起床、或いは登校
翌日。残念な事に今日も今日とて学校である。一週が七日、その内最後二日が休みとされているのだが、今日はその内の二日目。つまり後三日は精力的に学校へと通い続けなければならない計算になる。
この日程の設定自体、俺には欠陥があるように思える。一週が七日もあるというのに、なぜその内の五日も動かなければならないのか。比率的に考えるのであれば、四日働いて三日休みの方が丁度いいだろうに。これも恐らく、人間をより働かせようとする神の陰謀だろう。うん、きっとそうに違いない。
「…………寝よ」
深い熟考の末、俺は半身を起こしたベッドに再び倒れこむ。やはり毛布はいい。柔らかいし、気持ちいいし、何より暖かい。寝ている間なら嫌な事や将来への不安全てを吹き飛ばしてくれる。これはもう、合法麻薬の一種だと言っても過言ではないだろう。
いざ行かん、夢の世界へと二度寝特有の眠気が俺のことを包み込んでくれる。が、拾う神あれば捨てる神あり。残念ながら現実はそこまで甘くなかった。
「おーいギルメルくぅーん!! あっさだよぉー!!」
来た。来てしまった。悪魔のアイツが来てしまった。ああ、窓に、窓に!
これはもう見てしまったら負けである。何故朝から来ているのか、というか何故窓側から声がするのか、そもそもお前は本当に男子なのか。突っ込みたい所は山ほどあるが、今だけはその全てを封印する。そして、このまま夢の世界へとフライアウェイするんだ。
毛布を頭まで掛けると、そこは光と音の無き世界。仄暗き安寧がゆったりと全身を包み込む。ああ、これだこれ。これこそ俺が望んでいた世界──
「んー? また寝たふり? ギルメルくんは寝たふりが本当に得意だねぇ……でもでも、ボクにかかればこのくらいの窓なんて、ほうらちょちょいのちょいと……」
聞こえない。俺は何も聞こえない。だから窓から響くカチカチカタカタという不穏な音も全て聞こえない。そう、気のせいなんだ。
というかそもそも、原理的に考えて窓をピッキング出来るはずがない。あれは鍵という複雑な仕組みがあるから出来る訳で、窓のような原始的な仕組みの物であればピッキングする余地は無いはず……。
「はい、これで終わり! 改めておはよー! 愛しのミハイルくんが遊びに来ましたよー!!」
ガラッ、という窓が開く音と同時に、くぐもった彼の声がクリアに響く。その瞬間、俺は思い切りベッドから跳ね起きた。
「何堂々と不法侵入してるんだお前はー!!」
「ぬわーーっ!!?」
毛布を投げ付け視界を塞ぎ、動きが止まった所を蹴飛ばして窓の外へと突き落とす。一連のコンボが鮮やかに決まると、奴は最期の言葉になりそうな悲鳴を上げながら落ちていった。
とはいえここは二階、それに下には植え込みもある。そう簡単に死にはしないだろう……実に残念だ。
「あ、危ない……!! 今のは本当に危なかったよギルメルくん……!! 窓の庇ひさしに掴まらなかったら危うく頭から落ちる所だった……」
「チッ……怖い思いをさせて悪かったな。次は苦しまないようにする」
「それ遠回しに殺そうとしてるよね? しかも最初に舌打ち入ってるし! 絶対あわよくば殺そうとか考えてるじゃん! 死ねって言った方が死ぬんだぞ!」
「は? 人に死ねとか殺すとか軽々しく言ってんじゃねぇぶっ殺すぞ」
「え? ご、ごめん……って、最後殺すって言ってる! すごい速度の一行矛盾!」
何故か這い上がって来てしまったミハイルが窓からのそりと入ってくる。いや、だからそれ不法侵入だからね?
「朝からこんな下らん会話にエネルギー使いたくないんだが。寝かせろ」
「何を言ってるのさ、朝こそ動かないと! というかこれから学校なんだから、早くキミも着替えないと」
「いいんだよ別に。俺はもう寝るって決めたんだ。後は野となれ山となれ、授業なぞ知ったことか」
「いやダメだって……ここ寮なんだから、誰か呼びに来ちゃうでしょ」
「チッ……やっぱりか」
確かにこいつのいう通り、寮である以上引き篭もるにも限界はある。後々これを聞きつけた学院長辺りに襲われるならば、先に行っておいてやるのが賢いというものだろう。
渋々と起き上がり、椅子の背もたれに掛けられていた制服を引っ掴む。手早く準備を整えると、さっさと寝癖だけ直しながら部屋の外へ出た。
「……あれ? ちょっと、置いてかないでよー!!」
やはりコイツはうるさい。だが振り払うのも段々面倒になってきたので、そのまま放置しておくことにする。
……いや、もしかしたらこれが奴の思う壺なのかもしれない。
◆◇◆
学生寮は男子と女子で分けられており、それぞれの通学路は途中で大通りへと合流する。その合流地点の辺りでは時たま仲のいい男女の睦言や胸焼けのする光景が繰り広げられることもあり、多くのモテない男子による僻みが集中する場でもある。あー、あそこ中心にして爆発事故が起こればいいのに。
入学早々という時期も手伝い、新入生の初々しさが場を支配する中、俺とミハイルは堂々と道を突き進む。中には待ち合わせなんて洒落た青春を送る者もいるが、まあ友人のいない俺には関係ない話だ。
……友人がいない奴は待ち合わせをしないというのであれば、もしやミハイルは……いや、何も言うまい。こういう立場の張本人からすると、同情の目線が一番胸に来たりするものだ。何も言うことなく頭かぶりを振る。
「……そのちょっと優しさに満ちた視線は何なのさ。もしや、また変なこと考えてるんじゃないだろうね」
チッ、ミハイルの癖に勘が良い。折角のぼっち仲間に加えてやろうと思ったが、この話はナシだ。
と、人だかりの中でも一際大きい人だかりが出来ている。こうして人が集まっているということは、大抵の場合において間違い無く……
「あ、フィールリンク=バエルさんだ。いやー、今日もやっぱり綺麗だねぇー……ま、ボクも負けてないけど」
「お前男じゃねぇのかよ」
なぜ美しさで張り合おうとするのか。確かにこいつの風貌はスカートも相まって男とはとても思えないが、あの女は良いところの淑女。女らしさというものにはより磨きが掛かっているだろう。そんな奴と張り合おうということ自体無理がある。
不満気に頬を膨らませるミハイルはさておき。それにしてもこの人だかりはどうした事か。有名人に集る事自体は理解出来るが、その有名人は一体なぜここに留まっているのか。
もしや待ち合わせか? だとすればその待ち合わせ相手は地獄だろうな。この人混みの中かき分けて入っていくのも一苦労な上、この衆目からのプレッシャーは尋常ではない事だろう。俺だったら諦めて寮に帰って引きこもってる。
……ん? またなんかアイツと視線が合ったような。いや、まさかな……。
「……あ、あれ? なんか、フィールリンクさんこっちに来てない?」
ミハイルの言葉の通り、笑顔を浮かべてこっちに向かって来ているような気がする。いや、気の所為じゃない。確かに近付いてきている!
あの笑顔は純粋な喜びじゃない。言うなれば歓喜、それも捕食者の目だ。彼女の目的が碌なものじゃないというのは明らかである。
やはり意地でも引き篭もるべきだった。ギリギリまで自分の勘違いという可能性に賭け、極力知らない人のフリをしてみるが、ズンズンと突き進むフィールリンクの足は残念ながら俺の目の前で止まった。
「御機嫌ようアンドラス君。調子はいかがかしら?」
「……たった今最悪に落ちた所ですよお嬢様」
人混みに広がるどよめきの中、俺の目は輝きを失っていくのであった。出来れば知らない人のフリで通して欲しかったのだが。
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