終章 | 平成十四年五月 | 雄太郎
終電間際の人もまばらなホームに、下り電車の到着を知らせるアナウンスが響く。レールを軋ませながら入ってくる電車の音に鼓動が高まるのを感じて、雄太郎は大きく息を吸い込んだ。あの日、自分を襲った圧倒的な既視感は、確かに幼い頃の追体験だったのだと思う。記憶が混沌としていて、思い出そうとしても深く靄がかかったみたいに、どうしても像を結ぶことができないが、幼心にも父をめぐって尋常でない出来事が起こったことだけはわかる。
電車を一本やり過ごして、雄太郎は数少ない父親との思い出を脳裏に浮かべてみた。朴訥とした風情の父だったが、傍にいるだけで安心感を与えてくれるような、そんな父親だった。
言葉数が多かったほうではないが、雄太郎の目をじっと見据えて話すのが印象的で、時折、その話の端々には決して幼児に諭すようなことではない、人生訓のようなものが含まれていたのをぼんやり覚えている。
幼い自分にはその内容は理解できなかったが、そういった話のあと、いつも大きな手で頭をくしゃくしゃと撫でてくれるのが嬉しくて、父への思い出には必ずそのシーンが蘇る。
俺は父が好きだった。だから、電車のホームでの忌まわしい記憶を、なかったものとずっと封印してきたのだろう。
あの事件で父が死んだのか、母に訊ねたが、ひどく悲しい言い方で「そうだ」と告げられただけで、その言い方は本当とも嘘とも判別しかねたが、追求されることも頑なに拒んでいるようで、雄太郎はそれ以上聞くことができなかった。
ただ、長い沈黙のあと、母は俺の手を握って、どこか晴れ晴れとした表情でこう言ったのだった。
「あなたの父親は、あなたを心から愛していた。時には母である私が嫉妬するくらい。幼いあなたを子供扱いしないで、対等の男として接するようなところがあったから、もしかしたら、父親という感覚は薄いかもしれないけれど、あの人は、あなたが早く立派な大人になることを心待ちにしてた。口癖のように言っていたの。信念を貫いて、自分の信じる道を堂々と生きろって。今のあなたを見て、きっと自分の人生が意味のあるものだったと喜んでいると思う。あなたのことを誰よりも誇りに思っているわ」
物思いに耽っていると、ふいに肩を叩かれた。田村だった。
なぜあの時気づかなかったのだろう。あらためて向かい合った田村は、思えば父にそっくりだ。頬の傷、大柄な体躯、柔和な眼差し。父はやはり、あの時死んだのだろう。でなければ、母は再婚などしなかったはずだ。田村の出現は、日々の生活に埋没しがちな自分を鼓舞する父からのメッセージだ。悔いのない人生を。両親からの助言というのは、きっとこんなふうに、頃合いを見計らって自分を正しい道へ導いてくれるのだろう。
「一杯、どうだ?」記憶の中の父によく似たその微笑みに、雄太郎は強く頷き返した。
了
レールの果て 智信 @tomonobu
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