遭遇、或いは邂逅





教師の長いレクリエーションが終わり、終業のチャイムが鳴り響く。あちこちから胡乱な視線を向けられたままだが、構わず立ち上がり薄っぺらな鞄を握った。


居心地の悪さばかりは実力で如何ともし難く、故に俺はそそくさと教室を後にする事でどうにかその場を切り抜けた。うん、切り抜けてないねこれ。逃げただけだね。


とはいえ逃げる事も時には大事である。野生の本能として逃避が搭載されているのだから、不利な状況から徹底的に逃げるというのは実に合理的だ。だから俺の行いも間違ったものではないだろう。うん。


それに、この学院内において俺の悪評は既に広まり切っているであろう現状で、奇異や侮蔑の視線が無遠慮に向けられる事は避けられない上に、正直に言えばもう慣れたもので今更陰口の一つや二つで凹むような柔な精神はしていない。


廊下を歩くだけでも遠巻きに俺を見て囁く声が聞こえてくる。その一つ一つに耳を傾けるのも無駄である為気にも留めないが、常人ならまさに針の筵だろう。こんな状況にわざわざ人を放り込もうとする奴はきっと鬼か悪魔の類だ。もしくは人の嫌がる顔を見て悦ぶような倒錯趣味の狂った人間。


……まあ、俺はこれからその張本人に出会いに行かなければならない訳だが。全くもって気が滅入る。いや、今からでも遅くはない。帰ろう。まだ今なら逃げ切れる筈だ。その場合はあの幸薄そうな教師が叱責を受けるわけだが、俺も人間。ここは汚い部分を全力で発揮させて頂いて、彼女には犠牲となってもらおう。うん、そうしよう。


心の中で折り合いをつけ、踵を返そうとしたその時だった。俺の背中に声が掛けられたのは。



「あ、アンドラスくーん!! こっち、こっちですよ〜!!」



大声を上げてパタパタと駆け寄ってくるマリア先生。とびっきりのバッドタイミングに思わず頭を抱えるが、逃げる訳にもいかずそのまま立ち止まる。



「はぁ、はぁ……せ、先生道を教えるのを忘れてて、慌てて探し回っちゃってたんです。でも良かった、学院長室の場所知ってたんですね! こんなに焦っちゃって、私バカみたいです」


「いえ、そんな場所知りません。適当に歩いてただけで疲れちゃったんで帰っていいですか?」


「え、えええ!!!? な、何でですかぁ!!?」



おっと、思わず本音が漏れてしまった。それにしてもこのリアクションの良さ、中々にからかいがいのある人である。



「いやー、ここまで歩かされちゃうと流石の僕も疲労が凄くてですね。これはもう今すぐ帰って休憩を取らないと実質体罰になっちゃうんじゃないかなーと思う訳ですよ」


「ふぇ、そそそんな横暴なぁ……確かに案内しなかった自分も悪かったですけど、もう目と鼻の先なんですからお願いです!」


「そう言われましても……本来出向いてもらう所をわざわざ出向こうっていうんですからなにがしかの誠意ってものをですね……」


「ほう? そんなに誠意が欲しいか」


「ええ、あんな悪魔の巣窟に飛び込もうって言うんですからこっちもそれなりの見返りって物が無いとこっちもやる気が出ない……って」



何かおかしい。そう思った次の瞬間、ガシリと俺の右腕が掴まれた。



「ならばくれてやろう。私が特大のという奴を、な」


「……すいません。やっぱ誠意とか要らないんで離してくれませんか? この腕」


「何、遠慮はするな。好きなだけくれてやる……セイッ!!」


「それセイ違いあたたたたたたたたたた!!!!」



瞬間、捻られた腕に激痛が走る。それもただの捻りではない。まるでキャップを回すように捩じられ、その上からしがみつく事で完全に腕の位置を固定されているのである。


痛みに喘ぎながら横を見ると、そこには腕に抱きついている見た目幼女の悪鬼羅刹がいた。



「ぐ……なんで、ここにいるんだサリエル……」


「なんで、とはご挨拶だな。仮にも学院長の身、生徒に異常がないか見回ることは当然だろう?」



サリエル=ディアボロス。この学院の長にして、国一番の資産家ディアボロス家の若き当主。そして何より、俺をこの学院に放り込んだ張本人である。


実年齢は当主としては異例の三十代。しかし容姿はそれ以上に若く、十代前半の幼女体型を地で行っている。美魔女ならぬ美幼女、これで一切の加工を行っていないというのだから驚きである。実際俺も最初出会った時ナチュラルに子供に接する態度でいってしまった。


しかしそれ以上にヤバイのがその本性。一度こちらが何か要求しようものなら、その要求を倍にして恩を売って来るのが彼女の常套手段であり、それ故に身を崩した者は数知れず(俺調べ)。かくいう俺もその恩を売られた当人の一人であり、それが原因となってこんな場所にいなければならないのである。



「マリア先生。このようなクソガキに騙されないようにと再三忠告しましたよね? こういった輩はああだこうだと屁理屈をつけて自身を正当化しようとするもの。どうしようもなくなったのなら、このように身体に覚えさせるのです。二度と逆らう気が起きないように」


「ハッ、良く言うぜこの守銭奴が。この状況を側から見れば、体罰と無い胸を押し付けるセクハラのダブル……あたたたたたた!!!」


「そう、このように痛みで覚えさせれば減らず口もすぐさま馬鹿の一つ覚えのような単語しか出なくなります。これをパブロフの犬となるまで続ければ、立派に一流の教師となれるでしょう」


「は、はわわわわわ……」



苦しむ生徒に、一見すればその体を恋人のように押し付ける外見幼女。そしてそれを見てあたふたとする新米教師。大方の生徒が出払った時間帯だから良いようなものの、側から見ればカオスもいいところだ。というか実際何人かに見られた気もする。切ない。


と、急に腕が離され、俺は思い切りバランスを崩す。どうにかたたらを踏んで体勢を整え、恨みを込めた視線をサリエルに向けてやるが当の本人はどこ吹く風だ。きっと幾多もの似たような感情を向けられたことがあるのだろう。実にクズである。



「まあ、大した要件でも無い故、学院長室への連行は許してやろう。先生、こいつに治癒の魔術を」


「あ、はい!」



──《低級治癒レッサーヒリング



俺の腕に緑の光が──治癒の魔術が降りかかる。次の瞬間、全身をが駆け抜けた。


ゾワリと逆立つ気味の悪い感覚。思わず俺はマリア先生の手をパシリと払い除けてしまった。



「え」


「──あ、いや、これは……」



どう言い訳をしようか。焦る視界の端で、当のサリエルがにやにやとした笑みを浮かべているのが見えた。


確信犯か。こうして言い逃れが出来ない状況に持って行こうとする所は本当に質が悪い。先程までの冗談とは違う、本気の苛立ちを舌打ちとともにぶつける。



「ハッハッハ、そう怒るな。いずれ悟られる事、ならば早々に知られていた方が気が楽というものだろう?」


「余計な世話だ性悪女。あんたには恩も借りもあるが、それとこれとは別の話だろ。態々人の欠点を言いふらすなんざ趣味が悪いとしか言えないな」


「そういうお前は随分と嘘を吐くんだなギルメル? それを欠点などとは毛ほども思っていないだろうに」



やはり見透かされている。言った覚えもない本心が彼女の口から告げられるというのは流石に気分が悪い。



「えっと……これは、つまり?」


「ああ、まあ結論から言えば、彼は魔術が大の嫌いだという事ですよ。それも触れることすら嫌がる、ね」


「え? でもそれっておかしいじゃないですか。ここは魔術学院ですよ? 普通そうだったら入ってこないんじゃ?」


「ま、その辺りには色々と深い事情が混み合っているという事ですよ。フフ……」



意味ありげな流し目を向けてくるサリエル。これが彼女の一番厄介な点。行動の僅かな機微からある程度の感情を読み取り、その裏にある真実を暴こうとする癖である。


未知を知り、自らの手中に収まるまで留まろうとしない……その一点において、彼女はに本当にそっくりだ。



「……んじゃ、俺先に帰らせてもらうんで。学費の件、宜しく頼みましたよ」


「ふ、当然だ。我がディアボロス家、契約だけはあやまたずが理念だからな。働きに応じた正当な報酬は確約しよう……そうそう。その銃だが、たまの休みにはメンテナンスに来い。そのくらいのアフターサービスはしてやる」


「はぁ? 何だよ、今度は何企んでやがる」


「今回に限っては他意はない。単に我が家の家宝を持たせているのだから、その銘に傷が付く事があってはならないというだけの話さ」


「……そうかよ」



これ以上話す事も特にはない。今日一日で疲れ切った体を休める為、早々にその場を後にする。


──既に痛みも無くなった右腕を後ろ手に振りながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る