第2話 取引
「娘を亡くした母親なら、分かるでしょう?」
わざとらしい、優しい声。ライラの純粋な目が、吸い寄せられるように男の目に向けられた。男の口調が急に変わったことにも、気づいていない様子だ。ただ食い入るように、男を見つめる。そんな彼女を、男もじっと見つめる。端正な顔に、いやらしい笑みを浮かべながら。
「命は一度失ったらもうそこで終わり。あっさりと散ってしまう。」
ライラがかすかに頷くのを見て、男はさらに嬉々として続ける。
「その散ってしまったものを、私は元に戻すことができるのです。ただし、命というものはとてつもなく重い。それを冥界からお運びするこちらとしては、ボランティアではとても身が持ちません。それ相応の報酬をいただかなければ。そこで女王様、あなたのお命を私がいただき、代わりに姫君を蘇らせてさしあげましょう。」
男の話を聞いている間に、ライラの目がだんだんと虚ろになっていった。それにつれて瞳の色が、徐々に銀へと変化する。男の目の色と同じだった。
「姫君が亡くなられる前日から私が物語を書き換え、そして姫君が幸せな人生を送られますよう、物語を完成させます。私のプランとしましては、魔女の呪いがかかったのは姫君ではなく、実は女王様であったということにするつもりなのですが、いかがでしょうか?」
「…はい。」
ロボットのような、感情のない声だった。まるで何者かに操られているかのように、ライラは首を縦に振った。
男は満足そうに笑うと、胸に手を当てて、上品にお辞儀をした。白いタキシードというあまりにもきっちりとした服装のおかげで、その姿はとても様になっていた。
「かしこまりました。それではまず、物語の書き換えから。」
男が手にしていた絵本を開く。小さなベッドで小さな女の子が寝ていて、そのすぐ隣りでライラと一人の男性が、手を取り合って涙を流しているシーンだった。その男性がライラの夫であり、死んだ娘の父親であった。
男がそのページの上にそっと手を置き、さっと撫でる。絵が一瞬のうちに変わった。小さなベッドは大きなベッドに、横たわる小さな女の子は、美しい大人の女性に、王が握っているのは悲しむライラの手から、号泣する小さな女の子の手になった。もちろん絵だけではなく、文章も変えられている。
男はその調子で、その後のページも書き換えていった。元々書かれていたページの修正が終わると、今度はどこからともなく新しい白紙のページが加わる。そこにも彼は手をかざし、彼の「プラン」を描く。書き換えだけではなく、話をつけたして、物語を終わらせる。それが彼の役目だ。
ライラはその様子を、ただ黙って見つめていた。相変わらず目はとろんとしたままで。おそらく彼女は何も考えていないだろう。自分が死ぬことに対しても、娘が生き返ることに対しても、何も思っていない様子だ。今の彼女の状態は、「無」と表現する他なかった。
最後のページに、鮮やかな色と文字が浮かび上がる。男は小さく息をついて、パタンと絵本を閉じた。
「我ながら最高のラストだ。姫君は健やかに育ち、立派な女王となるでしょう。あなたもどうか、楽しみにしていてください――あぁ、その頃には死んでるか。」
くくくっと不気味に笑う。銀髪がさらさらと揺れた。
「さて、そろそろお別れの時間のようです、ライラ女王。私も鬼ではございません。死ぬ前に、姫君と再会させてさしあげましょう。」
手袋をしているにも関わらず、男は指でパチンと乾いた音を鳴らした。部屋のドアの前に、小さな人影が現れる。ライラが不意に我に返ったように、はっと埃っぽい空気を吸い込んだ。その瞳は、もう銀色ではなかった。その視線は、もう男には向いていなかった。ドアの前に魔法のように現れた、もう二度と会えないと思っていた、愛しい我が子を見ていた。
「レイラ…!」
ライラが涙声でつぶやく。それが娘の名前だろう。呼ばれたレイラは、顔を上げた。美しい母親に目を止め、薄闇に灯されたろうそくのようなささやかな笑顔が、顔に広がった。
「お母様!」
レイラが母親に駆け寄る。ライラは愛娘を抱きとめようと、微笑んで腕を広げる。月明かりに照らされたそれは、世にも美しい光景だった。
「…哀れだな。」
ライラの横に、白い亡霊のように立つ男は、自分でも聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。口角を上げて片手を頭上に上げる。ライラの手がレイラの体に触れる直前に、パチンと指を鳴らした。
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