまんざら嫌でもないという顔で、ちらちらと幽霊の顔を見つつ説明する。幽霊は美人だった。

 それを聞いて私は驚かなかった。私もこれまで霊の気配を感じたことがあったからだ。それは、穴を掘っていたときだった。ふと、視線が気になり振り向いてもそこには誰もいない。気を取り直して掘削するが、やはりなにかが辺りにいるのだ。あの時、聞こえた幻聴は「掘れ!掘れ!」と言っていたのかもしれない。

 男の話を聞いて、幽霊が見ていたのは〈私〉ではなく〈穴〉の方だったのだと分かると、歯がゆい思いがした。こんな私にも知らぬ間に、穴屋としての誇りが芽生えていたのだ。

「そう言うことなら待っててください!」

「え。どうしました?」 

 男の問いかけには答えず、私は研いだショベルをリュックに数本突き刺して担ぎ「行きましょう」と二人を連れ立って山へ向かった。男と幽霊は訝しげに私の後ろをついてくる。

「あんな縦穴じゃ、横になれないでしょうが!」

 男はあっけにとられている。

「これでもねぇ、私ゃ穴屋なんですよ」

 山を登り、すでに掘っていた穴にたどり着くと、早速、穴の底へと降りた。

「……言ってくれりゃあいいものを。掘ってやりますよ」

 取っ手を握りしめ、ショベルを力一杯突き立てる。穴の壁は堅くてショベルの刃先がなかなか通らず、角度をつけて削るように掘り進めなければならなかった。穴の底は無風で、夜でも汗が粒になってこめかみを伝う。

 私はいつしか穴掘りに取り憑かれていた。自分の墓穴までも掘る覚悟だ。

「ええ穴、掘ってやりますよ」

 男が幽霊の方を見て微笑むのが分かった。高く突き上げて背伸びした幽霊は、その場で腰を下ろし、星を眺めながら静かに穴を待っていた。

 単調な掘削音だけが山中に響く。

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