15.エピローグ
僕は友達が少なかった。
極端なことを言えば、ゼロに等しい。
考えてもみれば、僕は友達の定義すら分からない。小学校、中学校、高校と、クラスに親しい友人はいた。部活でふざけあったり、帰り道でゲームセンターに寄って遊んだり、コンビニで買い食いをしたり、そんな仲間はごく少数だがいたのだ。が、大学に入ってからは、疎遠になった。では大学には友人がいるのか? レポートや課題の参考資料(過去レポ)をやり取りしたりする仲間はいる。が、飲みに行き、なんでも忌憚なく語り、個人的なことも相談し合う、なんてことは無かった。
そして、僕が大学を辞めることについても、誰にも相談しなかった。
僕が不器用で、人付き合いが苦手だから? 話し下手だから? それとも、人付き合いを必要としていなかったからか? そんなことはない。
だけど、上手く話せなかったのは事実だ。
じゃあ何故か?
今ならそれが分かる。彼女と出会って、付き合って、自分を見つめて僕は知った。それは、僕が僕らしく本当の自分をうまく出せなかったからだ。自分らしく、好き嫌い、良い悪い、やるやらないを、周りに合わせるだけでなく、正しく主張しなかったからだ。
自分の心に正直に生きないと、本当の自分が見えてこない。周りにも理解されないし。だからこそ、本当の出会いも掴めない。出会った相手と本気で渡り合えない。ガツンと渡り合えないと、友にはなれないのだ。
彼女は唐突に現れて、突然に僕を理解した。普通の出会いではなかったけれど、そんな普通じゃない彼女だからこそ、普通の順序をすっ飛ばし、互いを理解し合えたのだ。すべて彼女のおかげだった。彼女に出逢わなければ、今も僕は迷っていただろう。
こう考えると、僕は友達が少ないなんて、周りの人達に失礼かもしれない。嘗て僕に親しくしてくれた、クラスメイトや部活の仲間、全員に申し訳ない。僕が本当の自分を、上手く出せなかっただけなのだ。
そもそも大学もそうだった。将来の就職、社会の動向、そこに重きを置いた進路指導で、学部も学科も担任に決められた。僕が本当に興味を持って、学びたいと思った分野でもなかったのに。自分らしく進めなかった結果が、このざまだった。
これからは、自分らしく生きていこう!
すべてのほとぼりが冷めたならば、嘗てのクラスメイト、部活の仲間、そんな旧友にも連絡を取って、今の自分を熱く語ろう。今更鬱陶しいと思われればそれまでだが、それならそれでいい。聞いてくれれば目っけ物だ。関係を再構築するのだ。
そして、彼女を皆に紹介する! 僕の彼女として、将来のかけがえのないパートナーとして。
それに家族にも紹介しよう! 妹の恵の奴はきっと驚くだろう! そして母さんにも、きっと喜んでくれるはずだ。それに親父、どんな顔をするか、それはそれで楽しみだ。
彼女も、ルイーズとは違う名前も国籍も、社会的立場も新たに作って、一からやり直すのだ。彼女は姿を変えられる。そして、力を使わなければ、奴等にだって存在を知られることはないだろう。ひっそりと社会の中に溶け込んで、隠れて、そうだ! 別に外国人にならなくてもいいのだ。黒髪の、日本と英国のハーフでもいい。そうして僕は、彼女のために働くのだ! 二人の生活を、この手で切り開くのだ!
僕はずっと考えていた。希望に満ちた眩しいほどの未来を。まるで夢のような未来を。何の違和感もなく。
じきに僕らの再出発だ! すべてのほとぼりが冷めたならば、
ほとぼりが冷めたならば──。
そうして、僕は目を覚ました。
そこは、あの草原でもなく、明るい未来でもなかった。
見慣れた部屋、ベッド、枕、僕はうつ伏せのまま、自分の手の平を見た。
ゆっくりと拳を握りしめ、そして開く。体温、皮膚、指先の爪、筋肉の動き、血の通う感覚、まるで生きている。
手──、左腕? 元に戻っている!? そうか、それは当たり前か、僕の肉体はすべて食べつくされて消滅し、ここはきっと──、彼女の精神世界なのなのだろう。そうだ、そう見えているだけ。今の僕は、僕を僕と認識する魂の念、彼女が言うところの念の場、その塊なのだろう。
しかし、あまりにも鮮明な、今までにも無かったような、活き活きとした感覚。
ここは、彼女の中の世界のはず。僕の魂は、彼女の精神世界と融合したはずだ。だが──、僕は息をして、窓から射す陽の光の暖かさを、部屋にこもる生活の匂いを、生々しく感じた。まるで現世で、まだ生きているかのように。
これほどリアルな精神世界を、心の中に作り上げているというのか。
ならば、彼女は?
彼女はどこに? 僕が認識するこの世界には、彼女が彼女の姿をしてそのまま現れることは無いのか? 分からない。この僕という存在は、彼女と精神を融合させた、その成れの果ての、残滓、オマケのようなものなのか?
分からない。
だけど、僕は、彼女に、──会いたい。
都合の良すぎる考えかも知れない、でも、彼女に会いたい!
もう一度、彼女に、会いたい。一目でもいい、もう一度!
そう願った刹那、突然部屋のドアフォンが鳴った!
ピンポーンと、それは、本当に現実感のある響きで、僕をベッドから立ち上がらせた。
誰? 彼女の中の精神世界で、訪問者!?
それは──、まさか、彼女なのか?!
僕は急いでドアまで行き、ドアスコープを覗いた。
ドアの前にポツンと立つ人影、そこには、彼女ではなく、妹の恵がいた。
「メグミ──?」
何故? そんな馬鹿な、いや、彼女なのか!?
僕は慌ててドアを開けた。僕を見る恵の瞳、驚いたように見開くその目を見て、僕はそのまま、彼女を抱きしめた。
「あっ、ちょっ!? えっ、 な、なにっ!! おにい、なに!? なにしてんのっ? えええっ! なになにっ!? ちょー」
えっ──?
「ちょっと、なにしてんのよっ!? おにい!」
「ええ! なっ、なに!? お、お前、メグミ!? 恵なのか?」
「はあーっ? え、なに言ってんの?」
「お前、恵なのか!? 本当に恵なのか?」
彼女の顔をまじまじと見た。驚くその瞳、──それは恵そのものだった。
「ちょっ、近い近い近いっ!! なにしてんのよぉ!」
「そんなまさか──、本当に、恵なのか!?」
「当たり前でしょ! はぁ? なに? なにいきなり! なんで妹に抱き付いてんのよっ!」
「いや、その、あれ? そんな──、なんで!?」
僕は慌てて手を放して、一歩引いた。
「はあ? なんで、って、なによ? それはこっちが聞きたいわよ! いきなり抱き付いてきて、頭大丈夫? あー気持ちワル」
「いや、僕は──、あれ? ──そんな、ばかな」
「なに? そんなに寂しかったの? いきなり意味分からんわ。キモすぎだから。てか寂しいなら連絡よこすぐらいしたら? ずっとメールしても電話しても返事ないし、おかあさんも心配してたんだよっ! まったくもう」
「なんでだ? そんなはずは──、なんで恵がここに──」
「みんな心配してたんだから。もしかしたら孤独死か餓死でもしてるんじゃないか? って、母さんが、だから様子見に来てあげたんじゃない」
「あ──」
「てゆーかっ! え! ちょっと、おにい! なにそれ!? マジ? その格好なに!? はっ、Tシャツにパンツ一丁って、キモすぎだから。玄関開ける前に、もうちょっとましな恰好してよねぇ。私だったからいいものの──、てゆーかっ!! え? ちょっと、それっ! おにい、女性用の下着じゃないの!? えええっ! うそー! ショーツ? うえええ!? なにそれ!!! マジかよ! キモーっ!! ちょっと何やってんのよ!! 変態かっ!」
「え、嘘っ!!」
たしかに僕は、女性物のショーツを穿いていた──。
「ちょっと、もう部屋入るわよっ!! もうこれは色々調べないと駄目ね! ずっと連絡しないと思ったら、ったく、おにい何やってんのよ! これは家宅捜索よっ!!」
と言って、彼女ではなかった恵は、突き飛ばすように僕を部屋に押し込み、ずかずかと上がりこむのだった。
「うわっ、きったないわねぇ、相変わらず。掃除してるの?」
しかし、何故恵がここに? ここは彼女の精神世界のはずでは? 何故こんなにも現実感のある妹が? そのリアルな立振る舞い。どうにもこうにも、僕は些か混乱して、ベッドに腰を掛け頭を抱えた。
ここは、本当に彼女の精神世界なのか? 或は彼女が、僕をからかっているのか?
「ちょっと、おにい、なにこれ? ええ? ちょっ、なんでこんなにもレディースの洋服がいっぱいあるのよ? なにこれ!? え? ええっ? ちょっと! クローゼットも女性物の服がいっぱい? えええーっ!」
恵は、部屋のあちこちを物色して回った。ほとんどは彼女のモノだ。だが、彼女は居ない。そのうちどこからともなく現れるのだろうか?
「おにい、何なのよこれ? 説明してよね。お母さん名義のカードでネットで勝手に買い物しまくってるって──、まさかコレを買ってたの? ねえ! マジこれ、なんなの? なんなのこれ?」
「それは、彼女のモノなんだ──」
「えっ! うっそ! 彼女出来たの? てゆーか、まさか、彼女と住んでるの!? うそーっ!」
「そう──」
「マジで! で、その彼女はどこにいんのよ? 紹介してよ」
「彼女はどこにでもいるよ。僕は食べられたんだ、彼女に。そして精神を融合させた。ここは彼女の精神世界なんだから」
「えっ? はああっ!? えっ、なに言ってんの? ちょっとオイ、おーい、頭大丈夫? おにい?」
「恵、お前も本当は彼女の精神世界の一部のはずだ。彼女の生み出した、言わば仮想の恵。お前は本当の恵ではなく、きっと、僕の記憶の中のそれを使って、彼女の精神と融合した心が生み出した、いわば思い出の残滓、精神世界の傀儡なんだよ」
そう言って僕は、恵の反応を見た。
「はあああっ!? え、なに? ちょっと、ちょっと、マジか? オイ! おにい、なんか変な新興宗教でも入ってんの!? ねえ! 変な本でも読み過ぎたのか? マジでイカれちゃってるよその言動、分かってる? ねえ、いまさら中二病なの? これ引くわぁー」
精神世界の傀儡には、真実を言っても伝わらないものなのか?
「説明しても、分からないかも知れないが──」
「分からないわよっ! そんなの! いや、分かるわ! うん、完全に分かるからっ!! おにいが、ちょっとイカれたのは分かるわ!」
「恵は一体何のために、ここに現れたのか──」
「何のためって、オイ! てか、マジかー、 ちょっとほんとに大丈夫? おにい? 寂しくて、彼女いない歴イコール実年齢で、今更中二病こじらせて、大学辞める辞める言い出して、どうしちゃったの? ヤバいもうわ! 変な妄想が暴走して、ちょーおかしくなっちゃってるから」
恵は、彼女の服を一つ一つ丁寧に調べながら続けた。
「もう呆れるわ。こりゃ、よく分からんけど、たぶん、おにい、──彼女ってのも、妄想ね。きっと。あー、どうしよ? こりゃちょっと、当分実家に戻らないといけないわ。自分じゃ分かってない様子だけど、相当ひどいよ。わかる? 医療機関に相談だわ、こりゃ。もう完全にっメンタルヘルス案件だわ」
「え? まさか、実家もあるのか?」
「はああっ? あるに決まってるでしょが! なっ、なに言ってんの? ていうか、おにい、ちょっとTシャツ脱いでみてみ?」
「え?」
「いいから早く!」
言われるがままにそうすると──、
「ひぃー、おにい、マジか!? ひぃー、こりゃ、本物だわ。もうヤバいっ! 完全だわ! やれやれ、私のような理解ある妹で良かったわねぇ。ほんと、普通ならドン引きで出ていって、今後一切口も訊いてもらえないかもだよ? こりゃ女子高生にはショック過ぎるわぁ。ショーツも女性モノなら、ちゃんとブラまでしてんだから」
「えっ!? あっ──」
まさか──、恵の言うように、確かに僕はスポーツブラをしていた!?
「なんで、僕がこんな──」
何故、何のために? 彼女がそうさせているのか!?
「おにい、分かってる? あのね、彼女っての、きっと、これ完全に妄想だから、間違いない! で、女装までして妄想してたんだよ、マジで。自分が彼女に成りすまして、そんで浸ってたんだよ。うわぁ、マジでなんつーか、キモい。ってか病だからキモいなんて言っちゃダメか。しかし、はぁー、なんて不幸なおにい。これ、ここにある服、全部自分で着てたんでしょう? 自分で自分の彼女になりきって。泣けてくるぅ。妹として泣けるよおにい。まったく連絡してこないと思ったら、こんなことしてて。てゆーか、ホント分かってるの? おにい!」
本当に現実感のある喜怒哀楽。ころころとその表情を変え、僕に問いかけてくる恵。少しそれに、僕は違和感を覚え始めた。
「確かに、こんな格好をしているのは、僕にも分からない。何故なんだ。彼女がそうしてることなんだ。彼女が作り上げた世界だから、すべて彼女が望むようになっているはず。だけど、これは意味が分からない。彼女は一体──」
「てゆーか、じゃ、どこに居るのよ? その彼女ってのが! ねえ! 早く呼んでよ、ほんとにいるってんなら、スマホは? スマホで呼んでみなさいよ」
「3週間ほど前に、欧州で素粒子物理学研究所の大事故があっただろ? 沢山人が亡くなって、そこで、彼女が──」
「はっ? あー、一ヶ月ほど前にニュースでやってたっけ、え! 死んだ人いた? 軽い事故で、数日で復旧したとかやってたような──、てか、なに急に? なんの関係があるのよ?」
そんなはずでは、そういった情報は曖昧なのか? 或は、情報操作されているのか? その必要性はないと思うが。
とその時、再びドアフォンが鳴ったのだった。
「あっ! ちょっとまって、おにいはそんな格好だから、私が出る」
と言って、玄関に向かう恵。一体なんだ!? 恵以外にも訪問者なんて、あり得るのか? あり得たとしても何のために? 僕は完全に混乱してしまった。まさか、とても精神世界の仮想現実とは思えない。この現世のような、まざまざとした空気感、僕は彼女に食べられたはずなのに──、
或るは今まさに、彼女が訪れたのか? ここへ。彼女がたまに言う「冗談というやつよ」という事で、僕を驚かすために!
「あー、また通販じゃん? なにこれ? この大きさにしてこの軽さ、衣料品って、またレディーズの服買ったんでしょう? おにい、もうマジで、どうしよ? ほんと先が思いやられるわ。ま、でも、これらの洋服は妹である私が引き取るとしてぇ、なんかサイズ結構合いそうだしぃ──」
通販の配達? 街を丸ごと仮想現実として構築しているとでもいうのか!?
「恵、実家に警察は来なかったか?」
「えっ? なに、どういうことよ!? 来てないわよ。って、なにそれ! おにい、まさか、何かしでかしたの!?」
「いや、その──、停電があっただろう? アレは、僕と彼女が原因なんだ──」
「うっそマジ?! って、なに言ってんのよ! ばっかじゃないの! 停電は電力会社の工事ミスが原因って、ニュースでやってたでしょ! テレビ見てないの? どんだけ、その彼女ってので妄想膨らましてんのよっ! 時事ネタ取り入れて妄想とか、ある意味ウケるわ、こりゃ」
実家に警察が来ていない。ということは、彼女は僕に成りすましてうまく誤魔化したのか? いや、そうじゃない! 僕は食べられたはずで、ここは精神世界、実家も警察も関係がない。そもそも恵や、通販の配達が来るのなんて、あり得ない。何のために? これからこの仮想世界で僕が生きるために? それこそ何のために? 彼女がいなければ意味がない。なのに、なぜ彼女は現れない? ──つまりこれは? もしかして、僕は、現実世界に生きてるのか? 恵は本物の恵で、ここは本当の現実世界なのか?!
──いや、まさか、僕は、現世に蘇ったというのか!?
食べられて、蘇った? 再生されたのか!?
でも、それでは、彼女は!
あれ? 何かがおかしい。
──或は、本当は、恵の言う通り、すべてが妄想だったというのだろうか?
彼女を襲った組織も、コンビニでのおっさんも、失った左腕も、潰れた左目も、そして、彼女の存在そのものも、今日まで過ごしたあの日々も。
そんな馬鹿な。いや、それは絶対にあり得ない!
「さて、どうしよっか。おにい。まずは、帰ってきなよ。当分実家暮らしね。心のリハビリ必要だわ。しかし、お母さんにどう説明したものか、こりゃ相当ショック受けるだろうなぁ。ショック寝込んじゃったらどうしよ。それにお父さん、怒るどころか、ドン引きだよね、きっと。でも仕方ないねぇ、事実だし。あのさ、おにい、妹の私がフォローするから、帰ろ実家に。おにい独りで置いてけないよ、こりゃ。あー、こんな兄想いの妹で感謝するのねぇ! そんで病院にも行くからね。で、あ! ハムスターどうしよっか? これも連れて帰るかー、あーでも、お父さん動物苦手だからなぁ、どうしようかぁ?」
「は、ハム次郎!?」
「おにい、ちゃんと世話してるの? ゲージの扉空きっぱなしだし、ちゃんと中にいるの?」
「いや、ハム次郎は、いない!?」
「はあ? なに言ってんの、おにい、自分で飼ってたんでしょう。てか、あれ? 中に、居ないよ? あれ、どっか逃げ出したんじゃ──、あっ! いた!」
恵はパソコンデスクを指さした。そこには、本当にハム次郎がいたのだった。ノートパソコンのキーボードの上に、ちょこんと座り、こちらを、僕をじっと見つめていた。
「ハム次郎?!」
「ほら、おにいをじっと見つめてるよ、ハムスター、ハム次郎だっけ? ちゃんと餌やってんの? じーと、なんか見つめてるよ、お腹すいてんじゃない?」
ハム次郎──。
「そうかも」
「は?」
「──君」
「えっ」
ハム次郎は、じっと僕を見つめていた。じっとして動かず、何かを訴えかけるかのように、或は、大切なものを見つけたように。
僕の終わりと、彼女の世界。 目鏡 @meganemoe
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