第4話 2人のベテラン

「…。」


 無言でドアに向き直るカイを、小柄な男――男というよりは少年といったほうがふさわしい――が、「待って待って待って!」とワイングラスを持ったまま立ち上がる。紫色の透明な液体が、グラスの中で揺れる。


「んもう、冷たいなぁ。せめてイエスかノーぐらい言おうよ。」

「ノーで。」


 即答しておきながら、そう言ってもこの男は引き止めてくるのだろうと思っていると、案の定少年はアンティークな家具をよけながらカイのもとまでたどり着き、その袖を小さな手でつかんだ。カイは脚も長く、すらっとしてはいるが、特別身長が高いわけではない。それでもカイと少年の身長差は、20センチほどもある。少年はフード付きの黒いローブを着ているが、かなりぶかぶかで、少年の小さな体には不釣り合いだった。


「せっかく来たんだから、僕と飲もうよ。それとも僕のこと、嫌い?」

「嫌い。」

「そっかぁ、残念だなぁ。あ、そこに座ってて。僕がワイン入れてきてあげる。」


 微塵も残念に思っていない様子で、少年はそのままカイを引っ張り、さっきまで自分が座っていたソファの真正面にあるソファに彼を座らせる。その間カイが一切抵抗しなかったことから、文字通り少年を嫌いだとは思っていないことがうかがえる。

 少年はずっと手にしたままだった自分のグラスをテーブルに置き、部屋の奥に向かった。


「カイ、今日はいくつ成功したの?」

「4つ。主人公が3人と、悪役が1人。ディランは?」

「あ、一緒。僕も4つだよ。まぁ、全員犯罪者のほうだけど。」


 物語の登場人物の魂は、ランク付けされる。登場人物が物語の核に近い存在であればあるほど、その魂は上位とみなされる。どのようなキャラクターが上位となるかは物語のジャンルによるが、最高ランクが主人公であることはどの物語でも同じだ。それに次ぐ者は恋愛ものであれば主人公の恋する相手、ファンタジー系であれば一番の味方もしくは敵役、といった具合だ。


 この仕事を行う者たちは、1人につき1つ、専門とするジャンルがあてがわれている。カイは童話担当だ。童話であれば、どの国が舞台であろうと危なげなく仕事を行える。

 童話というとこども向けの絵本だったり、話が短かったりするため一見仕事が簡単そうに見えるが、実はそうではない。シンプルすぎるがゆえに相手の性格や心情が大雑把にしか描写されないため、相手が懐柔されやすいのか、疑い深いのか、あるいは自分の命を投げ出してまで叶えたい願いがあるのかどうかなど、交渉に必要な事柄を把握しづらい。童話担当は、鋭い勘がなければ務まらないのだ。


 一方ディランは推理小説専門。これは難易度でいえばダントツで1位である。推理小説では自分の命を悪魔に差し出してでも誰かを殺したいという、とんでもなく恐ろしい殺意を持つ人間が少なくないため、魂の取引に関してはさほど苦労しない。問題は物語を終わらせることのほうだ。推理を交えるのはもちろん、既存の部分から矛盾点を見つけ出して修正したり、巧妙なトリックを用意したりして、話を完成させなければならない。そのあまりの難しさに、推理小説を専門とするのは、頭の回転が早いディランのみとなってしまった。人が殺されたことを、単なる魔法や呪いであるとファンタジーチックに終わらせることもできるが、それは彼の美学が許さないのだろう。カイは休憩時に気が向けばディランが終わらせた物語を読んでいるが、複雑怪奇な事件を美しくなめらかに、そして論理的に解決し、流れるようにエンドまでもっていく彼の腕前には、毎回感服させられる。本人にそれを言うと調子に乗るため、言わないことにしているが。

 

 ディランがカイのために持ってきたグラスを、テーブルに置く。どう見ても14、5歳ぐらいの少年にしか見えないが、恐ろしく頭が切れ、見た目の年齢よりもずっと長く生きている。カイも二十歳前後の青年のように見えて、その何倍も生きている。それなのに2人が若い姿を保っているのには、理由があった。


「げほっ、げほっ…。」


 ワインを飲んでいたディランが突然ワイングラスを雑にテーブルの上に戻し、口を抑えて咳き込む。どうやらむせたようだ。


「おーおーおー、大丈夫か若作りおじいちゃん。」


 カイは小馬鹿にしたような口調で、のんびりと尋ねる。そしてワインを一口飲んだ。いつもなら「カイもじゃん!」と反論するはずのディランだが、激しく咳をしていてそれどころではない。

 少ししてディランの咳がおさまる。浅い呼吸を繰り返し小さなかたを少し上下させながら、口を抑えていた手を離した。その手についていたのは、黒い液体。


「げっ、インクついちゃった~。」


 ディランは自分の手を見て、幼い顔をしかめた。


 彼の言う通り、手に付着した黒い液体はインクである。

 なぜ咳き込むとインクが出るのか。答えは単純である。


 彼らは、人間ではないのだ。

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