教室、或いは奇異の視線




マギウス・ノースト学院。正確には王国立魔導教学院北方館という正式名称があるが、長い上に分かりづらいので誰しもが略称である前者の名前を使う。


魔術に対して興味は無いが、世間の潮流として貴族の子息は総じて入学する事が半ば義務付けられている。それは魔術が使えない落ちこぼれの自分、ギルメル=アンドラスにしても例外ではないらしく、滅多に自分へ目をかけない両親が態々送り出してきた程だ。恐らく世間体とやらを気にしているのだろう。


とはいえ気心の知れた相手がいる訳でも無し、魔術に掛ける情熱も無い自分には学院においての教育など無用の長物。貴族用にマナーの講座などもあるらしいが、将来的に自分が貴族として公式の場に出ることは無いだろう。何せ『魔盲』の身だ。おそらく両親は自分を家族であるという認識すら持っていない。


強いて言えば一般教養の類は役に立つだろうか。いずれ放逐される運命、その為に生きていく手段はいくらあっても困らない。算術辺りは特に役立つだろうか……。


始業のチャイムが鳴り響く中、俺は突っ伏していた机から顔を上げる。入学初日からコミュニケーションを取らなくていいのか、という疑問もあるだろうが、そもそも俺の立場では誰かと会話を交わすことすら難しいだろう。『アンドラス家の落ちこぼれ』の話は貴族界の中では十分に広がっている。


辺りを見回すと、既にいくつかのグループが固まっているのかやいのやいのと姦しく会話が響いている。家同士の繋がりも意識される貴族間では、既に顔見知りという状況も珍しくないのだろう。そういった外交関連は、全て妹が担っていたので俺はよく分からないが。


そんな中でも一際大きいグループが教室の一角を占めていた。男も女も分け隔てないグループが、一人の机を中心に囲んでいる。入学早々お盛んな事で、と思いながらチラリと覗くとどうやら二人の女子が中心となっている様だ。無愛想に足を組んで瞑目する金髪と、周りから飛び込む質問を全て笑顔で捌いている銀髪。全く対照的な二人ではあるが、意外と相性は良いのだろうか。



「バエル家のお両方におきましてはご機嫌麗しゅう……私アイニ家の息女、ファリスと申します。この長くなるであろう学園生活が最良のものになる事を願っておりますわ」


「ちょ、狡いぞ! 自己紹介は後の時間にやる事だ! 今はお二人の話を聞く時間だろう!」


「今紹介したところでお二人の覚えが良くなる訳じゃないだろう。淑女ならば少しは慎め」



バエル家。それはこの国、ソフィリア新王国における序列第一位の貴族である。飛び交う会話を聞くに、どうやら中心の二人はその一族の者のようだ。


恐らくこの様子を見るに有名なのだろうが、社交界に縁のない自分には知る由もない。ただ一つ思うのは、あれだけの人数に囲まれれば流石に面倒だろうという事。大家族の子息というのも存外に楽ではないのだなとせいぜい思いを馳せる位である。


ふと、人混みの間を掻い潜って、中心にいる金髪の少女と目が合った。


気の強そうな表情とは裏腹に、サファイアのように碧く透き通る瞳。正面から見据えられるのは少々予想外だった。気まずくなった俺は、慌てて視線を逸らす。


その瞬間、タイミング良く教室に一人の女性が慌ただしく入って来た。腕にいくつもの資料を抱え、バタバタと教壇に向かっている。あ、顔面から転んだ。


唐突に転べば当然衆目を集める事になる訳で、自分に留まらず教室中の視線がその女性に向けられる。



「いたっ!? う、ううう……遅刻すると思って焦り過ぎました……これでまさかまさかの本日三回目です……」



流石に不安過ぎるか、もしくは緊張しい過ぎでは無いだろうか。教壇と扉の間に段差がある訳でもなし、つまるところ彼女は何も無い場所で転んだ訳だが、それを三回も立て続けというのはいくらなんでも多過ぎる。


もしかしたら、いや、もしかしなくても彼女がこのクラスの担任なのだろうが、この先一年が早速不安になってきた。何にしても変な面倒ごとだけは避けたいものである。



「はっ!? あわわ、す、すいませーん! 私、この一年Bクラスに配属される事になったマリアと申します! 色々と困る事もあるでしょうが、何でも聞いてください!」



噛んだ。大事な自己紹介の最後に噛んでしまった。当然教室中は大笑いの渦となり、彼女は顔を真っ赤にしてあわあわと焦ってしまう。この教師、もしや新任ではなかろうか。まあ俺としては基礎的な事項さえ教えて頂ければ問題は無いのだが、果たして最高位の貴族がいるクラスに放り込むにしては適切な人材だったのだろうか。


特に笑う理由もなく、寧ろ早く終わって欲しい、というか今日の晩飯を考えなければと取り留めもない事を考えていた俺は、少しばかり面倒になり再び机に突っ伏す。


こういった全体のノリだとか、勢いに流される事が苦手だった。そんな事をしてしまうと、自分というアイデンティティまで流されてしまうと心の何処かで思っていたから。


幸いにして『友人』と呼べる者は幾人か出来た事もあるが、未だこういった騒がしい場は苦手だ。いや、ただ自分が笑えるような行為でもなかった、というのは勿論関係しているだろうが。


……とまあ、そんな下らない事ばかり考えていたからだろうか。季節は春で、おまけに俺の席は窓際の昼下がり。つまり麗らかな陽光が一切の容赦なく自分へと降りかかる訳で、その温もりはズルズルと俺の事を眠気の沼へと引きずり込んでくる。


いつしか寝たふり寝たふりと唱えていた心の声は何処へやら、眠い眠い、多分昨日夜更かししたせいだと次第に心の中で自分に言い訳を始め、終いには真っ暗闇の中へと──



「──くん、アンドラスくん! 起きて、起きて下さーい!!」


「っ、のわっ!?」



耳元で響く甲高い声に、思わず跳び上がる。キーンと響く耳を抑えながら慌てて振り向くと、そこには間近に迫ったマリア先生の顔が。


寝起きに美人の顔というのは些か以上にインパクトが強く、仰け反りそうになる体を必死に押さえつけ元の体勢へと戻る。


近い近い、もっと適切な距離を保って欲しい。生徒のパーソナルスペースを尊重しろ、具体的には三メートルくらい。などという俺の心中は一切届かないらしく、目と目が触れ合いそうなその距離を保ったまま言葉を続けた。



「ご、ごめんね? 幸せそうに寝ているアンドラスくんを起こすのは先生としても忍びなかったんだけど、私も伝えなきゃいけない事があって、それに時間も押してるし、先生ちょっと不器用だから、それでそれで……」


「わ、分かりました。分かりましたから落ち着いて離れて下さい。近過ぎです」


「はっ! わ、私嫁入りもまだなのになんて事を……はわわ、男の人とこんな接近するなんて、幾ら何でもはしたない……」



本当に教師として大丈夫だろうか。あそこまで近付く事自体確かに稀だが、どうにも男性に対する免疫が薄いように見える。教師としては致命的な弱点では無いだろうか?


ぶつぶつと顔を赤らめ呟いている所悪いが、さっさと用件を話してもらいたいものだ。これは急かさなければ話が進まないと溜息をつく。



「……ええと、一体何の用件です? 何か話すべき事があったんですよね?」


「あ、そ、そうでした! えーと、コホン……アンドラスくんはこの後、ホームルームが終わったら学院長室に来て下さい。学院長からのお呼び出しです」


「……それ、聞かなかった事にしていいですか? 今から難聴になる予定なんで」


「えっと、『小賢しい事を言う様なら例のアレ返してもらうぞ』……との伝言でして、ついでに私も怒られちゃうんです……出来れば来ていただけると……」



小賢しいのはどちらの方だ、と内心で舌打ちする。人質ならぬなどとしょうもない。だが、それに逆らえぬ事もまた確か。仕方なく嫌な顔をしながら頷くと、彼女は満足気な笑みを浮かべながら戻って行く。


一時的にも衆目を集めてしまった事実にうんざりとしながら、今度は窓の外を眺めながら頬杖をつく。再び教室が静かになると、ヒソヒソとした話し声があちこちから聞こえる様になった。



「え、もしかしてアレが例の……?」


「あの落ちこぼれか……魔術が使えない癖して、何しにここに来てるんだか」


「見栄だろ、見栄。まあいるだけ惨めだと思うけどね、俺は」



……随分と好き放題言われるものである。というか、表立って本人に言えない事を影で言うのは如何なものだろうか。せめてそういうことは心の中で思うに留めておくべきだと思う。傷付いた勢いでショックを受けて死んだらどうするのか。俺が。


いや、今はそんなことどうでもいい。目下の問題は、学院長からの呼び出しだ。更なる面倒事が重なるのは確定してしまったとして、せめて少しでもリスクから逃れることは出来ないだろうか、と少し後に訪れるであろう面倒に備えて、対策を練ろうと思考を巡らせるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る