14.彼女

 

 

 彼女の後姿が見えなくなっても、僕は立ち尽くしたまま、動けなかった。


 冗談なのか? 一杯食わされているのか? 信じられない。いや、これは嘘だ! 悪い夢を見ているのだ、すぐ目を覚ますはずだ! ──そう真剣に考えるほど、僕は事実を受け入れられないでいた。

 

 馬鹿な、何故こんな事に、こんなの絶対に嫌だ!

 

 目の前で起きたこと全てを否定したり、或いは理解しようと努めて、でもどうしても出来なくて、そんな堂々巡りを繰り返していた。


 思考がまとまらない。まったく頭が回らない。言いようのない苦々しいものが、まるで毒ガスのように僕の心に充満していった。これが、絶望感なのか?

 

 それでも、夜空は、月は煌々と明るく、美しかった。

 

 悪い夢──、ほんの数十分前まで、僕は彼女と外食し、まるで本当のデートのように楽しく過ごしたのだ。夢にまで見た彼女とのひととき。夢にまで見た──、ひょっとしてこれは、彼女はいずれこうなる事を予見していて、或いは今夜こうなる事を知っていて、それで最後に、僕の願望を叶えてくれたのだろうか? あたかも、最後の晩餐であるかのように。


 包囲網、展開中、半径500メートル以内、逃げられない、ただじゃすまない、封印、消去、大切に思っている、あの草原で──。


 彼女の語った言葉の一つ一つが、僕の脳裏を駆ける。


 どうする。

 

 今更、世の中が根本的に不平等なのは僕にも分かっている。だけど、仮にもここは先進国で、議会制民主主義の平和国家なのだ。まさか一般市民を、一部の利益のために抹殺するなどと──。彼女という存在は確かに重大だ。だからと言って、人を犠牲にするなんて、あり得る事なのか?!


 彼女の言う通り、僕は一人で帰るべきなのか? 彼女は逃げ延びると言った。灰から復活したとも。不死、それは自然の摂理はおろか、人間が観測し得る物理法則を超越している。ならば無敵ではないか? ならば本当に逃げ延びて、いつかあの草原で、僕らは再び出逢えるのか?!

 

 だが、もし奴等に捕まったとしたらどうなる?


 安心させるため、一縷の望みを言ったのか?


 最後の最後で、と、彼女は言った。──彼女は、死を覚悟している。


 だが、僕に何が出来る?


 いや、そうではない!


 僕は、彼女のために生きると、彼女のために出来ること全てやると決めたのだ!


 二人で、この局面を切り抜けるのだ!


 僕は、腹を括った。


 しかし、このまま彼女と共に奴等と対峙しても、僕には何も出来ないだろう。力ずくで拘束されるだけだ。もしそうなれば、僕の身の安全と引き換えに、彼女が投降を余儀なくされるかもしれない。足手まといか? 突破口が見いだせない。──だから、彼女は死を覚悟しているのか!? だけど、僕は彼女と離れたくない!


 今何が出来る? どうすれば、この局面を打開できる? 僕と彼女とが助かる道筋、──いっそ全てを世間に公表するか? 情報操作でもみ消されるか? 結果的に彼女を、さらに危険な状況に追い込んでしまうことになるか?


 絶望感に押し潰されまいと、僕は自問を繰り返す。


 体はガクガクと震えていた。冷や汗が異常に噴き出し、まるで雨に打たれたように濡れている。そして、どう考えても、幾度繰り返してもよい方策は見つからず、不甲斐無くその場に立ちつくしていた。


 が突然! 異様な胸騒ぎがした。嫌な予感、鼓動が速まるだけでない。あまりにも強く、胸の内側を何か得体の知れないものに掻きむしられるかのような、度を越した胸騒ぎ。──そしてその刹那、僕は「これは彼女の心の恐怖心なのでは?」と、なんの根拠もなくそう感じた。「伝わってきている!」そう直観したのだ。何故かは分からない、だが絶対にそうだ。

 

 彼女は今、危機に直面している!


 一度彼女と精神を繋げたからか? 彼女の内面、思考、感情、それらを綯い交ぜにした、思いの塊のようなものが、意図せず僕の心に同期した。そんな感覚だった。

 

 そう思うが早いか、僕は半ば無意識に走り出していた。どこに彼女がいるのか、見当がついているわけでもなく、考えたわけでもない。が、しかし、自然と足は彼女の方に向かっていると信じられた。


 公園から、駅とは反対方向の住宅街を、さらに抜けた先に建設中のマンションがある。広大なエリアに数棟の高層マンションが立ち並び、敷地内には公園やプールなどの施設も併設される予定の、富裕層向けの高級マンション群。もはや明確に、そこだと直感した。

 

 その近くに来てみると、建設現場敷地内を取り囲む工事仮囲いの、一部がなぎ倒されていた。彼女がそこに逃げ込んだのか、或いは追い込まれたのか、中にいる! そう確信し、僕は迷わず入った。まだ鉄骨やコンクリートがむき出しの、巨大構造物がすぐに目に付く。その建物内に入ろうとして、僕は何かに躓いた。現場は暗かったが、月明りと街灯で、真っ暗というわけではない。生々しい感触、振り返るとそれは、人だった。大柄のスーツ姿の男性──、巡査に職質された時にいた、あの白人男性だと直感した。まさか、死んでいるのか!? でも、更々構う気はなかった。


 そのまま正面エントランスらしきところに入り、工事用通路を曲がろうとしたその時、突然、脳裏にが響いた──、

「来ては駄目! 馬鹿! なんで来るのよっ!」

 それは、彼女の叫びだった。おそらく、彼女も僕の心を感じとるのかもしれない。

「これでおしまいだなんて、そんなのは嫌だっ!」

 僕は無言で叫んだ。

 

 通路を抜けて、エントランスホールの広い空間に出ようとしたとき、再び、今度は後頭部を殴られたと錯覚するほど、強烈な痛みと共に脳裏に声が響いた。

「来るなーっ! 馬鹿っ! 来るなっ!!」

 そのあまりの気迫に、僕は立ち止まってしまった。


 工事フェンス越しに、恐る恐る彼女がいるであろうホール内を覗く。抜けた天井から月明りが射しており、そこは思いのほか明るかった。


 吹き抜けのような広い空間の、その中心に彼女はいた。


 が、その周りには、得体の知れない黒い物体がわさわさと蠢いており、ぐるりと囲まれていた。

 

 ぎこちなく、せわしなく、彼女の周りで蠢く、黒いモノ?


 不規則な反転や進退を繰り返し、周りをぐるぐると回っている黒い群体。まるで蟻のような、ランダムに思えるその挙動。大きさは中型犬ぐらいか、6体、7体、いや、もっとそれ以上か? 足らしきものがある。四足歩行なのか、二足なのかもよく分からないが、それは恐ろしく静かで、僅かにキュイキュイと機械音が響いている。その頭部らしきところには、赤い点のような小さなランプが無数についており、彼女を照らし、レーザ―ポインターのような光を照射したり、点滅したりしていた。これは、ロボットなのか!?


 まさか、ロボット兵器? 殺人ロボット、暗殺ロボット!?


 よく見ると、彼女は細いワイヤーのような物で両足を絡めとられ、何体かのその黒い物体に引っ張られていた。動きを封じられるように。


 何だあれは! と思った矢先──、


 ヒュイっと鋭い音が響いたと思うが早いか、彼女の左腕が左に強く引っ張られ、構えの姿勢が崩れ、よろける。

「こっのおおおおっ!!」

 と、彼女が叫んだその刹那、周りをぐるぐると回っていた黒い群体のうちの1体が、急に直線的に彼女に向かって、素早く滑らかに突進し──、


 彼女の左腕がすっ飛んだ!


 二の腕の真ん中あたりから腕は無くなり、ドバッと、血が床に垂れる!

 切られた腕はワイヤーに引っ張られ、勢いよく宙を舞い、明後日の方向に消えた。


「なんてこと!」


 黒いロボットの胴体からは、まるで蜘蛛のように数本のアームが伸びていて、その一つの先端には、鋭利な刃が鈍く光っていた。

 

 僕は思わず飛び出した。彼女との距離は約15メートル程、だがその直後、再び「来るなっ!!」という激しい叫び声が脳裏に響き、後頭部をハンマーで殴られたかのような鈍痛が襲い、僕は躓き膝をついた。

「なんでっ!」

 

 血を吐きながらも彼女は、猛獣のように低く唸ったかと思うと、血の吹き出す二の腕から、左腕が再生した!?

「なっ」

「来るんじゃないわよっ! 私は負けない! 馬鹿っ! お前、死にたいのっ!!」


 不死──!? 彼女は幾らでも再生できるのか、どんなに切られても、トカゲのしっぽの様に再生させることが出来るというのか?

 

 と思ったのも束の間、その後、彼女の周りをランダムに回る黒い殺人ロボットが、次々と彼女に突進していった。

 

 それからは、見るに堪えないものだった。


 右太ももから下が吹っ飛び、左足は膝から無くなり、再生した左腕、右腕付け根から、次々と切り取られていく。肢体を失い床に伏すも、再び獣のような叫びと共にそれらは再生し、再び切り刻まれる──。

 何度も切られ、再生し、立ち上がり──、彼女の方もなんと、指先から稲妻のような閃光を放つ。放電によるプラズマなのか、雷光で黒い個体に一撃を与え、が、しかし、その黒いロボットにはなんともなかった。


 そんな、ロボットのくせに、電気的な攻撃が効かないのかっ!? いや、ロボットではないのか?


 焦りにも似た動揺が、彼女の心が、僕にも痛いほど分かった。


 今度はコンクリートの柱の一部をプラズマで切り取り、それをこん棒のように振り回す彼女。黒いロボットの突進を防ぐ。数体を一度に薙ぎ払い、ロボットたちは吹っ飛んだ。キュウキュウと音を鳴らして、のたうつように蠢く。そしてすかさずその上から、大きく振りかぶって、のたうつロボットに向けて、そのコンクリートのこん棒を叩きつけるように振り下ろした。


 ドガッと、重たい音が轟き、コンクリートがガラガラと砕け散って鉄骨がむき出しとなった。


 何体かはそれをサッと躱して逃げたが、1体にもろに直撃し、そのロボットはその場で蠢くだけで、もう立ち上がらなかった。


 物理的な攻撃は、効いている!


 そして彼女は、むき出しの鉄骨を、まるで棒術のように華麗に振り回し、次々と黒いロボットを吹っ飛ばしていく。


 これは、いけるのかっ!?


 後ろにも目がついているかのように、四方八方からの突進をものともせず、躱し、ぶっ飛ばし、ガツンととどめを刺す。


 何体かは動きが止まったが、それでも数は多い。だけど、彼女が不死ならば、このままいけば、勝てる!


 再び数体を一度に薙ぎ払い、彼女が優勢に見えたその時、突然ロボットたちは動きを止めた。扇状に彼女を囲み、一斉に停止して、そしてレーザーポインターのような赤い光線を照射した。

「?」


 彼女は瞬時に赤い光線を鉄骨で防ぐ。が、その途端、鉄骨が熱せられたようにパッと赤く光り、ドロッと溶け落ちたのだった! 

「まさか、レーザーなのか!?」

 

 鉄骨を捨てて走る彼女、ビュンと高く飛び、壁に足をつき再び飛んで、ロボット達を飛び越える。裏を取った! そして素早く巨大なコンクリート片を削り取り、ロボットめがけてぶん投げる。コンクリート片を避け、蟻のように四方に逃げるロボット達。陣形が崩れれば、レーザーは撃てない。味方に当たる可能性があるからだ。

 

 彼女は目で追うのも困難なほど、素早く移動しながらコンクリート片や鉄骨を投げつける。が、決定打にはならない。そして、ひときわ高く飛んだその瞬間、右足をレーザーで打ち抜かれ、転げる落ちたのだった。すかさずロボット達のワイヤーが飛ぶ。両手両足、絡められ、そしてレーザーで切り落とされた!

 

 何か武器がないと、分が悪い!


 再び「うがががっ!」と吠えた彼女は両手両足を再生させ、今度はロボットに向かって走り出す!

 

 直接攻撃に出るのか!?


 ロボット1体を捕まえて、そのアームを掴み、ぶん回し、他のロボットを無茶苦茶に殴りだしたのだ! 何たる怪力か、乱暴に振り回し、距離を取ろうとするロボットを追いかけ粗暴に殴る。


 しかし、何体かのロボットが、振り回される個体もろとも、彼女をレーザーで打ち抜いたのだった。

 

「ばかな、ロボットごと!」


 何度も体を撃ち抜かれ、掴んでいたロボットを落とし、その場で突っ伏してしまった! そしてとうとう、彼女の頸にワイヤーが絡められた。ヒュンと大きなうねりとともに、地面にたたきつけられる。その後瞬時に、肢体全てが切断された。「うがっ」という彼女の、一際大きな呻き声が響いたが──、もう肢体は再生しなかった。


 拘束されるくらいなら、自ら消滅する道を選ぶ。──そんな思考が、僕の心に届いた。


「やめてくれっ! もうやめてくれぇっ!! お願いだから、やめてくれ──」

 僕は心の中で叫び、もう夢中で走り出していた。黒いロボットの何体かは、僕に気がついた様子だが、構わず走った。理由は分からないけど、幸いにも、それらは僕に反応しなかった。


「馬鹿、馬鹿、来るな、来るな、来るな」

 彼女の声が再び脳裏に響いたが、もうそれは痛みもなく、弱弱しいものだった。


「駄目よ、お前、お馬鹿」

「そう、僕は、馬鹿だ。だけど君を失ったら、僕にはなんの意味も無くなるんだ! 君が居たから、君と出会えたから、今の僕が居る。君と出会えたから、僕は生きる道を見出したんだ。居なくなるなら、いっそ──」

「お前──、愛してる」

 

 彼女のその言葉に、もう僕等は助からない、と悟った。


 愛──、


「僕も、君を、愛してる」 

 そう心で言って、覚悟を決めた。もう、これでいいのだ。


 人を愛すること、最愛の人と出逢うということは、──こういうことだと知った。


 もう、それで十分だ。


 黒いロボットをかき分けるようにすり抜け、というかそれらは、僕なんて脅威どころか、眼中に無いという事なのだろうか、無視するように無反応で、彼女に対してだけ構えていた。


 難無く駆け寄り、肢体を失い、血みどろになった彼女を抱きしめた。

「お馬鹿ね──」

 血を吐きながら、絞り出すような彼女の声が、胸に痛い。

「ずっと、一緒だから」


 一緒に死ぬつもりだった。


 キュイキュイとロボットの機械音だけが辺りに響き、それらが僕等ににじり寄ってくるのが分かった。きっとあの鋭い刃物で僕もろとも彼女を貫くのだろう。協力を拒んだ彼女も、秘密を知っている僕も、無かったものとして消去され、闇に葬られるのだろう。

 だが、もういい。こんな世界、そもそも、僕は彼女と出逢う前まで、生きる気力を失っていたのだ。世界が僕を消去するなら、望むところだ、好きにするがいい。そんな世界なら、早かれ遅かれいずれ自滅するだろうさ。だが、僕は真実を知った。人にとって本当に大切なことも、本当に尊いものも、全て知った。それで、いいんだ。


 そして、彼女を抱きしめ、最後を待った。


 が──、


 死を待つ静寂は、その後も、ただただずっと静寂だった。


 ──なぜ?


 顔を上げて振り返ると、ロボット達は赤いランプをチカチカと点滅させ、緑色のレーザーポインターを僕に照射したまま、静止していた。まるで何かを考えるかのように、次の命令を待つかのように。

「な──、なぜ?」

 僕の呟きに、答えたのは彼女だった。

「こ、こいつら、の、こいつらのAIには、人間には、危害を、加えないような、プログラムが、あるのかも、そう、かもしれないわ。おそらく──」

 血を飛ばしながらも、必死に言葉を繋ぐ彼女。僕はハッとして、彼女の頭をささえ、頬や口元を拭った。もう口元を拭う腕もないのだ

「き、君! だ、大丈夫?」

「こ、こいつらの、中継車両を、ぶっ壊しておいて、よかった。今、このロボットは、通信機能を失って、搭載されたAIのみで、スタンドアローン、で作動している。裏に、人間の、奴等の監視はない。だから、人間のお前には、危害を加えないのかも、おそらく。ハッキングも、プラズマも効かない、厄介な奴だったけど、お、お前の、お前のおかげ、助かるかも、だわ、お馬鹿な、お前の──」

 

 助かるっ!?


「じゃあ! 今すぐ逃げよう!」

「だ、駄目よ、手を出さなくとも、こいつらは、追って来るわ、ぶっ壊さないと、こいつらを──」

「どうすれば?」

「お前、入り口に、倒れてた男、分かる? あいつの五指を、持ってきて」

「え? まさか、あの人死んでるの?」

「死んではいない。気絶。早く、その辺の工具かなにかで、手首を切るなり、指を切断するなり、とにかく五指を、持ってきてっ! なんとか、なるかもしれない」

「切断!?」

「時間は無いわ、早く、早くよっ!」

 と、彼女は鮮血を飛ばしながら、言った。

「分かった」

 しかし、この場に彼女を独り置いていくことも出来ない。僕は彼女を抱え、建物を出た。黒いロボット達は、矢張りぞろぞろと静かに僕の後ろを追って来るのだった。倒れている白人男性の傍らにくると、

「そ、そうね、ごめんなさい、そのままでもいいわ、とにかく、この男の五指を、ロボットの頭部か、それか腹部辺りにある、センサー、接触させて、タッチパネル。おそらく、システムを、停止させられる──」

「タッチパネル?」

 まずは男を仰向けにして、腕を持ち上げた。ロボットは僕が近づくと刃物を収め、なんの抵抗もなく、されるがままに沈黙していた。やや重いが、簡単にひっくり返すことができた。よく見ると、足は前後に一本ずつで、車輪がついており、自転車のようだった。よくこんな直線的な二輪構造で静止して立っていられるな、と疑問に思ったが、そんなことはどうでもいい。腹部辺りに男の手の平を接触させると、ブーンと低い音が鳴り、ロボットの頭部にある無数のランプが、赤色から緑色に変わった。

「モードが、切り替わった。後は──、そのパネルか、その付近に、バッテリーがあるはず、それを引きずり出して、本体もろとも、一所にまとめて。全部、焼いてやる」

「わかった。しかし、この男、こんなことしてると意識を戻さないか?」

「大丈夫よ、バイタルサインは、把握してる。それより急いで、通信が途絶えた時点で、後方支援の部隊が、こちらに、向かっているはずだから」

「なっ──」

 バッテリースロットらしきものはロボットの臀部にあったものの、開けるのに数本のボルトを外さなくてはならず、結局それは諦め、モードを切り替えたロボットをそれのワイヤーを使って、全ての個体を一塊に縛り付けることにしたのだった。


「それで、いいわ、もう電磁バリアも、作動しないと思う。お前、私の後ろ側に、少し下がって──」

 と言って、彼女は「うがぁっ」と、痛そうな雄叫びをあげ、右腕を再生させた。

「ほんとは、この男ももろとも、焼いてやりたいけど、お前は嫌なのね」

 そう言って、右手から巨大なプラズマの閃光を放ち、バチッ! という一際大きな音と共に、ロボットを焼いた。


 一瞬の強烈な閃光の後、再び辺りが真っ暗になり、夜空の月だけが煌々と輝く、美しい闇の世界となった。


 街灯も消えている。あの時と同じく、街は全体が停電したのだ。


 それから僕は彼女を抱いて、闇の中を走った。


 とにかく、死を覚悟した危機は脱した。が、今も彼女は狙われている。状況は変わらない。そして、またすぐ別の部隊に見つかるかもしれない。危機はこれからも続く。そして僕自身も、もうただではすまない。だが、とにかく今は部屋に逃げ込もう。もうそれしか考えられなかった。


 彼女は僕に抱かれたまま、目を閉じ、眠っているかのように静かだった。腕や脚の切断面の出血は止まっていたが、もう全て再生させるだけのエネルギーは残っていないのかもしれない。


 部屋に戻ると、とにかく彼女をベッドに寝かせた。すると彼女は目をあけ、悲しそうに微笑んだ。

「どうすればいい?」

 僕は訊いたが、

「どうしようか」

 と、彼女らしからぬ曖昧な返事が返ってきたのだった。

「どうしようって──」

「ありがとうね。お前。私達、まだ一緒にいるわ」

 彼女の瞳から、涙がこぼれた。

「いや、これからも、ずっと一緒だよ!」

「そうね」

 と言って、彼女はほんの少しだけほほ笑んでみせた。ひどく儚いほほ笑み。

「なにか食べれば、肉でしょ? そうすれば──」

「そうね。でも、今は、いいとしても、いずれ、ここにも奴等は来るわ。私が、お前を利用しているのは、もう、知られている」

「でも、なら、逆に、あのロボットを焼いて逃げたとなれば、もうここには居なくて、別のどこか遠くに逃げたと思われない?」

「そうかもしれない。でも、必ず来るわ。ここに私がいれば、もうお前も、ただじゃすまなくなる」

「じゃあ、今すぐに、一緒にどこかに逃げよう!」

「私一人でも、難しかった。この街はそもそも包囲されてるの。また大停電が起きたとなれば、増援部隊だけじゃすまないぐらい、奴等が大挙してやってきてるわ。おそらく──」

「離れたくないんだ」

 

 分かっている。危機を脱しても、やはり僕等は危機のままなのだ。袋小路だということも。


「君が回復したとしても、僕たちに逃げ道はもうない?」

「──そうね、おそらく、悔しいけれど、もうチェックメイト」


 これまでなのか──。 


 絶望、その言葉の恐ろしさを知った。


 だが──、肢体を切断され、血みどろになった彼女を見つめていると、ふと僕に、一つだけ、逃げ切れる可能性が思い浮かんだのだった。僕と彼女とが離れることなく、巧妙に隠れ、奴等を欺く方法を。


「君に、お願いがあるんだ」

「なに?」

「僕も、そして、君も助かる方法が一つだけあるんだ」

「──」

「僕を、食べて欲しい」

 そう言うと、彼女は黙って僕を見つめた。


 僕を丸ごと食べれば、きっと彼女の力は回復し、身体の修復も完了するだろう。そして、僕はこの世界から居なくなり、彼女の精神世界へと取り込まれ、そう、身も心も一つになる。彼女の世界で一つに同化するのだ、永遠に。


「お前──」


 彼女の言いたいことは分かる。一度、もうすでに死を覚悟した僕だけど、改めて考えてもみれば、この世界から居なくなるということは、両親にも、妹の恵にも会えなくなるということ。馬鹿話をするネットの知人やら、学生時代の数少ない旧友、皆ともお別れだ。悲しさ、寂しさ、それだけではない、僕を支えてくれた人達に、申し訳ない。

 

 でも、それでも、人生をかけるべき尊いものを、僕は見つけたのだ。彼女と一つになれるのなら、本望。


 世界が危険な方向に進んでいるのは、馬鹿な僕でも、否が応でも分かってしまう。世界が腐るべくして腐るなら、もうそれでいい。でも、その手管として彼女を利用するなんて、絶対に許せない。


 僕は彼女と逃げる。


 逃げ切って見せる。これは敗北でも自殺でもない。戦略的撤退なのだ。


 自分らしく生きるための。 自分らしい人生のための。 

 

「本気だよ。君に取り込まれて、君と融合したいんだ」

「お前、──本当に、お馬鹿、なんだから」

 彼女は、再び瞳から涙をこぼした。そう言えば、彼女の涙を見たのは、今日が初めてかもしれない。

「僕を取り込めば、君が僕に変化して、DNAレベルで完全に成り済ますことも出来るはず。で、僕はといえば、君の世界の中、君と一緒に生きられる。で、またハム次郎に会えるだろうし、あと、家族に会ってくれれば、君の心に宿っている僕が、間接的にしろ家族に会えるという事にもなるし。全然、平気だよ。寂しくはないさ」

 と、些か冗談めいたことも言って、僕は笑ってみせた。


 彼女はきっと、自分が僕の前に現れなければ、こうはならなかっただろうと考えている。

 でも──、

「君を愛している。君と出会えたから、幸せの本当の意味が分かったんだよ。人を心から愛せるというのは、幸せなことだと知った。だから、今とっても僕は幸せだ。寧ろそれまでが、死人のようだったよ」

 そう言うと、彼女は僕の頬に右手を添えた。

「お前──」

 

 僕は彼女を抱きしめ、目を閉じた。

「さあ、僕を食べてくれ」

「お馬鹿、ずっと一緒よ──、愛してる」

 彼女はわなわなと震え、か細い声で静かに泣いた。そして、そのまま低い呻き声を挙げ──、に変化した。


 そのナニかの触手らしきものに僕は強く掴まれ──、そして右腕からその肩口まで一気に、もぎ取られる様な、食い千切られる感触──、さらには、右脚、膝から下、太ももの付け根、左足──、僕の身体は次々と食い千切られていく。その感触、痛みは感じなかった。寧ろ僕は恍惚となって、何故か、心地がよかった。小学生の頃、夏休みの自由研究でやった昆虫観察、カマキリに捕獲され、生きたまま捕食されるイナゴを思い出した。──とうとう下腹部、胸部ときて、最後に、僕は頭から丸ごと噛みくだかれたのだった。


 その刹那、僕の思考は真っ白になった。この世界から消える。そうあの時、彼女の心と接触したあの時のように、どこかに吸い込まれるような、突き進むような感覚で、真っ白な空間を僕は飛ぶ。


 また、あの草原に出るのだろうか? 僕は最後にそう考えて、そして、意識は消失した──。



 

 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る