或る春
高校卒業が間近に迫り、
放課後、受験を後期日程で受ける者以外は、卒業式までの空白のスケジュールを何とか埋めようと、帰りがけに遊ぶ計画を立てている。健太は、男同士で騒いでいる間にも、彼女を見失わないよう目で追いかけていた。そうして、今にも帰ろうとしていた
健太と香菜は小学校からの同級生で、中学高校では何度か同じクラスになったこともあるが、今まで二人で話したことはほとんどなかった。いざ、卒業を迎えると思うと、健太は
香菜と話していないことが心残りに思えた。そして、それは香菜も同じだった。
「そういえば、畑田さんと話したことほとんどなかったなって」
「ほとんどじゃない。二人では一度もない」
香菜は呆れたように笑う。
「なんか、12年間も一緒にいて、このまま話さず卒業って、気持ち悪くて」
「わかる。嫌いあってるわけでもないのに」
「うん」
1年生の教室の前を通り過ぎる。各学年8クラスあり、1階から順に1年 、2年、3年と教室が振り分けられている。1、2年生も今日は午前授業で、生徒は疎らに残っているだけだった。
「畑田さんとは青春全部見合った仲なのか」
「わたしは、そんなに見てなかったよマツケンのこと」
「…そうですか」
なんで敬語、と笑いながら二人は廊下を進む。香菜が健太を「マツケン」と呼ぶのは小学校でそう呼ばれていたからだ。高校からの友人は「健太」と呼んでいる。
上から見ると『王』の字に見える3階建ての校舎を、あてもなくぶらぶら歩いて回る。今まで話してこなかった仲とは思えないほど、二人の会話は盛り上がり、遠慮がなかった。思い出は山ほどあるはずなのに、話題はなぜか高校の3年間に絞られた。
「なにか後悔ってある?」
香菜は2階へ階段を上りながら唐突に聞く。
「ん……、大してないかな。でも、後悔とはちょっと違うけど、学校の中にも一度も行かないままの場所って結構あるな」
「行ってないとこ?どこ?」
「屋上とか」
「あ、たしかに。ドラマではよく登場するけど。じゃわたしは、朝礼台の上に上ったことない」
香菜は、ものすごく悔いの残っている表情をした。
「体育館の上の方にある細い通路とか」
健太が思い付いて言う。
「放送室とか」
香菜が用意していたように返す。
「女子更衣室とか」
健太がドヤ顔で言う。
「男子更衣室とか」
香菜がドヤ顔で返す。
他にはないかと探しながら3階に上がる。目的地はないまま、二人はずんずん歩いて行き、音楽室前の廊下でどちらからともなくピタッと止まった。二人並んで、窓からグラウンドを眺める。部活の1、2年生が球を打ったり蹴ったりするのが見える。
「後悔あったよ」
健太が思い出したように切り出す。
「なに?」
健太が静かに深呼吸をしているのがわかった。
グラウンドを眺めていた香菜が健太に向き直る。
「
「東小の?」
「そう。……ずっと、多田に謝りたかったんだ」
「なんで?」
「多田の家に遊びに行ったことがあって。小2の頃だったかな。そしたら多田の家、プラモデル一杯あって」
「盗ったの?」
「盗ってないよ。でも、勝手に触ってたら部品が取れて、慌てて直そうとグッと力入れたら、折れちゃって」
健太はその時の様子を身振りをつけて説明する。
「謝ろうと思ったんだけど、言えなくて、次の日、その次の日ってなると、あの時、多田ってちょっとクラスでハブられたりしてたから、一緒になって距離置いてしまって…」
「多田をいじめたんだ?」
香菜の要約に健太の顔が一瞬で曇る。
「そういうことです」
見かねた香菜は、小さく溜息を吐いた。
「今、バスケやってるよ、多田」
「え?なんで知ってるの?」
多田は、健太たちとは違う中学に入学した。その後は、どこの高校へ進学、または就職したのか健太はまるで知らなかった。
「弟がバスケやってるから。大学も推薦で良いとこ決まったとか言ってた」
「そう、っか」
「いじめられっ子どころか、勝ち組だよ。背も高いし。彼女もいるし」
健太は長い呪縛が解けたように、スッキリした顔で悔しがった。これまで、健太に彼女ができたことはない。
「あのさ」
香菜が健太に視線を送りながら微笑している。
「なに?」
健太は、笑う香菜を不審がりながら聞く。
「告白されるのかと思ったよマツケンに」
「…しないよ。するならとっくにしてる」
「たしかに」
3階から2階に下り、職員室の前に差し掛かる。中で先生たちが談笑しているのが見える。
「話したことない先生!!」
突然、香菜はそれだけ言って、健太の顔を見た。先生も数人廊下を振り返った。
「いきなりどうした?」
「いや、行ったことないとこの続きだよ。話したことない先生もいるなって」
「ああ、なんか色々やり残してる」
「うん」
ぶらぶら散歩もいよいよ行き先を見失い、健太が一歩前を歩き出した。
「帰ろうか」
1階に下りて下駄箱に向かう。校舎の出入口は王の字の三画目の書き出し部分に位置する。
「ああ、楽しかった」
下履きに履き替えた健太は、後ろの香菜を振り返った。香菜はまだ上履きのまま、静かに校舎の奥の方を向いていた。突然静かになったので、泣いているのかと思ったが、泣いてはいないようだった。香菜の後ろ姿を改めて見た健太は、知らない人の背中のようだと思った。
共に過ごしてきた女の子の、高校3年間、ずっと一緒だった12年間に思いを巡らせた。
長い間、ありがとう。
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