バックアップとテセウスの船

西藤有染

病室にて

「よっ、お疲れ。リハビリ、きつそうだったな」


 病室のベッドで横になっていると、幼馴染の「陽司ようじ」が部屋の中に入って来た。


「さっきの、見てたの?」

「おう。見舞いに来たら、ちょうどリハビリ中だって聞いてさ。ほら、リハビリしてる様子を実際に見る機会って中々無いだろ? 折角だからちょっと見てみようと思ってな」

「別に見世物じゃないんだけど」

「わりいわりい、別に面白がるつもりは無かったんだけどさ。しっかし、ただ手摺に掴まって歩くだけでも、あんなに辛いもんなんだな。おまえ、顔真っ赤で汗ダラダラかいてたぞ」

 

 そう言って、そいつはいつも通りの様子でからかってきた。


「うるさいなあ、冷やかしならとっとと帰ってよ」

「そんな怒んなよ。こっちはちゃんと見舞いのつもりで来てるからさ。さっきので大分腹減ったろ? すぐそこでバナナとスポドリ買ってきたけど、いるか?」


 そう言って、手に持っていた手提げ袋を差し出してきた。言われた通り、ちょうど小腹が空いていたから非常にありがたかった。


「ありがと。ちょうどお腹空いてたんだ」


 早速、バナナの皮を剥いて、口一杯にその身を頬張る。疲れた体に、果物の甘さが程良く染み渡り、思わず顔が綻ぶ。

 

「つーか今更だけどよ、普通にもの食ってもいいのか?」

「ああ、内臓の話? 今は普通に食べても大丈夫なんだって。人工臓器の方は大分体に馴染んでるみたい。こまめにバックアップをとっていたおかげだってお医者さんに言われたよ。あとは体の方が動けるようにさえなれば、元通りかな」

「そっか。さっき見た感じだと、見た目は前と変わってなかったから、やっぱり『生体バックアップサービス』ってすげーんだな」

「他人事みたいに言わないでよ。陽司だって加入してるでしょ」

「そうだけどよ、実際にバックアップ使った奴を見るのは初めてだから。改めて実感したっつーか」


 生体バックアップサービス。その名の通り、登録者自身のバックアップを別の人体で用意するサービスだ。病気で輸血や臓器移植が必要になった場合も、事故で体の一部が欠損した場合でも、バックアップ人体を利用する事で、いつでも健康で五体満足な体を復元できるのである。

 バックアップには、iPS細胞から作り出した人工の人体を利用している。一昔前は、人が人を創り出すという行為は、生命倫理的な観点から国際的に禁じられている行為であった。本来であれば、この生体バックアップサービスというものは、普及するまでも無く歴史の闇に葬り去られる筈のものであった。しかし、とある大国の首相が、「あくまで人という生命では無く、臓器や肉体、記憶のバックアップを作っているに過ぎない」という解釈の基、国民に広く推奨し、自らも利用し始めてしまった結果、瞬く間に世界的に広まってしまった。

 今や、この国においても、保険会社の保険のオプションとして当然の様に用意されているまでになった。それは、一部の高所得世帯のみが手を伸ばせるような代物ではなく、特別裕福という訳では無い我が家のような家庭でも、全員が生体バックアップサービスに加入できるようなものだった。

 生体バックアップサービスの加入者は、肉体と記憶をそれぞれ定期的にバックアップする必要がある。期間は特に定められてはいないが、加入の際の説明では週に一度バックアップを取ることを勧められる。バックアップを取る、と言うと、何やら複雑な事をしそうに思えるが、実のところそうでもない。血液と口の中の粘膜を採取し、箱のような装置の中で15分から20分程寝ればそれで終わりだ。最も、その為には、専用の施設に行って少なからぬ時間待機し、さらに料金を支払う必要があるので、推奨期間通りに定期的にバックアップを実施する人はあまり多くないらしい。

 しかし、我が家は、母が極度の心配性の為に、家族全員で推奨されている通りに定期的にバックアップを取っていた。幼馴染の陽司も、家族ぐるみで付き合いがあるので、よく一緒にバックアップを取りに行っている。

 だから、今回、事故で体が半分無くなっても、バックアップ人体を元に、問題無く再生する事ができた。今の体は、右腕とみぞおちから下の部分が、事故の2日前にバックアップをとった人工人体によって構成されている。

 こまめにバックアップを取っておくと、人工の肉体はすぐに元の体に馴染むらしく、定期的なバックアップが推奨されているのはその為だ。逆に、長い間バックアップをとっていないと、移植しても体に馴染まずに拒絶反応を起こす事もあるらしい。普段は口煩く思いがちだった母の心配性に対して、この時ばかりは素直に感謝した。


「内臓の方は問題無さそうって言ったけど、体の方はまだ掛かりそうなのか?」 

「足とか手は結構時間が掛かるみたい。根気良くリハビリを続けないといけないって言われたよ」


 まだ思うように動かない右腕を不器用に振りながら答えると、あいつは、そっか、と言って、そのまま口を噤んだ。それを見計らって、こちらが口を開いた。


「あのさ、」 

「なんだよ、急に?」


 陽司には、どうしても聞いておきたい事があった。


「……テセウスの船って知ってる?」


 違う。


「はあ? 知ってるに決まってるだろ。生体バックアップサービスに加入する時に必ず説明されるんだからよ。なんだ、もしかして今更不安になったのか? 『自分は本当に自分なのか?』って」

「やっぱり自分が当事者になると、不安になっちゃうんだよ。自分の体の半分以上が、バックアップ素体と置き換えられた状態でも、それでも元通りって言えるのかなって」


 違う。聞きたいのはそれじゃない。本当に聞きたいのは。  


 ――なんであの日、僕を突き落としたの?


 しかし、例えそれをこいつに尋ねたとして、答えが返ってくることは決して無い。この「陽司」は、僕を線路に突き飛ばした事を知らないのだから。


 僕が事故に遭ったあの日、僕は陽司に告白した。

 幼馴染で、家族ぐるみの付き合いがあった僕らは、当然のように仲良くなり、大学に上がった今でも親友と呼べるような付き合いをしていた。そんな長い付き合いの中で、いつの間にか、僕の中には陽司に対する恋心が芽生えていた。同性の恋愛なんて世間一般に到底受け容れられる筈も無く、この気持ちは誰にも言わずに墓まで持って行くつもりだった。

 しかし、あの日。大学から帰る途中に、ふと気づけば思いが口から溢れていた。しまった、と思った時にはもう遅かった。あいつは、今まで見たことも無いような悲痛な表情で、ごめん、とだけ伝えて来た。その顔を見て、ああ、言ってしまわなければ良かった、と後悔した。自分の気持ちが受け容れられなかった事よりも、今までの関係を壊してしまったような気がして、それに対して大きなショックを受けた。そこからはうろ覚えの記憶しか無い。

 気がついたら、大学の最寄り駅のホームに立っていて、陽司に線路へと突き落とされていた。正確には、あいつは僕を突き飛ばして、自分も一緒に飛び降りてきた。そして、陽司がごめんと呟いた直後、ホームを電車が通過した。

 運良く僕は生き延びる事が出来たが、陽司は恐らく即死だったと思われる。もし、生き延びる事ができていたとしたら、今頃は僕と一緒に入院している筈だ。そうならずに、こうして五体満足でお見舞いに来ているのは何故なのか。誰かから聞いた訳ではないが、事故の当事者だからこそ、確信を持って言える。


 お見舞いに来ているこの男は、陽司のバックアップなのだろう。


 生体バックアップサービスでは、万が一対象者が死亡してしまった場合、バックアップ素体に生命を吹き込む。バックアップが、そのままオリジナルとして成り代わるのだ。その場合は、元の体と馴染ませる必要も無いので、すぐに動き出せるようになるらしい。

 だから、今、目の前にいるこいつは、僕と同じ日にとられた陽司のバックアップを基に作られた存在だ。しかし彼は、自分がバックアップである事を知らないのだろう。

 バックアップ素体がオリジナルとして蘇生された場合、その事実は本人や周囲の人間に対して、徹底的に隠蔽される。自分がコピーであると知らされた場合、アイデンティティが崩壊し、犯罪に手を染めたり、自殺を謀ったりと、最悪な結果に結び付く可能性があるからだ。逆に、自分がコピーである事を知らなければ、記憶がほんの数日抜けるだけで、全く違和感無く本人として「生き返る」事ができる。現に、目の前にいるこいつも、自分の現状に全く疑問を抱いていないようだった。事実上は、「陽司」は死んでいないのだ。 


 そんなこちらの考えにも気付かないままに、「陽司」は口を開いた。


「どっかで聞いたんだけど、人間は10年経つと全ての細胞が入れ替わるんだとさ。それがちょっと早まったって考えればいいんじゃねえかな。だから、バックアップを使ったって、お前はお前だ。そこは、深く考え過ぎんなよ」


 そう言ってこいつは笑った。いつもどおりの、全くもって陽司らしい考えと表情だった。しかし、それは、僕が告白し、僕を突き飛ばした陽司ではない。その事をこいつは知らない。


 こいつは、本当に陽司なのだろうか。

 

 そう思いつつも、「陽司」の存在に対して心のどこかで安心してる自分がいた。この「陽司」は、僕の陽司に対する気持ちを知らない。だから、僕が、自分の気持ちをもっと強固な檻の中に封じ込めてしまえば、また以前と変わらない付き合いが出来るのだ。


 あの日、もう元のようには戻れないと思った関係に、またこうして戻る事が出来る。それはこれ以上ない幸運な出来事だと言えるだろう。例え、それがバックアップだったとしても、陽司としての本質は変わっていない。

 だから、僕は一生、この「陽司」と親友として付き合っていこう。



 


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