ファッション・チェック ロシア文学編

ネコ エレクトゥス

第1話

 今も昔も小説家は変なかっこをした人が多い。それも小説家としてのスタート・ラインということか。しかしそんな変なかっこの中にも独特のこだわりというのがあって、その中に主義、主張が現れている。ここではロシアの生んだ対照的な二人の小説界の巨人、トルストイとドストエフスキーのファッション・チェックをしてみたい。ありがたいことに二人が老齢に差し掛かった頃ロシア絵画ではリアリズム時代を迎えていて、多少の美化や誇張はあるにしても二人の人格を知るのに十分な肖像画が残されている。

 トルストイについてはイリヤ・レーピン作『裸足のレフ・ニコラエヴィチ・トルストイ』、ドストエフスキーについてはワシーリー・ペローフ作『フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの肖像』参照。


 ではまずトルストイ。

 タイトルに『裸足の……』とあるように、森の中で靴も履いていないところからして異常である。靴を買う金が無かったのではない。靴を買う金の無い人たちに自分を合わせたのである。そして自分は大地にじかに触れ大地と共に生きるんだというアピールでもある。それは足から上の方に視点をずらしてみても分かる。飾り気のない黒いズボン、そしておそらく大衆着であったのだろう白い、驚くほど白い上衣。絵の作者がトルストイの精神の清浄さを訴えるために白を強調したのだと思うのだが、森の中でここまで白い上衣は逆に嫌味ではないのか、とも思ってしまう。

上衣のポケットには赤い表紙の本、たぶん聖書。白の上衣に生命の血の色が際立つ仕掛け。これらの衣服が全体としてぶなんにまとまっている。まるで日本の作業員のようだ。いや、それよりも毛沢東時代の中国の人民服のようだ、とでも言うべきか。最後に上衣の上に凛として乗っかっている頭部。健康そのもので眼差しには力が漲っている。

 肖像画全体として「今日の一歩が明日の一歩になり、その一歩がまた次の日の一歩になるんだ」というイメージを発信している。別の言葉で言えば「共産党宣言」。


 続いてドストエフスキー。これがすごい。何がすごいって衣服の前にその視線がすごい。遥か彼方を見ている。もしそうじゃないのなら何も見てない。そんな視線。着ているコートは少しダボダボだがそんなことに一切構っていない。そういう視点で見るともしかするとこのコートは流行遅れのものなんじゃないかとも思えてくる。別にその他の服もちゃんと着ていることは着ているのだが、ファッション・チェックなどという視点を撥ね退け、無効にしてしまうそんなファッション。「神の世界の住人」。


 こんな感じで文学者のファッションを見てみるのも面白い。では皆さんのファッションはどんな感じだろうか?

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