会話、或いは友誼




翌日。仮にもエリート校として名を馳せているマギウス・ノースト学院は、授業が始まるのも早い。入学式の翌日だというのに、早くも講義が行われるのである。だるい、眠い、辛いと三拍子揃った時間割は不良生徒代表である俺の身に染みる。


昨日よりも重くなったカバンを自身の机に放り、そのままどっかと気怠い体を投げ出す。いつも通りの狸寝入り体勢だ。最早これも手馴れたもので、最近は本当に寝ているのか区別がつかないともっぱらの噂である。まあ、そもそも噂を聞けるような知人もいない訳だが。


教室は今日も今日とて変わらず、生徒の会話が酷く騒がしい。特に先日のあの取り巻き達。一人一人の声はそれ程ではなくとも、集まれば集まる程喧しくなってくる。女三人寄れば姦しいなどとは言うが、この場にいれば集まれば騒がしくなるのは女に限った話でもないと実感できるだろう。


まあそれだけだ。話題にする程の事でもない。特に興味のある話がある訳でもなし、このまま授業が始まるまたまた本当に寝ていようか……



「やあ失礼、キミが噂の『魔盲』君? ボクの情報が間違ってなければ、確かその筈なんだけど」



……また面倒な奴が来た様だ。ここで顔を上げたら負けだと判断し、寝たふりを続行する。声色からして敵意は感じられないが、それ以上に好奇心の色が感じられるのが最悪だ。経験則からしてこれはある意味敵意以上に面倒臭く、関わってはいけない人種である。



「あれ? 本気で寝ちゃったのかなー? うーん、でもまさか来て早々眠るなんて芸当無理だしなぁ……あ、分かった! それ、狸寝入りでしょ? ね? ね? 当たってるよね?」



うぜぇ。思わず口から出そうになる言葉を辛うじて呑み込み、構わず寝たふりを続ける。無視だ無視、無視が一番相手に効く……



「あれー、無視ですかー? もう、せっかくの同級生なんですから仲良くしましょうよ! ほれほれ、ほれほれほれー」



ゆさゆさ。ゆさゆさ。ゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさ…………



「……うぜぇ……」


「あ! やーっと答えてくれた! キミが話題のギルメル=アンドラスくんだよね? ボクの名前はミハイル=オロバス! 良ければ仲良くして欲しいんだけど……」



誰が仲良くなるか、という意思も込めて再び机に突っ伏す。初対面の印象を悪くしておけば、それ以降はそうそう話しかけられることはない。暴言を吐いてから無視を続ければ、さしもの聖人でもすごすごと去っていく事だろう。まさに作戦通り。


ちなみにこの作戦、唯一の弱点として周囲からの評判が最低値に落ちるというのがある。まあ……些細な事だ。



「あれ? また無視されちゃった……うーん、昨日のウァフォレル先輩の件について聞きたい事があったんだけど……」


「……お前、何を知ってやがる」


「あ、ようやく話してくれる気になったー?」



ボソリと俺の耳元に届くか届かないかという程度の声量で呟かれた言葉。だがそれは到底聞き流せるものではなく、少し顔を上げてミハイルとやらを睨みつける。


ややボーイッシュな雰囲気を漂わせたショートヘアの少女。特筆すべきほどの特徴は無いが、それがかえって油断ならない。知るはずのない情報を、一体何故彼女が知っているのか。



「改めて自己紹介! ボクの名前はミハイル=オロバス、好きな事は情報収集! 将来の夢は世界を牛耳る情報屋になる事! これから少なくとも三年間、宜しく頼むよ!」


「お前の基礎情報なんてどうでもいい。さっさと情報源を吐け。それ以上の事は興味も無い」


「えーっ、ボクのプライベートは今のところ最高の価値があるっていうのに……ま、仮にも情報屋気取ってるです。情報源はそう易々と吐くわけにいきません!」



でも、と彼女は続ける。



「ボクが聞いたのは『ウァフォレル先輩達がやけに不機嫌だった』っていうのと『話題の魔盲が連れていかれるのを見た』って情報だけ。初めはただのカツアゲかなって思ったんだけど、その様子だと退っ引きならない何かがあったみたいだね?」


「……チッ、狸が」


「褒めてくれてありがとう! これからも頑張るよ!」


「誰も褒めてねぇよ」



見事にカマをかけられた、という事だ。あまり気分は良くないが、いざ自身にそれをやられると腹が立つというより呆れの方が先行する。思わず溜息が漏れ、追い払うように手をヒラヒラさせる。



「別に話す義理はねぇ。詮索したいならそのウァフォレルとやらの所に行きな」


「無理無理無理、無理ですよぅ! ボクだって情報を手に入れる時にはリスクリターンを考えるんだ。もっと大きい特ダネを掴まないと、この乙女の体が汚されちゃう!」


「そりゃ良い薬だ。悪戯ばかりの子狸には丁度いいだろうよ」


「ひ、酷い!? ボクの純情を鼻で笑うなんて!? この、このこのー!」



やめろ、机を揺らすな、腕を叩くな。痛い。何が痛いってクラス中からの奇異の視線が痛い。なんでアイツが、っていう視線が死ぬほど痛い。お願いだからあまり絡まないで欲しい。友達だと思われる。



「……というかキミ、結構喋るんだね? なんか言動がぼっちって感じしてたから、あんまり人慣れしてないのかと思ってたけど」


「話す機会が無いだけだ。話す事に臆してるわけじゃない」


「それってつまりぼっちなんじゃ……ま、そっちの方が情報引き出しやすかったんだろうけどなー。そしたらボクのい・ろ・じ・か・け♡であれよあれよと赤裸々に語らせて……」


「色仕掛け? お前が?」



頭の先から爪先まで、ざっと睨め付ける。結論、貧相。思わず鼻から笑いが漏れた。



「むー、またバカにした!!」


「いや、バカにはしていない。ただお前の子供のような夢物語が微笑ましくなっただけだ」


「ぬ、ぬぐぐぐぐ……フン! 別にいいもん! きっとそのうちコロコロあっちこっちで籠絡出来るようになるんだから! 後悔しても遅いんだからね!」


「そうか、その日が来るといいな」



いい加減やり取りが若干面倒臭くなってきた所で、ようやく始業のチャイムが鳴り響いた。教師であるマリア先生は未だ来ていないが、生徒達は次々と自らの席へ戻っていく。その辺りの躾は貴族としてきっちり仕込まれているようだ。


視線でさっさと帰るように促すと、ミハイルは不満げに頬を膨らませる。



「む、まだ喋り足りないなぁ。結構ギルメルとの会話楽しかったんだけど……次は昼休みにでもまた来るよ!」


「いい、来るな。飯が不味くなる」


「ひ、酷すぎる! 嫌って言っても行くからね! 覚悟しててよ!」



そう言って席に戻ろうとするミハイル。しかし途中で何を思い出したのか俺の耳元に近寄ると、コソコソとした声で呟いた。



「……そうだ、お近づきの印に一つだけいい事教えてあげるよ。実はボク……」



チラリ、と襟に指を掛け、その奥の空間を開く。流石に堂々と見るわけにはいかないと目線を逸らすも、耳に入ってきたのは衝撃の言葉だった。



「……男の子、なんだ♪」


「は?」



反射的に彼女……いや、の方を見てしまう。襟の奥に広がるのは、真っ黒な深淵の空間。僅かに差し込む光を頼りに見てみれば、何処と無く真っ平らのような……。


呆気にとられた俺の表情に満足したのか、ミハイルは満面の笑顔で席から離れていく。彼が去った後も、俺の頭は認識の齟齬に混乱を起こしていた。



(……クソ、また一杯食わされた!!)



だが、そんな事を考えていたから気付かなかったのだろう。俺の背中へ、ジッととある人物の視線が向けられていた事に。そして、それが次なるトラブルへの引き金となる事に。

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